ロミオとジュリエット

清泪(せいな)

伝えたい言葉

 

 いつも横顔を見ていた。


 私の好きな人は、私の兄の親友だった。

 幼い頃からずっと兄と遊んでいて、年上である事も忘れちゃうぐらい無邪気な笑顔が好きだった。

 高校生になった彼は冷静沈着な人物に成長したのに、たまに兄にいたずらしてみせてた。

 その時の表情は、昔と変わらない子供みたいな笑顔だった。


 兄がマンガに影響されて始めたバスケも当然の様に付き添って始めて、彼と兄のコンビはいつしか全国的に注目されるぐらいになっていった。

 兄の応援と、渋々試合に駆けつけてる素振りを見せて私はずっと彼だけを見ていた。

 兄の隣から見るいつもの横顔とは違う、真剣な表情。

 そのギャップに釘付けになっていた。



 どうしようもなくわかっていた自分自身の気持ちをいつか伝えようと決めていた。

 でも、伝えるのは怖かった。

 もしそれで嫌われたなら私は彼の横顔を見れなくなるのだろうか?

 優しい笑顔も、真剣な表情も、見れなくなるのだろうか?


 伝えたい言葉は、ずっと胸の中にしまう事にした。


 言葉を伝えないのは罪なのだと知ったのは、バスケの試合途中で彼が倒れていくのを見た時だった。


 運ばれた病院で待っていたのは、泣き崩れる彼の両親と天井を見つめ放心する兄だった。

 私は兄に問いただした、彼に何があったのかと。

 返ってきた言葉は聞いたこともない病名と、聞きたくもない余命という単語だった。



 面会ができる様になって、彼の居る病室を訪ねた。

 他の患者さんもいる共同部屋の窓際に彼のベッドがあった。

 彼は窓の外をずっと眺めていた。

 今までに見たことの無い、哀しい横顔だった。

 近づく私に気づいた彼はそんな哀しい表情を誤魔化す様に優しく微笑んだ。

 私は何も言えず、彼が微笑んでいるというのに涙を流してしまった。


 ずっと笑顔を見ていたいのに、そんな微笑みは見たくないのに。


 泣いてる私の頭を彼は優しく撫でてくれた。


 きっと慰めて欲しいのは彼のはずなのに。

 助けて欲しいのは彼のはずなのに。

 私には何もできなくて。

 私は泣く事しかできなくて。


 

「皆がオレの分まで泣いちゃうから、泣けないよなぁ」


 暫くしてどうにか泣き止んだ私に、彼は笑ってそう言った。

 頬を伝う涙を拭って彼の顔を見た、やっぱり微笑んでいる。

 彼は死を告げられたのに何故微笑んでいられるのだろう?


「正直言うとさ、スゴく怖いしスゴく悔しい。何でオレがそんな病気にって。何でもう生きられないのかって。……でもさ、そんな状況だからスゴくわかる事があるんだよね。大事なものが何かとかさ」


 彼は微笑み崩さずにまた窓の外に視線をやった。

 その横顔は、優しいのに哀しい、そして何より愛おしい。


「オレ、キミに伝えたい事があるんだ」


 彼の視線が私に向けられ、私が胸の中にしまった言葉が彼の口から発せられる。

 私が彼の横顔を見つめていた様に、彼もまた私の横顔を見ていてくれたのだと言う。

 私もしまっていた言葉を必死に引っ張り出した。

 私の言葉は涙に滲んでしまったが、拙くとも彼には伝わってくれた。


 それから繰り返された、ありがとうとごめんの言葉。

 好きなのに愛よりもさよならを約束する事になるなんて。

 彼は微笑んでいた。

 私が泣き崩れて、壊れてしまわないように。


 

「6月30日はオレの誕生日なんだ」


 病院の屋上、陰気さと陽気さをギクシャクとした形で併せ持つ建物の屋上は晴天の下とあって爽やかなものだった。

 暑いぐらいの陽射しに向かって両手を広げる彼は、絶望的な成功率の手術の日の話をしていた。

 それでも生きれるのであれば、彼は迷わずに選択した。

 失敗したなら余命という不吉な単語すら無視する最悪な結果が待っているのに。


「6、3、0でオレの名前はロミオ。安易だろ? 普通息子にそんな名前付けるかって」


 その話は何回も聞いた、と言ってみるもののこの言葉も何回目なのだろうか?


「オレがロミオなら、キミはジュリエット」


 それじゃ悲劇じゃないか、と私はいつものやりとりにのっかる。

 すると彼は片膝をつき演劇の様な大袈裟な身振り手振りで私の手をそっと掴み口づけする。


「こうやっておまじないしてたら、悲劇も喜劇に変わるかも」


 それも何度目かのセリフだった。



 彼が手術を怖がっているのを言わずとも感じる。

 私の手を取るその彼の手が震えているからだ。

 私は彼の頭を撫でた、いつか私がしてもらった様に。

 彼の力になりたいと、心から願った。


 ロミオ、何故アナタはロミオなの?

 何故アナタは病気なの?

 何故アナタは……。


 


 公園に転がっていたバスケットボールをリングに向けて投げてみる。

 あの頃の彼のシュートシーンを思い出して、1、2、3、4、で膝を使って飛び上がり投げる。

 両手で押す様に飛ばしたボールは、リングにぶつかってネットを揺らすどころか全然違う方へと跳ね返ってた。

 やっぱり見よう見まねじゃ、無理なんだな。


 跳ね返ってたボールはしかしツーバウンド程すると、軌道を大きく変えまたリングに向かって飛んできていた。

 ガコン、っと音を立てネットを揺らしボールはゴールを通る。


「下手だなぁ、それにトラベリングだし。試合、ちゃんと見てなかったのか?」


 スリーポイントの位置からシュートを決めた彼が、ボールを拾いあげ悪態をつく。

 手術は成功し、すっかり元気になって無邪気な笑顔をまたするようになった。


「アナタだけ、見ていたから」


 言葉をもう胸の中にしまうのはやめにした。

 大事な言葉は伝えなければ後悔する。

 

 彼は私の言葉に恥ずかしそうにしていたが、いつしかの大袈裟な身振り手振りで私の前に座り込むとこう言った。


「それじゃあ、これからもずっと見つめていてくれ」


 優しく微笑む彼の手には指輪が握られていた。

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ロミオとジュリエット 清泪(せいな) @seina35

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