冒険と平和の夏。

ピクルズジンジャー

なんでもない夜の話

 好きな映画のジャンルを確認しなかったのは迂闊だった。まさかグロいのが苦手だったとは。


 ――普段の話ぶりからしてホラーには耐性はあるみたいだし、アニメに変な偏見持ってそうでもないし、それじゃあ平気だろうということでみせたのが大昔の名作アニメ映画だ。1980年のイマジネーションでもって2020年の東京が描かれた、暴力とアクションと大破壊の一大スペクタクル。私たちが生まれるずっと前に作られたにも関わらず、私の心をとらえて離さないその映画のタイトルは『AKIRA』という。


 東京オリンピックが行われる直前に、現実とは異なる2020年が描かれた映画を見るのもオツじゃないっすか? という理由であの子と一緒に見始めたのだ。

 最初はあの子も結構関心を持ってくれていたのだ、「有名な映画だよね。タイトルは知ってる」とか言って。

 でも、序盤の暴走族乱闘シーンからその子はちょっとずつ言葉数少なになっていった。

  あの子は「うわっ」とか「うえっ」とか声を上げていたけど、大体それは四つん這いになったからだから内臓があふれだす島鉄雄の幻覚のシーンだとか、女の子が容赦なく殴られたりするところだとか、超能力をふるう鉄雄がモブの兵隊たちを肉塊に変えていくところとかに限られていた。

 私もベッドの上に寝ころんで、好きなシーンがくるたびに「うお」とか「うわ」とか声を上げて、床に座ってベッドの縁に持たれるあの子に分かりやすいように「面白いところ」「作画が神なところ」を教えていたつもりなんだけど、クッションを抱くあの子の背中から、私のそういう気づかいが全て余計なお世話として機能している、つまりスベッてるとしか受け止められていないなって感じずにはいられなくなる。


 私の一番すきなシーンが来たとき、エアコンの設定温度よりも室内の温度は冷えていた。こんなにスベり散らかした「デコ助野郎」のシーンに接したことは未だにない。


 これはやばいな、と馬鹿でも気づく時間が淡々の過ぎていったあと、とどめの様にクライマックスのシーンがやってくる。超能力を暴発させた鉄雄が巨大なぶよぶよの肉塊に変化してゆくところだ。

 テレビの中で絶叫する登場人物たちもむなしく、あの子は抱きしめたクッションに顔を埋める。たまりかねて私は訊ねた。


「どうする、あともうちょっとなんだけど……見る?」

「――……」


 あの子は無言だ。テレビの中では鉄雄のガールフレンド・カオリが死んでゆく。

 

「――消そうか?」

「……あともうちょっとなんでしょ? 見てなよ」


 ふらり、とあの子は立ちあがった。コンビニに行くと言って。


 私の住んでるワンルームマンションの隣はコンビニだ。普段からお世話になってる店だ。そうは言っても日付が変わって数時間経っている。一緒に行こうかと声をかけようとしたけれど、その言葉を私は飲みこんだ。

 ちょっと一人にさせて、と、その子の青い横顔が語っていたのだから。


「じゃあちょっと出てくるから……、終わったら呼んで」

 

 ふらふらした足取りであの子は玄関でサンダルを履き、スチールのドアを開けて出てゆく。

 部屋に一人残された私は、ぼんやりとしばらくテレビを見る。そのあと、盛大なミスをやらかしたことで、友達と映画を傷つけたという事実に向き合わざるを得なくて、枕に顔を埋めてじたばたする。

 その後、コンビニに入る筈のあの子に電話をしてみる。あの子は出ない。きっと気が付いていないのだ。


 あとしばらくで映画も終わるというタイミング、ウォオオオオーおおーンンン……とうなりをて通り過ぎるバイクのエンジン音が響いた。そうするとどうしても、映画冒頭の暴走族の乱闘シーンを思い出してしまうわけで。

 郊外にある三流大学そば、農村地帯にコンビニと低層の集合住宅が立ち並ぶ、重大犯罪とは無縁の一帯であるとはいえ、丑三つ時にあの子を一人外に出したことが不意に悔やまれてベッドの上から立ち上がる。リモコンの停止ボタンを押してから私も自分の部屋を後にした。


 ◇◆◇


 あの子がいなかったらどうしようと内心びくびくしていた分、よくわからない羽虫がびっしりたかるガラスのむこうで立ち読みしているあの子の姿を見た時は心の底からほっとした。

 店の中に入ると、立ち読みしていた雑誌をもったままこっちをみて目を丸くする。なんでここに来たのって顔だ。


 私はあの子の好きなアイスと、私の好きなジュースを買った。その頃にはあの子も立ち読みを止めて自動ドアの傍に立っていた。こうして私はあの子と二人並んでコンビニを後にする。


 羽虫が虫除け灯にぶつかる音が、じじ、じじ、と響く。


「――ごめん」

 

 謝りながら私はアイスを差し出した。あの子はフルフルと首を左右に振る。


「こっちこそごめん、幽霊とかは平気なんだけど内臓が飛び出る系は苦手だって言うの忘れてた……」

「いや、こっちも訊くの忘れてたから」


 部屋戻る? と訊いたら、あの子は首を左右に振った。気分が悪いからしばらく夜風にあたりたい、とのことだ。


 だから私たちは深夜のコンビニの前で、並んでアイスを齧り1リットル紙パックのジュースを飲んだ。昼間か夕方、自転車にまたがっていたりしたならまるで中高生だ。

 大学生になって初めての夏、やることがDVD鑑賞会に真夜中のコンビニ前で飲み食いすることか、なんて気持ちが無言のうちに漂う。


 幸い眠くは無かった。先にアイスを食べ終わったあの子が行儀よくゴミを捨てに行くのを待ってから、私は何気なさを装って提案する。


「せっかくだし蛍でも見に行く?」

「蛍? なんで」


 あの子はきょとんと目を丸くした。そりゃそうだろう、急に何言ってんだと思われても仕方ない。でも私にだって特に理由はない。あの子は部屋にまだ戻りたく無さそうだし、とはいえこのままコンビニ前にいても仕方なさそうだからだ。それに悲しいかな、三流大学そばの学生街には夜中に時間をつぶせる場所なんてものがない(地平の彼方の国道沿いに、カラオケ屋やファミレスがあるけどそこまで歩けと?)。

 要は何か、歩く口実が欲しかったのだ。


 そして口実を必要としていたのは私だけではなかったらしい、私たちはしばらくして田んぼに沿った片側一車線の道の歩道を歩きだす。用水路でもある暗渠からごぽごぽと水の流れる音がする。

 

 その音に耳をすませていたら、あの子はだしぬけにペニー・ワイズの物まねをかましてきた。そのせいで盛大にジュースを噴いてしまい、あの子はお腹を抱えて笑い出した。どうやら仕返しのつもりだったらしい。

 ゴホゴホと派手にむせながら、私はようやく胸のつかえがとれてほっとしていた。


 ◇◆◇


 蛍がいると先輩から聞かされた水門は、徒歩では少し遠く感じられた。

 お陰で話のネタも早々に尽き、しかたがないのでオリンピックの話などをすることになってしまう。


「どうする? オリンピック始まるけど?」

「どうもこうも……関係ないじゃん。うちらに」

「だよね」

「だよ」


 ワンターンで終わってしまった。それもむべなるかな、私もあの子もまるっきりのインドア派の文科系だ。

 でも、それじゃああんまりだと思ったのか、今度はあの子が話を広げてくれる。


「そういえば、さっきみていた映画ではどうなったの? オリンピック」

「? さぁ……あんなことになったんだから中止になったんじゃない?」


 映画のラストシーンを見なかったあの子も、「だよねぇ」と頷いた。あの子が見ていた場所だけでも破壊は十分すさまじかったのだから、中止になっても不思議じゃないと感じたのかもしれない。

 私が回したパック入りジュースを一口飲んでから、あの子はつぶやく。


「中止になる所まで、真似しなくてよかったと思うよ。現実が映画にさぁ」

「……」

「ほら、このオリンピックってさっきの映画もそうだけど1940年だかの幻のオリンピックもなぞってるとか、SNSで面白がる人もいたじゃん。そういうの見ててさぁ、本当はちょっと怖かったんだよね」


 1980年代、本当の2020年がこんなことになってるなんて知らない想像力が生んだ映像に怯えてあの子は、此度のオリンピックが中止になることにも怯えを抱いていたらしい。歴史上、本来の東京オリンピックが幻と消えた後、待ち受けていたのは戦争による破壊だ。

 

「オリンピックそのものはどうでもいいけど、また中止にならなくてよかったよ。それだけはさぁ」


 そういってあの子は自嘲的に笑った。現実がフィクションを真似するかもしれない、なんて、杞憂そのまんまだ。そんなことに怯えた自分がおかしかったらしい。

 あの子から回されたジュースのパックを受け取り、私も「そだね」と返した。


「……でもわかんないよ? これから何がおこるか分からないし。映画の冒頭みたいに、東京の方で誰かが超能力に覚醒して街中ふきとばしてるかもしれない」

「ちょ……! やめてってば……! そういうのマジで怖いっ」


 私が嫌いなペニー・ワイズのことが全然平気なあの子がそう言って本気で怯えるのがおかしくて、私は丑三つ時にケラケラ笑った。


 ◇◆◇


 蛍がいるという水門の傍まで行くには行ったけど、結局蛍はいなくって、私たちはその日疲れた足を引きずってきた道を引き返した。


 オリンピックの期間中、私たちは夜に生き、真夜中の暗渠の上を歩き、つまらないことで笑って過ごした。


 そういう他愛ない日々のことをよく覚えてるものだと人は言うものだけど、私はそういう典型的な人間になった。 


 大学で初めて出来た友達だったあの子もそうだったらいいなと思う。

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