幕間 もうひとつの旅立ち

某日 サターニ村



「大丈夫? おばあちゃん」


 村の外れにある小さな病院の病室の上でベッドに横たわる老婆と、老婆を心配そうに見据える無垢な緑の目をした少女がひとり。心配そうに老婆を見据える少女に、横たわる老婆は優しい笑みを向ける。


「レティは優し子じゃのう――。あたしゃいつ逝っても安心じゃ」


「もう、おばあちゃんったら。縁起でもないこと言わないでよ」


 優しく、微笑みながら返答する少女の赤髪がちいさく揺れる。


「ところで、図書館は繁盛しとるかい?」


「いいや、相変わらず繁盛とは程遠いよ、でもね?」


 レティは二年と半年前からたびたび図書館を訪れていた青目の少年について、目を緩め、笑みを浮かべながら楽しげに話し始める。――その孫娘の姿に祖母は思わず眉を垂らしていた。


「でねでね。――そいつ、バカみたいなとこもあるんだけど、いいやつで、色々しょいこんでるのに真っ直ぐに前だけ見て。――私だったら耐えられない」


 小さく息を吐き、目を落とすレティ。少女は暗くした面持ちで心に重い鉛を抱えているのにも関わらず前向きで、快活に笑って見せたあの日の『彼』の姿を思い浮かべていた。


 ――あいつ、大丈夫なのかな。折れたりしてないかな……。


 思い出した彼に対しての心配で心が埋め尽くされ、胸の真ん中を痛める少女。その痛みにレティは胸に手を当てる。孫娘がなにやら悩んでいることを察した老婆はしわくちゃな手で少女の頭を優しく撫でてみせた。



 少女の赤い髪を撫でる祖母の手は柔らかで、――暖かかった。



◆◆◆◆◆◆



 祖母との面会を済ませ、小さな病院を後にすると見上げた空には黄昏色の空が広がっていた。夕刻の黄昏は村の風情を彩っていた。――背の低い村の建物の数々、多くはないものの確かに村(ここ)で生きている人達。手を繋ぎながら家へと帰る親子連れに、やんちゃに走り回る子供達。――時折聞こえる牛の鳴き声。



 滅多に村へと足を運ぶことがないレティにとって、それらの賑わいを目にするのは久々で、とても懐かしく感じていた。


 小さな村が映し出す活気に心を奪われて呆けていた少女の耳を打つ声がひとつ。――聞き覚えのある懐かしい声音だった。


「あら?」と言う声とともに近づいてくる中年の女性。間違いなく見覚えある姿の女性だった。


「レティちゃんよね? 随分大きくなったわね。元気してた?」


「――エルナおばさん。お陰様で元気にやってるわ。たまには図書館にも寄ってってよね」


「あたしも最近、暇な時間がなくてねぇ。――まあ、今度時間があればいくよ」


「そう言ってくれると嬉しいわ、ありがとう」


 エレナは祖母が秘書を勤めていた時によく図書館に足を運んでいてくれていて小さい頃にレティはよく可愛がってもらっていたそうだ。


「息子も待ってるから、そろそろいくね。久々に会えて嬉しかったわ」


「こちらこそ」


 最後の言葉を交わすと、エレナは身を翻し家族の待つ我が家へと向かった。久々に目にした村の変わりない賑わいに安心感にも似た感情を抱き、笑みを浮かべて、



「ほんっと、変わらない」



 優しい声音で呟いでみせた。



◆◆◆◆◆◆



 レティの家でもある麓の図書館の二階にある寝室にて、ベッドの上で仰向けになって、睡魔が襲いにくるのをレティは待っていた。目を瞑り肩の力をする。意識すればするほど睡魔が遠ざかっていく。


 ――駄目だ。全然眠れない。


 閉じた瞼(まぶた)に広がる暗闇をじっと見据えていた。だがどうしても眠りにつくことが出来ず、ますます意識しだす少女。



 しかし遠ざかる睡魔が少女に近づいてくることはなかった。

 


 どうにも寝付けなかったレティは夕方に訪れた村に再び足を踏み入れていた。夕刻に訪れた時とは異なり人の影は微塵もなく、点在する家々のほとんどが消灯している。勿論牛も眠りについている。


 この村の中で眠れずにいるのは自分だけかと心中でぼやくきながら静寂に包まれた村を散策する少女はふと空を仰いだ。暗闇に覆われた空には星々が瞬き、半月がぼんやりと村を照らしていた。夜が醸す情緒に更けているたレティがふと目にしたのはエリックの家であった。大きくなく質素な外観の家。

 ――レティは彼の家をじっと見据えていた。すると突然、彼の家が目映い赤い光に包まれた。それは唐突に何の前触れもなく起きた。



「あれは……」



 赤髪の少女はとある書物の一文を思い出す。


 ――赤き光に包まれし破片、魂魄さえも支配する。


 都ではその本目当てで行列が出来たとされる書物『智慧の欠片』の一文である。レティも最近図書館に入荷したその本に一通り目を通していた。



「……もしかしたらあれって――いいやまさかね」



 恐る恐る光の放たれた方向、エリックの家へと足を進めるレティ。未知のものに対する恐怖心と好奇心が心の中でせめぎ合わせながらも緩やかな足取りで彼の家の窓まで近付くと赤色の光は収縮していった。レティは好奇心に身を任せエリックの家の開いたままの窓を覗いた。本棚があり、散らかった書類で埋め尽くされた机があり、机の手前には小さな椅子がある。おそらくは書斎の類いであろう。


 だが、平凡な書斎にはひとつの違和感が点在していた。散らかった書物の上に、常軌を逸する雰囲気を漂わせて、ぼんやりとした赤い光を纏う破片のようなものがぽつりと置かれていたのだ。


「あれって……智慧の欠片?」


 書物で呼んだ内容と酷似したそれに少女は目を奪われていた。ぼんやりとした光の妖艶さに包まれる破片に。先程強い光を放っていたのはこの破片だな、と確信する。


「間違いない」


 少女の内なる好奇心の前に先刻抱いていた恐怖心はどこへやら、そんなもの初めからなかったかのようにすっかり消えてしまっていた。レティの心の中を好奇の感情が覆い尽くし開いている窓からエリックの家へと侵入を試みる。立派な不法侵入である。 


「エリック、シド。ごめんねっ」


 遠く離れた彼らに対し届くはずのない謝罪の言葉を呟きながら窓の隙間からすっと書斎へと入り込む少女。先程外側から確認した通り散らかった書物の上に確かに在った。――紛れもなく『智慧の欠片』そのものだ。赤髪の少女はその赤い欠片に手を伸ばし掴み取ると爪先から頭のてっぺんまで、身体全体がふわふわとした浮遊感に包まれた。


「この浮遊感……って……」


 眉を上げ少しばかり驚く赤髪の少女は。包まれた不思議な感覚に何かを思い出すレティは智慧の欠片を懐へと仕舞い込むと咄嗟にエリックの家を飛び出し、麓の図書館へと戻るや否や一冊の本を取り出した。そこには、


 

 ――私はカタカムナにて『それ』を手にした時、言葉にし難い浮遊感に身を包まれた。



 と記された一文がある。レティが智慧の欠片を手に取った時の感覚に酷く似たものだった。この書物には明確に『智慧の欠片』という表記こそないものの似通った点が幾つか存在している。――カタカムナは幾年も前に強大な力によって滅んだとされる文明。その惨劇を示すものが現在のレフィーナに『カタカムナ遺跡』として残っている。



「カタカムナ遺跡に行けば、何かしらの手掛かりが掴めるかもしれない」




 思い立ったが吉日とでも言わんばかりに少女は即座に荷造りを始めるレフィーナへと出発する準備をする。


「着替えよし、本よし、お金よし」



 大量の荷物で膨れ上がった鞄(バッグ)の中身を確認すると、



「出発は明日の朝!」



 意気込んでから、再び自室のベッドに横たわり目を瞑った。今度は不思議とよく眠れた。



◆◆◆◆◆◆


 

 翌日、旅の準備を済ませた赤髪の少女は汽車に揺られていた。車窓から見る外の景色は旅立ちの日には不似合いな雨空。窓越しにでも耳を伝う雨音は歓迎ムードとは程遠いものだった


 旅立つ前に面会した祖母の言葉が心を反芻する。少女が旅立つと告げた時祖母は穏やかに笑みで返して、


「いってらっしゃい」


 優しい声音だった。祖母の穏やかな目を思い出し早くも郷愁を覚える少女。感傷的な雨空も相まって哀愁気味の少女は少し前に故郷を旅立ったエリックの姿を思い浮かべる。



「あいつは、どういう気持ちで旅立ったんだろう」



 母の仇である父を探すため、彼は旅立った。――鉛のように重く、苦しい旅立ちであったはず。なのにも関わらず彼は笑っていた。本当は彼も、煩っていた、はずだ。――少年の前向きな瞳を思い出し、訳もなく胸を痛めていた。


 窓から見える降りしきる雨を、自らの思いと重ねながら。

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