26 屍を越える覚悟

「ぅぐッ……流石に堪える、な……奴が自爆までするとはな……」



 壁際から発される声とともに足を引きずりながら歩みを進めるヴィンクリードへと目をやるエリック。深傷を負い、 両腕が切り離され、裂かれた肩部から深紅の液を流出させている彼の姿があった。


 意識の途絶えたニヒトの頭部を一瞥し、再びヴィンクリードへ視線を移すエリック。青い双眸に焼き付く憎悪に心の内側から憤怒の念がこみ上げる。――その感情は少年を内側から蝕み、己を保つ意識そのものさえも支配する。


「――アアア――――アア……ア――――」



 蝕み、支配する。彼の心の人ならざるもの。――さながら血に飢え狂乱する獣の如く呻きを上げ、痺気に包まれていたはずの身体は何事もなかったかのように、緩やかに立ち上がった。憎悪を据える彼の双眸はもはや『彼のもの』ではなくなっていた。


「ウアアアアアア――アア――」


 彼の意志とは関係なくヴィンクリードに強襲する。ひたすらに心中を憎悪で埋め付くし、自我さえも支配されながら。


 先程、拳を交えた時とは比較にすらならない。疾風の如く猛攻するエリックに驚愕しつつ心当たりありげに笑みを浮かべる。


「思ったよりも速い段階での『覚醒』だな……。もう少し時間がかかると踏んでいたのだがな」


 風を切るエリックの猛攻は、先刻の未熟で拙い攻撃なとではない。明確に標的を捕らえ別の誰かが『憑依した』かのようであった。そんな息子の強襲を身を翻し躱すことで精一杯になっていた父は反撃の好機(チャンス)さえ伺えずにいた。


 疾風に乗せた顔面目掛けた正拳を間一髪で躱し、足を後ろに引き飛び退くヴィンクリード。飛び退くと同時にその場から一瞬にして姿を消した。――おそらく瞬間移動の類いであろう。


「――アア――ア――」


 攻撃対象を見失ったエリックが目をキョロキョロとさせながら小さく呻く。身体が痛みを思い出したかのように唐突にバタリと、手も付かずに倒れた。彼は目を閉ざし、瞼の裏の暗闇に意識が溶けていく。



◆◆◆◆◆◆



「……っ!………きたみたい!」


「随……と眠っていた……な」


 闇に溶けた意識の中で、ふたつの声が耳を打つ。ひとつは耳によく馴染んだ弟の声だ。それからもう一人は……。聞き覚え自体はあるのだが、よく思い出せずにいた。


 そのふたつの声に誘われるよう視界を覆っていた瞼を緩やかに開いた。


「ここ……は……」


 目先に広がっていたのは、見慣れた天井だった。背に触れる羽毛の柔和な感触。視界には横からは覗きこむふたつの顔が移る。ひとつは黒髪に青眼の弟シド。もうひとつは気だるげなボブカットの男。――リテロだ。


「シド……それにリテロさんも……」


「兄さん、ずっと眠ってたんだよ」


「ずっと……?」


「うーん。二日くらい」


 そのあまりに桁外れな日数に思わず「え!?」と驚愕の声を漏らす兄。意識もままならない中、ひとまず二日間に渡る長い眠りから覚めた彼は、自らの脳内に残る記憶を整理する。


 三人でヨルテナ廃工場へと侵入し、プロウム・ネオの軍勢を蹴散らした後、ヴィンクリードと対峙する。シドは気絶させられて、ニヒトは――


「ニヒトは……ニヒトはどうなった!?」


 飛び起きて、唐突に声を荒らげる。


 自らの記憶は、確かに『それ』を鮮明に思い出していた。だがその記憶に反して彼の意思は『それ』を受け入れることを拒んだ。あれは夢だったのかもしれない、少しでもそう思いたかったのだ。だが現実は非情で――


「――死んでた、間違いないよ。機能も完全に停止してた」


 シドの低くした声が、その救いようのない現実がエリックの心を刺す。



 ――本当か……?



 思わず口を開き、咄嗟に聞き返そうともした。だが、自分より機械の扱いに長けてるシドが見誤るなんてことはないと心中で察したエリックは開きかけた口を瞑る。


「……それで、なんでリテロさんがここに?」


「それなんだけど……」

 

 シドはこれまでの経緯を話し始める。



◆◆◆◆◆◆



 彼が廃工場で目覚めた時 、そこにいたのは横たわる兄と四肢がバラバラになったニヒトの姿だけでヴィンクリードの姿はなかった。バラバラなニヒトの部品を見て、あまりの破損具合と爆発をくらった形跡があることから自爆を行ったのだと悟った。バラバラになった部位のひとつである頭部へと近づき、緩やかに屈む。



「ありがとう、僕達を命懸けで守ってくれたんだね。――優しいね、ニヒトは……」



 機能を停止したニヒトの頭部へと別れを告げる彼の頬に、涙が伝っていた。



 その後、疲弊し、深傷を負いながらも自らよりも体重のあるエリックを抱えながら薄暗い地下から急いで地上まで駆け上がった。そして廃工場の外へと足を踏み出すと――そこには息を荒らげたリテロの姿があった。




「ハァハァ……何とか間に合ったか……」


 雨の勢いは加減を知らず、雲は空全体を覆っている。ひどい悪天候だ。


 膝に手を当てながら息を荒らくするリテロ。入口扉から姿を表したシドが彼に尋ねる。


「どう、したんですか……そんなに……慌て、て」


「……兄の方も弟の方も随分な深傷を負っているな。――だがまずは廃工場ここを離れるのが先決だ、急ぐぞ!」


「離れるって、いきなりどうして――」


「その話は後だ! ――それとシド、お前のその傷じゃ兄を担いで走るのも一苦労だろう、彼は私が担ぐ」


 意識を失ったエリックをリテロが担ぎ直すとシドに「こっちだ」と言いながら手招きをして走り出す。シドもそれに続いて走り出した。

 暫く走り、視界から廃工場の全景が遠ざかった時、鉄の外壁に覆われた、背の高い廃工場から突如として爆発が上がった。鳴り響く轟音が走るシドの足を止め、咄嗟に振り返った。


 爆炎を上げる廃工場を見て、驚愕し眉を上げる。


「……え……?」


「証拠隠滅のための爆破だ。私も先程まで知らなかったのだが『奴ら』は万一工場への侵入を許した場合、工場ごと破壊するつもりでいたそうだ。――それから」


 紡ぎかけた口元をぱっ、と止め暫時の静寂を作り出した後に、


「人工生命プロウム――。ニヒト・ラリアはどうした」


「……気が付いてたの?」


「……少し勘づいてはいた」


 とだけ返答したリテロであったが彼の安否についてその一切を尋ねることはなかった。



◆◆◆◆◆◆



「それでリテロさんもここに……何はともあれ、シドもリテロさんも、ありがとう」


 軽く会釈をしてみせた後に、


「でもなんでリテロさんは工場が爆発するって知ってたんだ?」


「そういえば。僕もそれ聞いてないや」


 話の中で最も気掛かりな点について質問すると、リテロは頭を掻いてみせる。


「図書館から出た後暫くして、『同じ組織』の奴から聞いてな。『あそこは侵入者が見つかり次第工場ごと爆破させて証拠隠滅を図る心づもり』だとな。そこでお前達のとこに駆けつけた、というわけだ」


 その語り口に多少の違和感を感じたエリックか首を傾げてみせる。その中でも特に違和感を抱いたのは――


「『同じ組織』の奴?」


 どうしてわざわざこのような言い回しをしたかである。さながら軍の人間のことを指してはいないような語り草に疑問を抱いた。


「……スタークスだ」


「「スタークス?」」


 聞き慣れない単語に兄弟が同時に声を上げるとリテロは唐突に面持ちを真剣なものにし重々しく口を開く。



「――お前達には、先へ進むだけの覚悟があるか」



 唐突にぶつけられる質問にたじろぐ兄弟。その質問に対し真っ先に返答したのは兄のの声であった。


「勿論俺は――」




「今回のように、仲間や友を失う結果になったとしてもか」




 リテロの依然として重々しい口振りが彼の言葉を遮断する。


 ――真っ直ぐに、だが何処か暗さを孕んだ目線でエリックを見据える。ただ真剣に、覚悟を問う彼の視線に唇を強く噛んでみせる兄。


「――それは何も仲間や友に限ったことじゃない――勿論、そばにいる兄弟もいつ誰の手によって命を奪われるか解らない。失う覚悟が、その屍を越える覚悟が、お前達にはあるのか……」


 暫くの沈黙が続き、刻む秒針の音が部屋の空気を席巻する。兄弟の脳裏には失うということの辛さが、蘇っていた


 ――父に背を貫かれ、身体の中央から血を垂れ流していた母。


 それから今回、自らの命を懸けて散った鋼鉄の友ニヒト。


 失う辛さを思い出し、哀情に顔を俯かせる兄弟


 ――だが、それらを、失う悲しみや痛みを踏まえた上で彼らは。


「解ってる、進むしかないんだ。だから――」

「僕も踏み留まってばかりじゃいられない。だから――」



「進むよ、失っても。屍を越えていく。――その先に答えがあるなら。そうだろ、シド?」


「うん。――歩みを、止めちゃいけない」



 覚悟を決め据える兄弟の双眸。重く開いた口元から出た結論は、二人とも同じだった。



「それともうひとつ。――国に背く覚悟はあるか」


 いまいち質問の意図が汲み取れず当惑する兄弟。だが兄の方は真っ先に問いに答える。


「国に忠誠を誓った覚えはねぇよ。――しかしまた、軍人さんが『国に背く』だのなんだのと、穏やかじゃないな」


 青瞳を鋭くさせリテロを据え、鋭利な双眸はリテロに返答を求める。かれの口振りから『何か』を言いたげなのは十二分に伝わっていた。


「――私は今から『カタカムナ遺跡』へと赴く。屍を踏み越える覚悟と、エルピアこの国を敵に回す覚悟があるのなら――付いてこい」


 そう言うと、リテロは緩やかに立ち上がり身を翻す。


 アインヒューズ兄弟もまた、互いに顔を合わせ頷いた後、緩やかに立ち上がった。


 布団の傍らにある丁寧に畳まれた母の形見である青いコートを、エリックは勢いよく羽織ってみせた。


 雨は未だ止むことを覚えず、大きな音を立てながら降り注いでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る