23 穿つ炎

 怒りと憎悪を宿した双眸に、父の姿を写す。友を傷つけられた痛みと、かつての消えることのない忌々しい記憶。――それに、先刻あれほどの雷撃を身に浴びたはずなのに疲弊している様子が一切ない。


「私の造った試験体モノをどうしようと私の勝手だろう?」


 嘲笑を浮かべてズタボロのニヒトと、それを抱えるエリックを見据える。


 睨むことを止めないエリックの顔にヴィンクリードは自らの顔を近づける。咄嗟に後退ろうと足を引く動作に移ろうとしたエリックだったが。


 竦んで動かない。――目前の重圧か、もしくは他の何かよる干渉か。明確な原因は解らないが、足元ひとつも微動だにしない。


 焦りから滴る汗、荒くなる息。


 ――離れなきゃ……。


 頭では解っていても、反応のひとつも寄越さない身体。


「そいつがそんなに大事が? ――ならせいぜい守ってやるんだな」


 凍てついた声音はエリックの耳を鋭く伝う。同時に、父の裏拳が息子を打つ。打撃と共に鼻背に伝う痺れに踞るエリック。


「兄さん!!」


 膝を付いた兄に代わり弟が機関銃を打ち込むが。


「――ふっ」


 迫る銃弾を円形の壁に沿って走りながら躱す。その間、彼は壁をなぞりながら手を当て、一発の雷撃を打ち込む。

 打ち込んだ雷撃の反動で、急速にシドへと近づく。


 瞬間だった。瞬きや呼吸さえ許されない微かな時の流れで、シドの一寸先に飛び掛かり――唐突に現れた。


 瞬間での移動。あれが雷撃による反動であることを頭では理解しているシドであったが、それと解っていても尋常じゃない速度での接近。さながら瞬間移動ともつかないそれにシドは驚愕していた。


 ――兄さんの雷の憑依とはまるで違う……。バケモノだ。


 戦慄した。だが息を呑む暇も与えられず父の掌に十三歳の童顔が粗く包まれる。


「おとなしく寝てろ」


 息子の顔面を床にねじ伏せ、掌から雷を発生させ気絶させる。


「お……まえ……俺の弟に……何してくれてんだよ――」


 弟の惨劇を前に怒りを露にして兄が立ち上がる。


「やはり立つか。……エリック」


「当たり前だ。――立たなきゃ死んだも同前だ」


「だがこの状況で、どうやって活路を見いだす?」


 ヴィンクリードの言の通り、状況は芳しくない。エリックの手元に抱えられたニヒトは戦える状態ではないほど負傷し、傍らのシドも気絶しているときた。彼との一騎討ち。――不可能だ。ニヒトに負わせた深傷、バケモノじみた俊足、そのどちらも踏まえた上で二秒とも満たない考察でそれを悟る。


 だだ、退却の選択肢はこの期に及んで残されてなどいない。目前に重々しく迫るヴィンクリードの威圧。一刻も早い行動をすべきだと感じていた。


 足を引き、跳躍するべく膝を曲げる。だが、その行動はあまりにも遅すぎた。息を呑む間もないほどの、一秒さえも流れてはいない刹那で、――目先の父の姿も影も消え去り、今やその影は真後ろからエリックを覆っていたのだから。


「遅い。――だから背中を取られるのだ」


 後頭部を伝う声と共に、背部に斬撃が迸る。背に付けられた傷から血液が噴出する。その痛覚と衝撃でニヒトを抱える手が離れた。


 ――いたい……いたい……


 心の中で反響する苦痛の叫び。


 ――でも、戦わなきゃ……


 全身を伝う痛覚を奥歯を食い縛ることで堪え、振り向いた。――彼には先程まで姿形もなかった刀が握られていた。


 咄嗟に振り向き、肩幅まで足をひろげ、拳に雷撃を纏わせ全身全霊で振り上げる。


「この……クソ野郎ォォォォ!!」


 轟く正拳はヴィンクリードの顔面目掛け一直線に振りかざされるが、目にも留まらぬ速さで二の腕を掴まれエリックの正拳はヴィンクリードの顔面すれすれで硬直していた。


「遅い」


 掌で強く握った息子の二の腕に雷撃を轟かせる。腕から全身へと伝う雷撃に怯み、伝う痛みを堪えきれず血反吐を吐きながらうつ伏せに倒れ込むエリック。自分が吐いた血の上に頬が乗り、鉄臭さが鼻を伝う。


 ――俺の雷撃より遥かに強い。……バケモノじみてる。


 倒れる彼の首元に刃が突き立てられる。殺意に満ちた刃先を実の息子に向け、冷徹な瞳で父が見下す。


「出来れば生かしておきたかったが……そうもいかないな」


「――貴……様……」


 ――手先から足元まで、全身が麻痺して動かない。このままじゃ確実に殺される……。


 刃がゆっくりと振り上げられる。刻一刻、死が近づいている。


 ――畜生……! こんなとこで死ぬのかよ……


 息を呑み、死を覚悟する。全身が麻痺し、抵抗の術などない彼にはこれが精一杯だった。



 刃の切っ先がエリックの首を貫き、ひとりの少年の命が奪われる――。はずだった。


 だが実際、――首元は液体のような感覚に覆われ、そこに刃の感覚も、痛みもなかった。始めこそ疑問に思ったエリックだがその液体が何か、すぐに判明した。それは首先からエリックの頬に伝う。――青い液体。



 ――ニヒトの血。その答えしか導き出せない。



 眉を上げ、驚愕に目を見開くエリック。だがニヒトはひどい深傷を負っていてとてもではないが動ける状態ではなかったはず。


 

 身体を拘束する痺れが少し和らいだところで、顔を上げる。エリックの首に振り下ろされようとしていた刃身を手で握り締め押さえるニヒトの姿があった。


「ニヒト……!? 」


「このまま役立たずで終われねぇからな」


 刀身を握る右手とは反対の左の手を振り下ろす。

振り下ろされた手から水流を発生させヴィンクリードの左手を切り裂く。ニヒトに握られたままの刀を振り払い彼は身を後退させる。


 後退る彼に僅かな隙を見出だし、左右の手を振り下ろしなかまらヴィンクリードの背丈ほどはある素早さと力を兼ね備えた水流を叩きつける。何度も、何度も。――体勢を立て直す隙など微塵も与えないほどに畳み掛ける。


 ――何発打ち込んだ……? 十五……いいや二十か……!?


 痺れで倒れたままのエリックが驚愕する。あの規模の攻撃をそんな回数叩き込めば、確かに相手にもダメージになる。しかし技を繰り出すニヒトにも強大な負担が掛かることは、同じ憑依使いの目から見ても明らかだ。


「まだまだァ!!」


 仲間を殺した恨みを水流に込め、ただひたすらに目の前の憎悪へとぶつける。酷似した憑依の技により疲弊してきたのか息を荒げるニヒト。――振り下ろす両手は徐々に速度を緩め、畳み掛ける水流も勢いを落としていた。だが、それでも手を止めようとはしない。


「――フランの分もあるのを、忘れんじゃねェ!!」


 その言葉と同時に、さっきまで振り下ろしてきたよりも力強く、そして最後を飾るかのように、右手を力強く、重々しく振り下ろす。


 瞬間――ニヒトが下ろした右手から弧を描いた炎が顕現し、風を切る却火は、確かな重みを持ってヴィンクリードを穿った。


◆◆◆◆◆◆


「ええと、なんて呼べばいいのかな? 第六試験体?」


 反政府組織スタークスの拠点、その屋上にてふたりの男女が足を投げ出して座っている。響く女の声音が心地の良く耳を伝う。――傍らの彼は思っていた。


「……ニヒトでいい」


「ニヒト?」


 彼を見据え、微笑みながら首を傾げる女。――深紅の赤い長髪に翠の瞳。笑顔の彼女は双眸に移した彼は、原因こそ解らないが胸の真ん中に妙な痛みを感じていた。胸に手を抑え故障を疑いながら見下ろす。


 ――だがそうではなかった。胸部は正常に機能している。


 再び顔を横に向ける。彼女は未だにニヒトをじっと見据えていた。その真っ直ぐすぎる視線に少し戸惑いながら、


「な……なんだよ。――オレの名前がそんなに気に入らないのかよ」


「違うよ、そんなんじゃない。ただ、どうして『ニヒト』なんてネガティブな意味の名前を付けたのかなって。自分で付けた名前でしょ? それ」


「そうだ……自分で付けた。どっかの国の言葉で否定を意味する言葉だ」


 そこできり悪く言葉を止める彼に、傍らの彼女は顔を傾げてみせる。


「どゆこと?」


「自分への戒めだ。アノ日仲間を見殺しにしたオレへの……。否定されるべきオレへの戒めだ」


 苦しげな面持ちで話すニヒトの、睨み付けるような双眸を横から顔を出して覗き見る。


「目付きが悪い。笑ってなきゃ、福が逃げちゃうよ」


「――能天気でいいな。そう簡単には笑えねェよ」


 さっきまで明るい笑みだった彼女の顔つきが少し曇るのが解った。


「私だって辛いことはあった。――でも振り返ってばっかじゃどうにもならない。前を向いてれば必ずいいことはあるから!」


 表情を戻し、再び彼女は笑ってみせた。


「私は『火焔の憑依使い』フランテリア・エタンセル。フランって読んでね。――よろしく、ニヒト」


「俺はニヒト・ラリア。――強いていうなら……『水の憑依使い』……かな。とは言っても、こないだ『応用憑依学』を読んで多少使えるようになったくらいだし……。――まあそんなことはどっちでもイイか。よろしくな、フラン」


 翠の瞳の少女が満面の笑みでそっと差し出した手を、赤い瞳の少年は握った。――彼女の暖かい手。それは彼にとってはじめて触れる『人』のぬくもりだった。

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