15 地天の女

 灰色の靄が世界を覆う。微かな風の音が耳を伝う。左右には枯れた木々。一つのリンゴが地面を転がっている。


 そのリンゴを手にした少年は不思議そうな目で掌のリンゴと、この世界に目をやる。


「ここは何処だ?」


 青いコートの少年は、何処かも解らぬ靄に遮られた場所をリンゴを片手に重々しく歩きはじめる。


「おーい。シドー、ニヒトー」


 少年は叫ぶ。彼の声だけが空間に反響する。彼に応えるのは不気味に続く無音のみである。


「やあ。エリック・アインヒューズ」


 束の間の無音の後、何処からともなく耳を伝う声がひとつ。


「……お前は……?」


「知っているはずだ。――まあ、忘れていても無理はないけど」


 そんな謎の声の反応とは裏腹、少年の記憶には聞き覚えなど微塵もない。


 先など見えない靄の中、少年は顔を右往左往させ謎の声の発生源を探そうとしていた。


 途端――少年の心臓を突き刺した。靄から黒い手が伸びて。手に持っていたリンゴが地に落ち転がり、靄の向こうへと消えていく。


「……う……う……ああああァッ――」


 少年は貫通している黒い手を強く握り、苦痛で喘ぎながらもそれを自らの身体から離そうとする。が黒い手は彼の身体を貫いたままぴくりとも離れる気配はない。


「孤独じゃなくて孤高になれ」


 中心が激痛に苛まれる中、少年は唐突に父のその言葉を思い出す。憎い父の言葉など思い出したくはないはずなのに。


「苦しめ。これがお前自信なのだから」


 今の一言で声の主がハッキリした。声は黒い手から発されている。苦痛を堪える面差しで黒い手を見下ろす少年。歯を食い縛りそれを睨み付ける。


 少年の睨み面を嘲笑うかの如くケラケラと声を上げる黒い手。


「兄さん、兄さん!」


 何処からともなく、少年を呼ぶ声がひとつ。彼は喘ぎながらもその声に応える。


「シ……ド……――ううあァァ……ぐはッ……」


「シ……ド――シド――」


 奥歯をありったけの力で噛み合わせ喉の髄から叫びを上げた。


「シド!!」


 三度目にその名を発した時、彼の目線の先には雨を降らせる淀んだ空があった。雨粒が頬に当たりひんやりとした感覚が皮膚に浸みる。


 エリックは身体を起こし、先刻まで黒い手が貫通していた場所を見下ろす。だが――痕どころか痛みすら残ってはいなかった。


「兄さん大丈夫!? さっきからずっとうなされてたよ」


「まったく、どうしちまったんだよ」


 傍らに腰を下ろしているシドとニヒトが言う。兄は心配そうな弟の顔を見据え「俺、どんなだった?」と尋ねた。


「とにかく苦しそうだった。ううッ、あああッ。ってずっと喘いでた。何か悪い夢でも見てたの?」


 兄は自らがみた不可思議な夢の一端を彼らに説明した。


「靄のかかった空間に、心臓を貫通する黒い手……」


「しかも喋るときたか……」


 謎めいた夢の意味を思考するが、三人ともまったくもって答えにたどり着けない。


「うーん……まあ結局、俺が見たのはただの悪い夢だったのかもな」


 今のとこはこれしか導き出せそうな答えがなく、そう呟いた。

 

 瞬間――彼らの足元が隆起し、三人が一斉に吹き飛ばされる。


 高く飛び上がる中、エリックが空中で二人の後ろ襟を左手で掴んだ。地に落下する寸前――右手を突き出し雷撃を放出させ衝撃を軽減させた。


「ふたりとも大丈夫か?」


 掴んだ彼らを離すエリック。シドとニヒトはこくりと頷き無事であると主張する。しかし当のエリックは顔をしかめながら痛みを堪えていた。――昨日、女軍人リサに撃たれた痛みが未だに残っていたのだ。


「オレ達はともかく……エリック、オマエまだ傷が痛んで――」


「みぃつけたぁ。エリック・アインヒューズちゃん、で間違いないわよねぇ? うふふぅ」


 粘着質ななめ回すような声色の女は、巻き髪の長髪にスタイルの良さも相まってその姿からは艶かしさを孕んでいた。


 彼女を睨み付けエリックが闘争心剥き出しで駆け寄ろうと右足を踏み出す。が彼の踏み出した一歩は、一瞬のうちに泥水と化した地面にはまって抜けなくなった。同様に左の足元も泥水になっており身動きが取れない。


「くっ……動けね……ぇ――くそッ」


 どうにかもがいて足の泥枷を振りほどこうとするが足はぴくりとも浮かび上がっては来ない。

 

 そこに女が単身、わざわざ彼の至近距離へと近づいてきた。


 これは好機だ、と思ったエリックが左手に雷光を纏わせ、


「女性に手荒な真似はしたくないんだけど――ねぇ!」


 彼女の顔面目掛けて手を伸ばす。がひらりと避けられた後に伸ばしきった手を捕まれてしまう。


「わたしを女性扱いしてくれるなんてぇ、嬉しいわぁ」


 更には彼の右手をも掴み下手に身動きが取れない状態となってしまったエリックに、ぎりぎりの距離まで顔を近づけ舐め回すように彼の顔全体を見つめる女。エリックはそれに気味悪さを感じ睨み返す。


「つうか……お…まえ……なんで俺の名前を――」


「んふふ。いい顔。わたし惚れちゃうかも」


 目を細め妖しげに笑みを浮かべる。


 瞬間、一筋の水流がエリックと女の間の微かな隙間をくぐり地面を切り裂いた。


「んもう、だぁれ? わたし達の邪魔しないでよ」


 掠りかけた水流を後ろに跳躍しつつ避けた女は、それが飛んできた方向を見据えていた。


「んァ? 『わたし達』? 寝言言ってんじゃねぇよドアホが」


 ニヒトが言うと、女はにんまりと口元に笑みをつくる。女の双眸は何処か歓喜にも似た感情がみて取れる。


「楽しいわぁ、エリックちゃんにも会えるし、貴方みたいな血気盛んなコもいるなんて――」


 悠長に言葉を紡いでいると別の方向から銃弾が彼女目掛けて猛攻する。が土の壁を瞬く間に隆起させ銃弾の猛威を一弾残らず防御した。


「くそっ、さっきの地面を泥水にする技で解ってはいたけどやっぱり憑依使い――しかも僕達にいきなり襲いかかって……いったい何者なんだ」


 土壁を沈降させ声のする方向に顔を向ける女。するとその顔を見つめ喜々とさせた面持ちはそのままに口を妖しげに開く。


「そこの小さな男の子ったら、しりたがりなんだからだぁ……もぅ、教えたげる。わたしは――」


 言いかけると同時に、妖しげな笑みを浮かべていた口元の口角が少し上がり、謎めいたも笑みへと表情をつくりかえ。


十二核ダースコアの一人、地天のプリティヴィーよ」


 自らをそう名乗った。

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