09 潜入開始

 夕刻も過ぎ、月が昇る。空は暗晦と星々の瞬きに染まり、ルーデリアの時計塔も九時手前を座す。


 特に飾り気のない正門の両脇に剣を携えた軍服の男が二人。その門の先に、軍駐屯地がある。訓練などで使用される広いスペースの奥には、正面から見ると横長の長方形の形をした建物がある。

 その建物には白一色の外壁に幾つもの窓が並列している。九時手前だというのに未だほとんどの窓が明かりを灯している。


「はっ、巡回でありますね」


 門を開けながら右脇の男が言うと、あくびをしながら二人の男が開いた門から出てくる。


 一人は長髪、一人は眼鏡の男である。


「ふあぁー、今から巡回とかろくなもんじゃないぜ。いったい何時だと思ってんだか。――毎日残業がザラにあるわ、上のもんの人使いは荒いわの。唯一の取り柄と言えば給料が良いことくらいだぜまったく」


 長髪がだるそうに、眠たそうに頭を掻きなが言うと眼鏡が真面目そうな双眸で彼を睨む。


「確かに貴方の言うことは事実です――が、そのような怠惰を口に出してはなりません。私達軍人は国のために尽力せねばならないのだから。例えそれが巡回だとしても気を抜いてはならないのです」


 その講釈が嫌でも耳を伝った長髪は、どうでもよさそうにため息をしてみせる。


「あのなぁ、大体お前はは――」


「キャー! 助けて!」


 正門から少し離れた所から何処と無く気持ち悪さを孕んだ中性的な声が木霊する。彼らは周りを見渡し、携えた剣の柄に手を添える。


「こ、こっちです! 軍人さん!」


 おそらくは女の声……だろうが、違和感にも似た何かがその声には汲み取れた。妙に裏声っぽいと言うか、例えるならまるで男が無理をして女の声を出しているような――気がしなくもない。


「――行って……みるか?」


 不安そうに眼鏡を見て、肯定を求める長髪。


「ええ……行ってみましょう――あれがもし本当に苦しんでいる女性なのなら見逃すわけにはいきませんが……」


 怪しそうに声の発生源である木立に目をやると二人は恐る恐るそれに近づいていく。


「キャー、あたしもうダメかも……」


 木の裏から発される女であろう何かの声。――近づくにつれ二人の耳に入るその声が鮮明なものになっていく。


 木立の中、緩やかな足取りで進む彼ら。ようやく声から一番近い一本の木に近づいた。


「「大丈夫ですか?」」


 二人が声を合わせるとともに木の裏に懐中電灯を当て、確認するがそこには人の姿など一つもありはしなかった。


「あれ、いませんね」


「やっぱ誰かのいたずらとかだったんじゃねえの?」


 来て損した、とため息をする長髪。その思いが無意識にだるそうな表情にも顕現していた。


 ――と、彼らが肩を落とした瞬間、


「ちょっとごめんよ、暫くの間寝ててもらうぜ」


 並んだ彼らの両頭を両手でで握り電流を発生させる何者かの姿があった。


 彼らは手も膝も付くこともなく瞬く間にバタンと倒れ込み意識を失った。


 電流の主はエリックだ、何時間か前に立てた作戦通りに事を進めている。


「よし、これで軍服が二着手に入ったな」


 呟くと、後ろから少し離れた所で兄を見守っていたシドが近づいてくる。


「やっぱり申し訳ないなぁ……ごめんなさい」


 気絶している彼らに申し訳なさそうにしてぺこぺこと頭を下げまくるシド。


「まあこうでもしないと――軍に潜入するなんてのは不可能だからな」


 言いながら長髪の男の軍服を剥ぎ取りせっせと着替えるエリック。


 ――小銃に身分証明、それと……これは?


 身に付けた軍服のポケットを確認していた。一つ明らかに軍の仕事とは関係のない金属のような感触の何かに手が当たる。


 エリックがそれを取り出した。それは写真入りのペンダントだった。丁寧に扱ってきたのだろう、傷ひとつ付いてはいない。


 ――笑ってる女性とのツーショット、大切な一枚なんだろうな。


 と取り出したそれをまじまじと見つめながら思うと、ポケットに入れ直すことなく、ペンダントをパンツとシャツ一枚だけになった長髪の胸元へとそっと置いた。


 その横でシドも眼鏡の男の軍服を身に付けた状態で立っていたが――ここで想定外の問題にぶちあたる。


 身長がまだ伸びきっていないシドにとって軍服はまだ少し大きいのだ。


 余る裾に袖、辛うじて着てやれないことはないが、ぶかぶかで不自然極まりない。


「兄さん――どうしよこれ」


 と助けを求める眼差しのシドだったが、


「――諦めろ。バレない方向に賭けるんだ」


 と言われ不自然な装いを我慢する他なく渋々「わかった」と言い放った。


 シャツにパンツ一枚の彼らを背にして、木々を抜ける、駐屯地正門まで近づいた所で両脇の軍服の男に話しかける。


「門を――開けて欲しいだけど……」


 明らかに怪しく、たどたどしく左脇の男に迫るエリックに彼はあからさま警戒をする。


「貴様、本当に軍の者か……?」


「み、見りゃ解るだろ? ほらこの服――」


「名前は!――言ってみろ!」


 夜の静寂に無駄に響く大声で怒鳴る左の男、心なしか右の男が少し引いているように見えなくもない。


「エリッ――エリーゼであります!」


 男のぴりりとくる声に思わず背筋をぴんと伸ばして言う。

 

 続いて男は目付きの悪い双眸で傍らのシドを睨み付ける。


「特に隣の貴様! 怪しい!」


 そりゃそうだ。軍服のサイズが明らかに合っていないのと見慣れない顔なのが相まって尚更だ。


「ぼっ、僕は――シーディアであります!」


 彼もまた背筋を伸ばし呼応する。――びんとした彼らに近づき舐め回すように目付きの悪くして彼らを見る。


「少しよろしいでしょうか?」


 と右脇の男が声を発した。


「なんだ!」


 怪しげな二人を前にやはり不機嫌そうな左脇の男が返事をする。


「もしかして彼ら、特別入隊の方々なのでは? 以前もこのようなことがありましたよね?」


 はてそうだったか、と腰に手を当てて、顔を下に向け思考する左の男。


「そうなのか?」


 と顔を上げ兄弟の顔を見返すと彼らは少し戸惑い気味であったが、


「そ、そうだ。特別入隊だ。な、シド――じゃなかったシーディア!」


「そ、そうなんです。実は僕達特別入隊で」


 慌てふためきながらも右の男が言った『特別入隊』なるものに便乗しなんとか取り繕ろう彼らに押し黙る左の男、短い沈黙の後にきつい表情を緩めて、


「なんだ特別入隊かよ! そうならそうと早く言ってくれりゃ良かったのによぉ、がはははははは」


 と豪快に笑い、なにやら喜び気味で門を開ける。


 開いた門から彼らは、駐屯地の敷地内へと足を踏み入れる。


「解ってるとは思うが、特別入隊ってことは元帥がお前らの腕を見込んだってことだからな。――なによりうちの駐屯地にそんなやつが三人もいるってんだからここも安泰だよな! 噂じゃレフィーナには特別入隊のやつが五人もいるらしいからな、ルーデリア駐屯所も負けてられないよな! てなわけで頑張れよ新人!」


 彼らを仲間と見た瞬間に饒舌になる左の男にエリックとシドは下手な愛想笑いをしながら「急いでるから」とだけ言って駐屯地の奥にある白の建物の中へと入っていく。

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