05 夜の静寂にて
唐突にニヒトを小脇に抱え、地下にある反対側の梯子から逃げ去ったエリック。
それから月が高く昇り空が暗黒を映すまでに経過したころ、路地裏にある喫茶店テスラの二階のワンルームにてエリックとシドが隣り合わせで座り、向かいの席にはアールイともう一つ見慣れない顔が彼と隣合わせでダイニングテーブルを囲む。
「と、言うわけで。連れて帰ってきた」
エリックが両手を叩き言う。
「それでお前さんがこいつを連れてきたってワケか」
納得したようにアールイが頷く。がしかしシドだけは不服そうな、と言うよりは何処となく納得してなさげな顔をした。
「ええと、じゃあつまりさっき兄さんが言ったことをまとめるとこの人を連れて帰って帰ってきたのは体内から青い血を出していたから、皮膚が尋常じゃないくらい固かったから……ってことでいい?」
弟は兄を一瞥し返答を求める。
「確かにそれも気掛かりなんだか……あと一つ最も重要なことが――」
眉をひそめ唾を呑むエリック。いたって真剣な面持ちで隣のシドの双眸を見つめる。
「知ってるんだよ――ヴィンクリードのこと」
エリックが言うとシドは血相を変え目と口を大きく見開き、
「父さ……いや、ヴィンクリードを知っているだって!?」
と驚愕と疑念を隠しきれない声でシドは言い片目を覆い隠すほどに伸びた白髪に赤い双眸、華奢な身体の見慣れない顔の少年、ニヒトを胡乱げに凝視する。
「知ってるもナニもねぇ……なんなら思い出したくもないケド」
苦い顔をして頭を掻くニヒトを他所に「よっこらしょ」と若干ジジ臭い掛け声と共に立ち上がるアールイ。
「血が青いとか、身体が固いとか、ヴィンなんとかやら。儂にはよう解らん。下に戻らせてもらうよ」
言うとアールイは痛そうに腰を押さえながら下の階へと降りていった。
言葉には出さないが『少年三人の会話の中に入り込んでしゃしゃり出ても邪魔になるだけ』と思い彼なり気を遣ってくれているのだろう。エリックはそんな彼の些細な気遣いを汲み取っていた。
鋼鉄の身体に青い血に『ヴィンクリード』の名を知っていることに。どれもこれも気掛かりであるがシドがまず初めに訪ねたのは、
「青い血に尋常じゃないほど固い皮膚……一体何者なんだ」
彼自身のことについてである。その情報からでもたたの人間ではないことは容易に想像できるのだがなにせ詳しいことが解っていない。
それを聞かれるとニヒトは眉を顰め目先がじっと部屋の床に向く。
「オマエらが勘づいてる通りだ。『オレ達』は人間じゃない。――造られた生命体なんだ」
言うとニヒトは懐から畳んだままのとある資料を取り出すとダイニングテーブルの上に広げる。畳んであるとそうでもなかったが広げるとそれなりの大きさのある資料だった。
アインヒューズ兄弟が食いつくようにして見入る。
見出しにはでかでかと『機密:人工生命プロウム』とエルピア語(英語によく似た言語で十二の国と地域で公用語として使われている)で記されている。
その資料にはなにやら見慣れない人体図が描かれていた。
よく見ると人工的に人間を製造するための設計図のようなものだった。
しかしこの資料に記されている事柄は明らかに現代の科学では到底成し得るはずのない並外れた技術ばかりでさながらオーパーツだ。
五感を徹底的に再現するセンサーに加え、完璧なまでに人間よりな容貌を可能にする技術。
これらも相当この時代にそぐわない技術であるが、 なにより技術的に群を抜いているのは、頭部に搭載されている人工的に人間の知能を再現する機構である。
「これ凄いな……技術もそうだけど何もかも未知数だ。人工的に人間を製造する設計図だよな? 皮膚の構成成分の八十パーセントが鉄で、青い液体燃料による生命維持、ってこれ――」
ニヒトを凝望するエリックに限りなく近い確信があった。
間違いない。この人体図は――
「お前の身体……だよな」
息を呑み伏し目がちなニヒトの目を見据えて同意を求めるが彼の表情は依然曇り気味なまま口を開こうとはしない。
その沈黙から数秒ほどの時が流れニヒトがようやく鉛のようになった口を動かす。
「――そう、だ。オレ達人工生命『プロウム』の設計図だ……」
小声で言葉を紡ぐと更に続けて、
「そしてオレ達を造ったのが、ヴィンクリードだ」
兄弟は眉を上げ驚愕とし、開いた口が塞がらずにいた。
「何……ヴィンクリードが――」
「オマエら、さっきからまるでヴィンクリードのことを知ってるみたいな口振りだが?」
ニヒトが訪ねるとエリックとシドは顔をしかめ下を向く。
「父親なんだ……俺達兄弟の」
喉から声を絞りだすエリック。あの嫌忌すべき惨たらしい彼がが父親だなんて言葉にするだけでも彼にとっては反吐が出そうだった。
それを聞くや否やニヒトは向かいに座るエリックの胸ぐらを掴み、
「オマエが……オマエの父親が――」
悔しさと後悔をない交ぜにした瞳で彼ら兄弟を睨み付けるとその言葉に続けて、
「オレ達を殺したんだぞ!!」
怒気と愁傷を含ませ叫ぶ。唐突に叫ぶ彼に兄弟は一抹の疑問を感じた。
「いや、でもお前さっき……造ったって言わなかったか?」
エリックが訪ねると掴んでいた胸ぐらから手を離し高潮する感情を落ち着かせるニヒト。小さく息を吸うと口を徐に動かす。
「いわゆる口封じってヤツ」
「なんのだ?」
「それまでは解らない。ケド仲間の一人が秘密とやらを知っちまってさ、全員疑われて全員殺された……オレ以外はな」
「お前以外?」
エリックがそこに疑問を抱き聞き返すとニヒトは赤い瞳で徐に自らの瞳の先に見えていた無念を睨んでいた。
「――逃げ出したんだ、仲間を見捨てて。怖かったから。勇気なんてなかったから。本当は助けたかったなんて、今更口が裂けても言えねぇ。それから逃げても結局あの野郎に捕まって牢にブチこまれたなんてもっと言えねぇ」
かつての仲間のことを思い出していたのだろう。妙に感傷的な顔をする彼の面持ちには何処か寂しさが纏わりついていた。
それを察した兄弟は、他にも幾つか気掛かりなことはあったがあえて何も聞くことはなく沈黙を貫いた。
気まずさと隣り合わせの中、沈黙を破ったのは、
「それと、悪かった。息子であるオマエ達を攻め立てたりして。お門違いだった」
と落ち着き交じりに言うニヒトの一言だった。それに対し兄弟は手を横に振り「いいよ別に」と気にしてなさそうにして言った。
◆◆◆◆◆◆
二階の部屋から電気の明かりの一切が消え、カーテンを閉め忘れた窓からの月明かりと星々で淡くうっすらと照らされる二階のワンルームにて敷かれた布団の上でエリックとシドがぐうすかと眠っている。
その傍らの窓際でニヒトは一人、夜に浮かぶ静謐な星々と孤高に煌めく月をただじっと眺めていた。
そんな夜、エリックが目を覚ます。横目で窓際のニヒトを見るなり立ち上がり彼の隣へと腰を下ろす。
「なんだよ、オマエ寝ないのか?」
ニヒトは不思議そうにエリックの顔を見て訪ねた。
「なんか寝れなくてさ」
「寝れない? 機械でもないのにか?」
「人間だって寝れなくなったりするんだよ」
「そんなモンなのかねぇ」
「そんなもんだ」
明かりもない一室のしじまに二人の静かな声が微かに響く。彼らは静謐に浮かぶ星の数々をただじっと眺めている。
「なあ、オマエ――どうしてオレを殺さなかった」
「それは……お前がヴィンクリードのことを知ってたからな」
「なんでオマエらは父親であるヴィンクリードにそうも執着してるんだ?」
ニヒトのその質問に少し苦い顔をし星々を睨み付けるエリック。
「あの野郎は母さんを殺した」
「復讐ってヤツか」
「いいや、ちょっと違う」
首を横に振りながらのエリックのその言葉が予想とは違う回答だったのだろう。ニヒトは意外そうな表情をしてみせた。
「じゃあなんだ?」
「なんで殺したのか。本人の口から聞き出さなきゃ気が済まなくてな……そりゃ恨んでるし憎んでるし――けど」
「けど?」
エリックは確かに覚えていた。七年前の母の言葉を。
◆◆◆◆◆◆
そこにはエリックとシドがいて――母の話を聞いていた。けれどその時彼らは何処にいたのか。日が昇り大地を溌剌と照らしていた時だったか、はたまた暗闇と共に月が顔を出していた時だったのか。そこまで覚えてはいなかった。
母は彼らの頭を優しく撫でる。彼女の純朴な笑顔のもとでまだ幼い兄弟は心を安らげる。
「生きてればいいことも悪いこともある。けどね、覚えてて。人を恨んでは駄目よ。それから自分も恨んでは駄目。恨みを抱き続けても悪い流れを繰り返してしまうだけ、だから――」
その後も母は何か続けて言葉を紡いでいた気がするのだが、どうにも思い出せない。
◆◆◆◆◆◆
「だから母さんはきっと復讐なんか望んでいない。そりゃあ一時期は殺してやる、って思ってた時もあったけどな」
そんなエリックの決意に似た言葉を聞いたニヒトは、
「オマエ、強いんだな」
と言うと一度は彼を見据えたが再び数多の星々に目を移す。
「そうか? まだ未熟者だ」
エリックがニヒトに目を移すが彼は窓越しの星をじっと見つめ一向に目線を合わせようとはしない。
「仇を殺さないだなんて。オマエの母さんもイイ息子を持ったもんだな」
「そう思ってくれてるといいけどな」
言うとエリックは再び窓越しに煌めく星達に視線を戻した。
無数の星々が瞬く夜空でエリックは無意識のうちに明滅を繰り返す星をただじっと見つめていた。
一方ニヒトは星々を凌駕し孤高に煌めく満月に心を惹きつけられていた。
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