04 水の憑依使い

 リテロに導かれ向かった先はモールの雑踏から少し離れた人の影もなくただ薄暗く野良猫の鳴き声が木霊する路地裏だった。


「ここにいるのか?」


 エリックが聞くとリテロは無言で真下のマンホールを指差し

た。


 が、彼はその意味が解らずきょとんと首を傾げる。


「……は?」


「この下だ」


 きょとんとさせた首が元に戻らないエリック。やはり彼の下に指した指先の意味が理解できないといった具合だ。


 ――は? 逃げ出した囚人はマンホールの下にでも住んでるってのか?


 と思う彼の心の声が聞こえたかのように丁度良いタイミングで。


「ヤツはマンホールの地下道にいる」


 とリテロが言う。いやいや待て。人がマンホールの下にいるってマジかよ、と思いつつもエリックは彼の言葉に頷くといとも容易く宛ら牛乳瓶の蓋のようにマンホールを外すリテロ。


「よし、行くぞ」


 とだけ言いマンホールの穴から見えた梯子を伝う。エリックも若干戸惑いつつも彼の後に続いた。

 

 遂にマンホールの地下の真下まで到達し梯子から降りるとくるぶしくらいまである水浸しの地面に革の靴が触れる。足に染み込む水の感触にそこはかとなく気持ち悪さを感じる。


 辺り一面を見渡すとそこは薄暗く刺激的な臭味が鼻につく。天井には幾つかの土管が入り組んでおりおまけに所々から鼠の鳴き声が木霊するときた。


「ニヒト・ラリア! いるのなら出て来て貰おうか! 私は軍の者だ!」


 いきなり突拍子もなく叫びだすリテロ。鼠の鳴き声同様、なんならそれ以上に彼の声は地下に木霊する。


「お、おい。いきなり叫んでいきなり奇襲かけられでもし――」


 とエリックが言葉を紡ぎ終わる前に水の渦が瞬く間に一直線に彼らへと迫ってくる。二人は速度と余勢のある巨大な水の渦を辛うじて避けた。


 人が一人包み込まれそうなくらいはある水の渦が壁に直撃するとその衝撃でけたましく地下全体に響く水音。壁に直撃しただけでこの爆音を轟かせるものが人に当たりでもすればただじゃ済まないことは明らかだ。


「ったく、メンドくさいなぁ」


 地下の何処からともなく男だということが辛うじて解るほどの中性的な高い声が木霊する。

 

 響いたそれと共に一人の少年が天井からこちらへと降下する。

片目を覆い隠す白い髪、赤い瞳、華奢な身体。一致する、三日前にリテロが見せた写真の少年だ。間違いない。写真では解らなかったが身長はおおよそエリックと同じくらいである。


「囚人番号二百四十九番、ニヒト・ラリア。お前を機密資料持ち出し及び脱走の容疑で逮捕――」


 と言い終わる前に逃げだした囚人、即ちニヒトが、


「ほんっとウルサイんだから。んでこっちの青コートは誰よ?」


 エリックを指さして言う。


「俺はエリックだ。要件は隣の軍人とおんなじだ」


 言うとニヒトは咄嗟に両手の掌の内に野球ボールくらいの二つの水の泡をつくりだし、エリックとリテロ目掛けて投げつける。

 回避できたのは良いものの壁にぶつかり泡が破裂する時、相当な破裂音が響く。さっきの渦ほどではないがお手軽サイズにしてかなり強力な技だ。


「すんなり戻ってきてはくれないか」


 エリックは両腕に付けた腕輪がしっかりはまっていることを確認すると幾らか離れているニヒト目掛けて猪突猛進に走る。

 それに合わせてニヒトは水浸しの地面に片手の掌を合わせる。


 走るエリックの目の前を高く勢いのある水柱が立ち反射的に足を止める。


 水柱は顕現すると共に瞬く間に霧散した

 

 また水柱が湧き出てくるのを懸念して正面からではなく横から進もうと横に足を踏み込んだその瞬間、またしての目の前に水柱が上がる。顕現してすぐ霧散するのには変わりはないが歩を進めようとした方向に的確に柱が立つため進もうにも進めない


「くそっ、あいつ水の憑依が使えるのか。なら『ここ』で戦うのは不利だな」


 相手は水の憑依使い、即ち水上では自らの属性を使い地下の水をある程度自在に操ることが可能となる。

 この敵にしてこの場所、厄介だ。


「どうした? 来ないのか?」


 手招きをしあからさまに挑発をするニヒトだったが勿論そんな解りきったものに乗るほどエリックも滑稽ではない。


 地面に片手をを付け、雷光を轟かせその反動で上空の土管まで飛び移るエリック。土管の上ならば水の猛威に曝されることもないだろうと考えた。それに、


 ――ここからなら撃てる!


 と心中で呟き土管の上から、遠近法で小さく見えるニヒトに向かい掌を合わせさっきよりも幾数倍も強力な雷を纏わせる。


 その時、雷撃は掌からニヒトが立っていた方向に一直線上に放たれた。嘶く雷光により薄暗い地下が明滅を繰り返し囂々と響き渡る雷鳴で埋め尽くされた。


 ――これならやつも無事じゃないはずだ。


 そう思うエリックだったが崩れ落ち抉られ積み重なった地面の瓦礫や破片からがさごそと物音がする。間違いない、彼はまだ動けるようだ。


 覆い被さった瓦礫や欠片の山を押し退けて倒れ込んでいたニヒトが起き上がる。身体は傷だらけでボロボロになっていたが当の本人はまだ余裕そうであった。


「これくらいじゃ、ヤラれないよ」


 ニヒトは顔に笑みをつくり土管の上のエリックを追うべく壁を上を伝い走る。


 ニヒトの姿を見て驚愕するエリック。そりゃあ壁を走る人間がいることも十分驚愕の対象ではあるがそれとはまた別のこと、そう。


 ――彼の身体の傷口から垂れ流れる鉄臭い液体、生命の源である血が青い色をしていたことである。


 しかしいつまでも目を見開いて驚いている場合じゃない。眉をひそめ壁を伝いこちらへと向かってくるニヒトをエリックは目で追う。


 ニヒトは伝っていた壁を蹴り器用に土管へと着地するとエリックの立つ方向へと一直線に走り出した。


 彼が近づいてくるのに合わせて身構えるエリック。


 駆け走る勢いに合わせニヒトから突き出される正拳が視界のど真ん中に見えて慌てて後退るエリックだったがそれにより少しばかりバランスを崩してしまう。


 その一瞬の隙を待っていたと言わんばかりにニヒトは素早くエリックの下腹部へと攻めこみ、下から上へ抉るようなアッパーの一撃を顎に直撃させた。


 ――うっ……固すぎだろ。


 ニヒトのアッパーを食らって真っ先にエリックが思ったのはとても人間の皮膚の固さじゃないと言うことだ。まるで鉄でも食らったかのような感覚だ。


 ――さっきの青い血といい、鉄のように固いパンチといい。多分やつは普通の人間じゃねぇ。


 と思慮を巡らせていると頬に正拳が直撃しそうなほど近づいているのに気が付いてニヒトの正拳を掌で受け止めるエリック。

掌で受け止めたのにも関わらず異常なほどに痛みが残る。


 ニヒトの拳を掌で握ったままエリックが問う。


「お前、なにもんだ」


 彼は眉を顰め、彼の赤い瞳をじっと見つめ真剣な面持ちで睨むと、


「……別になんでもイイだろ」


 さっきまで笑みをつくっていたニヒトの表情はその質問をするや否や曇り出し顔を俯かせた。


「ま、話したくないんならいいけど――さ!」


 ニヒトが顔を俯かせている隙に一本背負いをかますエリック。土管の上に倒れ込むニヒトはエリックの足を掴み力強く引っ張る。


「おいこのっ、離せ!」


 土管の上でじたばたとするエリックは次第にバランスが取れなくなっていく。エリックがバランスを維持するため片足を上げたのと同じタイミングでニヒトが掴んでいたもう片方の足を思いっきり下へと引っ張った。


「うあっ!」と声を上げながら水浸しの地面に落ちるエリック。


 エリックが仰向けに倒れていると真上からニヒトが降下してくるのが見えたので急いで倒れた身体を回転させ距離を取った後に立ち上がる。


 足元からブクブクと音がする。それに気がついたエリックが水浸しの地面を見ると自分の真下だけが泡を吹いていた。


 ――攻撃の予兆だ。

 気付いた時にはもう遅かった。地面から天井を突き抜けそうなほどの、さっきのとは比べ物にならない高く勢いのある水柱がエリックを吹き飛ばし全身が薄暗い天井に叩きつけらる。その音が地下の薄暗い闇に囂々と響く。


 エリックは硬い地面に勢い良く倒れ、水音を立てながら飛沫を上げる。

 うつ伏せの状態から起き上がろうとするが思うように力が入らない。拳を辛うじて動かせる程度で後は皆無だ。


 欠伸をしながら倒れこむエリックに近づくニヒトは何かを握り締めた手を力強く挙げる。


「これで シマいにしてやる!」


 ニヒトが挙げた手を振り下ろそうとしたその時だった。


 彼の身体全体が電流のような痺れに蝕まれ、爪先から全身までの動きが封じられた。見えざる何かに自由を束縛されたニヒトは動くことも出来ずにいた。


「オ、オマエ何をした!」


 無言で地面を指差すエリック。水浸しの地面一帯がビリビリとした電気を帯びていたのだ。たったさっきまで振り下ろそうとしていたその手でさえ硬直してぴくりとも動かない。


「水は電気をよく通すからな」


「チッ――」


 ニヒトが舌打ちをし、身体は動かせないながらもエリックを強く睨んでいる。少しは回復してきたエリックが掌に力を振り絞り重々しく立ち上がる。それを端から見ていたリテロは少しだけ驚いた様子で眉を上げる。


「お前、帯電した水の中で動けるのか」


「憑依使いってのは自分が使う能力と同じ属性にはある程度抗体が出来るんだ――ってか少しは手伝ってくれよ、リテロさん 」


「私は戦わないのでな。――それにしても憑依というものは珍妙奇天烈なものだ、私には理解できない」


 何処か呆れたような物言いなリテロ。後は任せたと言わんばかりに煙草を吸い始める。まあ今までも入り口の梯子の前で立っているだけで特に何もしてはいないが。


 痺れで動けないニヒトの腹部に掌をのせるエリック。


「悪いけど、こっちにも事情があるんで――」


「何も!――何も知らないクセに!」


 ニヒトの叫び声に眉を上げ驚いた表情をするエリック。思わず彼の腹部にのせた掌を離した。


「何が事情だよ! 知ったコトかよ! 俺達の受けた屈辱と侮蔑を知りもシナいでさ!」


 心の奥深くから放たれる咆哮にも似た叫びがエリックをたじろがせる。


「どうせ知らないんだろ……盗み出した機密資料の内容なんて」


 端から彼らを見ていたリテロの片眉がぴくりと上がり如何にも何か引っ掛かることでもあるといった具合だ。


「――ヴィンクリードの野郎さえ居なければ……」


 そう呟くニヒト。リテロの『引っ掛かること』は確信になり両眉を上げ目を見開き驚愕する。その傍らエリックもまた驚愕の表情を見せていた。


「ヴィンクリード……知ってんのか」


 顔をしかめ地を這うような低い声で言うエリック。何かに感づいたリテロは「まさか」と呟き表情に焦燥感を纏わせる。


「知ってるもナニも、『オレ達』にとっちゃ悪夢そのものよ……」


 ヴィンクリード、間違いない。父の名前だ。母を殺し恐らく今も何処かで自分だけのうのうと生き続けているであろう呼ぶのも憚る忌まわしい彼の名だ。

 エリックはそれを思い出すだけで吐き気を催したが喉まで来た嘔吐物を歯にぐっと力を入れ堪えた。


 すると帯電で動けないニヒトを突然小脇にに抱えるエリック。


「オイ! ナニしてんだよ! 離せよ!」


 まだ体内の麻痺する感覚が残っているのか小生意気な口だけが達者でも身体はぴくりとも動かない。


 両足に雷光を纏わせ地下に来る時に使った梯子、即ち今リテロが立っているのとは反対の方向にクラウチングスタートの体勢を取るエリック。


「わりぃ、取引はなしだ!」


 とエリックは幾らか離れているリテロに向かい言う。


「おい待て!」


 エリックに向かい叫ぶと同時に掌に暗黒の靄を纏わせるリテロ。


 ――!? あれは……憑依か?


 リテロの纏う暗黒の靄に多少驚きはしたが今はそれどころではない。なにせ赤目の少年の人ならざる青い血や鉄のように固い皮膚――にしてもそうだが、何より彼が放った「ヴィンクリード」の名。それが妙に気がかりだ。


 両足から雷光を轟かせニヒトを抱えながらその反動で高く飛ぶ。壁を蹴り土管を伝い反対側にもあると思われる梯子を目指す。


「させるか!」


 暗黒に覆われた掌から瞬く間に暗黒の槍を水平に顕現させ遠くへと逃げんとするエリック目掛けて投擲する。

 

 壁や土管を伝い颯と飛び跳ねるエリックは間一髪の所で掠りかけていた槍を空中で身体を捻り回避すると真下にあった土管に手を付け掌から雷光を発生させる。その反動で更に遠くへと逃げ去った。


 壁や土管を伝い機敏に逃げ去るエリックを見失い、リテロは一人舌打ちをした。


「ヴィンクリード……いいやまさかな」


 彼は機密資料の内容やその旨こそは知らずとも、ヴィンクリードと言う名には幾らか聞き覚えがあったようだ。

 

 そしてエリックを逃した無念さを少しでも塗り潰すためと言わんばかりに煙草をもう一本吹かそうとしてオイルライターの蓋を開けホイールを回すが火が上手いこと顔を出してくれない。幾度か回し続けるとようやく小さな火が顔を出した。


 辺りは煙草の煙で包まれ、男は追想にふけていた。


『救いたくば、己が命を削り、力を得よ』


 その言葉がリテロの脳裏を反芻する。


 あの日差しのばされた『黒い手』をもっと早く取っていれば。


 自らの掌を凝視し、睨み付ける。


「思い出すから嫌なんだ、『この力』を使うのは……」


 薄暗い地下に響く男の呟きは、底知れぬ後悔の念を纏わせていた。

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