01 負けられない戦い
三年前
のどかで平穏なサターニ村で、大きな風車が今日も変わらずゆっくりと回る。
牛ののんびりとした鳴き声で村のみんなの一日ははじまる。
村における牛の鳴き声は村人に朝を知らせるサイレンでもある。
そんな村の中、牛の鳴き声でも目を覚まさない少年が一人、結んだ長い黒髪に透き通るようで鋭さも兼ね備えた青い目。少年の名はエリック・アインヒューズ。
鼻提灯を浮かべ布団の上で眠る彼の身体をゆする。それでも彼に起きる様子はない。
「兄さん起きて、もう牛も鳴いてるよ」
耳にかかるくらいの短い黒髪に、透き通るようで優しさも兼ね備えた青い目の弟シドが兄の身体を揺らしている。
「んん、もう朝か」
花提灯がパンと割れと同時にエリックの目も覚めた。
「そうだよ。兄さんここ最近全然起きないんだから、大丈夫?」
「ちょっと疲れてんのかもな、この五日間『試験』続きだったしな」
『試練』とは対戦相手と総当たりで七日間戦う、というものである。
試練の参加者は皆『憑依』と呼ばれる特集能力を扱うことが出来る者のみである。
試練で優勝すれば正式に『憑依使い』として認定される。
エリックが枕の側のプリントを手に取る。
「勝たなきゃ終わりだからな、なんとしてでも負けられない」
彼の見ていたプリントをシドが横から覗き込んだ。
プリントには今日の試合相手の大まかな情報が記されていた。
「今日の相手ってあの――」
「ああ、ジミー・ベルトリックだ。あいつも俺も互いの良いとこも悪いとこも昔から良く知ってる。こいつだけには負けられねえ」
ジミーとは本当に小さな頃から一緒にいて、互いに切磋琢磨しあった。今でも思い返せば笑えるように愉快な出来事が沢山ある。
「うん、学校があるから見に行けれないけど僕も応援してる。あっそうだ、母さんに朝御飯が出来たから兄さん起こしてこいって言われてたんだった」
持っていたプリントを枕元に置き、エリックがベッドから立ち上がる。
「よし、飯食うかー」
「うん」
サターニ村の空は青く、暖かな陽光が一日のはじまりを照らしていた。
◆◆◆◆◆◆
「ごちそうさま!」
朝食を食べ終えるや否や庭へと小走りで向かうエリック。
「ふぅぅ、はあ!」
憑依の練習を始めた。憑依とは本来そのものには備わっていない力を付加するものである。平たく言ってしまえばいわゆるエンチャントの類いの物だ。
エリックの場合、『雷』を憑依させることが出来る。
戦闘の際は両手の掌に憑依させて戦うのがエリックの戦法だ。
「くそっ、もっと早く掌に雷を憑依させることが出来れば使い方も多様化できるのに」
『憑依自体はまだ未熟だが筋はいい』と昔、父に言われたのを唐突に思い出した。そういえば父は腕利きの『憑依使い』だったっけな。父さんと来たら前にこの家を出てからというものの一度も帰ってはこない。
エリックにとって最後の父の記憶はもう八年もの前のことであった。
いくら強い『憑依使い』だったとしても一家の大黒柱としての顔も立てられないんじゃ面目もないだろうに。
◆◆◆◆◆◆
新緑の広がる庭で、憑依の練習を続けていた。もっと速く、もっと強くならなければ。生半可な業と心意気ではジミーには勝てない。
「エリック」
鍛練に鍛練を重ねるエリックの後ろから落ち着いた母の声が聞こえる。
「ん?」
振り向くと長くしなやかに伸びた金髪に透き通るような碧眼の母がいた。母の姿は年を重ねてもなお気品さを失っていない。
「渡したいものがあるの」
何の脈拍もなく唐突に母は言う。
母はエリックに近づき、何かを持っているであろう後ろに回していた手を前へとバンと出した。
「じゃーん」
彼女が見せたのは若干年季の入った群青色のロングコートと革靴であった。何処となく懐かしい。知るはずもない過去を思い起こさせるような匂いがする。
「このコートも革靴も昔私が身に付けてたモノなの、若い子に着けてもらったほうが着る物も喜ぶと思うし、なによりエリックに似合いそうだからあげる」
「でもどうしていきなり?」
「なんとなく」
母は昔からこういう所がある。『なんとなく』とか『そういう気分』とか。勘にも近い感覚で行動を決定する。でも不思議とそれで上手くいってしまう。母は凄し、である。
「まま、着てみてよ」
渡されたコートにエリックは袖を通し、革靴を履き靴紐をきつく結んだ。
「似合うじゃない、エリックにあげて正解だったかしら」
「でもなぁ」
「もしかして、嫌だった?」
「嫌、じゃないけどちょっとコートが大きすぎる気がするんだよなぁ」
「もうちょっと大きくなれば丁度よくなるわよ、多分」
多分ってなぁ…やっぱりアバウトだよこの人。
くるぶしまである長いコートだが着た感覚としてはシルクが心地よく身体を全体を包む。悪くはない。革靴は走っても問題のない造りになっていて広い用途で使えそうだ。こちらはコートの方とは違いサイズは丁度いい。
エリックが身に付けた靴とコートをまじまじと見つめていると母が
「気に入った?」
と横から口を挟んできた。
「着てみると結構よかった。その…ありがとう」
彼は多少言いづらそうに言葉を詰まらせながら言う。
十四歳にもなると母親に素直な『ありがとう』を言うのが照れ臭かった。
「いいのよ」
寛容さと慈愛に満ちた母の笑顔がそこにはあった。
「今日も試験、見に行くからね」
「わかった」
見に来てくれるのは嬉しいけどいくつになっても親に自分の真剣な姿を見られるのは何処となくこそばゆいものだ。
◆◆◆◆◆◆
「さあ始まりました! 憑依使いによる憑依使いのための『憑依戦術試験』! 十五歳以下の憑依使いのタマゴ達が鍛え上げた憑依の業を振るうべく各地からここサターニ村の集う! 灼熱の勝負の火蓋を切る第一戦目は――」
今日も変わらずナレーションがうるさく試験会場であるコロシアムの外にまで響く。
『試練』という堅苦しい名前とはかけ離れている。
テンションの高いナレーション、全国から集まる血の気の多い観客。もはや試練と言うよりはさながら格闘技の大会だ。
のどかなサターニ村で唯一集客が見込める場所でもある。毎年このためだけに何千もの人がここに集まる。
ポケットから取り出した懐中時計で時間を確認する。試験開始まであと五十分もある。
コロシアム入り口の大門の両脇には衛兵が二人が重々しく剣を持ち立っている。
「相変わらずでけぇ、それに騒がしいな」
「確かになぁ、でもいいんじゃない?」
エリックの横から聞きなれた声がする。
ジミーだ。今回の対戦相手でもあり尚且つ昔からの友人でもある。
短い白髪に青い色のスカーフ、小さい頃からの彼のトレンドマークだ。背負っている剣が一本なのに対し鞘が二本あるのは彼の使う奇妙な武器を納めるためのものだ。
彼が背負っている剣は一つの剣に対して剣先が二つ付いている代物だ。滅多に見ないしこれからも同じものを見ることはないであろう奇妙な武器である。
初めて彼の武器を見た時はそれはもう驚いたもんだ。しかし何も無闇やたらに剣先が二本付いている訳じゃない。
そりゃあ普通の憑依使いなら剣先が一本の普通の剣で良かったかも知れないが彼の場合『普通』ではない。
「ジミー、早いんだな」
「そういうお前こそ早いじゃないか」
「確かに」
――コイツだけには、勝たなきゃ駄目なんだ。
二人が同時に、心中で呟いた。
沈黙の中に走る緊張、彼らはそれを汲み取ってか敢えて互いに言葉を発そうとはしない。
無言のまま緊迫した二人がじっと大門を見上げいると右脇の衛兵が気を使って
「二戦目の選手殿ですね、お入り下さい」
とコロシアムの小脇にある選手用の入り口を開けてくれた。
◆◆◆◆◆◆
「試合終了! 第一戦目はフィルテアの勝利!」
試合終了のゴングと共に甲高いナレーションが舞台裏の選手の待機部屋にまではっきりと聞こえてくる。
部屋で一人、エリックは更けていた。
泣き虫だった、弱虫だった。そんなエリックに父は、
「孤独じゃなくて孤高になれ」
彼の口癖だった。結局どういう意味なのか今でも解らずじまいだ。
「第二戦目の選手の入場です!」
ナレーションの声でエリックは我に帰った。
「よし」
立ち上がり、舞台の入り口へと歩きだす。
母から貰ったコートを羽織り、爪先をトントンとさせ革靴の調子を確かめる。
「万全だ」
重い足取りで多数の観客に囲まれたコロシアムの中央へと向かう。
今日こそあいつに勝って強さを証明してやる。
「両者戦いの場へと出揃った!」
円形のコロシアムの中で、観客の声もナレーションもほとんど耳に入って来はしなかった。
向かい側のジミーを睨み、手には雷鳴をバチバチと轟かせ構える。その雷鳴に応えるようにしてジミーも剣を抜き構えた。
互いの視線に緊張と戦慄が走る。後は試合開始のゴングを待つのみだ。
「それでは……始めぇ!」
ゴングが鳴り試合開始のナレーションが会場全体に響くに共にジミーが構えていた剣を突如床に突き立てる。右の剣先から微量の風を発生させている。
剣先から靡く微量の風は次第に勢いを増し会場全体が砂埃で覆われるほど強いものとなった。
ジミーの持つ憑依は『風』である。右の剣先から靡く風は自在に強さを変化させることが可能である。
「へぇ、なるほどな。ゴホッ、ならこっちは――」
閃いた。視界が遮断されたのならこうすれば。
ゆっくりとしゃがみ両方の掌を地面へと着ける、そして待つ、微かでもジミーが気配を表すまで。
――静かに、沈黙を守れ。気配を全方向に集中させろ。
彼が攻撃を仕掛ける時、その方向だけは微かに空気の流れが変わるはずた。
「後ろか!」
ジミーの吐息と気迫、微妙に変化した空気の流れ。間違いない。
ちょうどのタイミングで会場全体から砂埃が消え、それは確信となった。
地面に着けた掌はそのままに、飛びかかるジミーの方へと向きを転換させる。
「何のつもりだよ? このままじゃお前に斬りかかって俺の勝ちだぞ」
「まあ見てな」
にやりと笑みを浮かべエリックは掌から地面に雷鳴を轟かせる。その反動を利用してジミーが斬りかかる反対の方向へと高く飛び上がった。観客もナレーターも驚愕し息を呑んだ。
「どうだ、すげえだろ!」
「――おいマジかよ」
コロシアムの観客席の高さまで飛んでいたエリックを見てジミーは度肝を抜いていた。
空中高くから豆粒ほどのサイズに見えるジミーに右の掌を向ける。
「これで終いだぁ!」
鳴り響く重低音、眩い稲光に包まれ一筋の雷がジミーへと直撃する。
「決まった……なっ!?」
見るとジミーは雷鳴が轟く一瞬のうちに雷光に剣を伸ばし、左の剣先から自分の身体ほどの楕円形の氷塊バリアを瞬く間に生成していた。
ジミーの扱うもう一つの憑依『氷』である。
二つの憑依を使いこなすのは並大抵の技量ではないが彼は昔から風と氷を行使している。それ故に村では彼を『天才憑依使い』と呼ぶ者も少なくはない。
「たかが雷、この氷塊で受け止めてやるわ!」
「くっ、させるかよ!」
打ち負かさんと幾度と放たれ轟き嘶く落雷の猛威に、それを受け止めんとする氷塊の盾。
会場が雷光で包まれる最中、両者の憑依による力はかつてないほどに拮抗していた。
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