□4-2

  [ウノ7]


 軽トラックの荷台で長旅をしてきた段ボール箱はきんきんに冷えていた。

「それが最後みたいっすね」

 聞いたことのない引越し業者のドライバーが、会社のロゴマークの刺繍された帽子をとってお辞儀をした。

「あ、これお礼っす!」

 俺がホットの缶コーヒーを差し出すと、ドライバーは首を傾げながら受け取った。

「プルタブわざわざ開けてくれたんすか?」

「いや、さみーから一口もらった」

「え、いや、じゃあ、いらないです……」

 ドライバーは俺にコーヒーを返品し、トラックに乗って帰っていった。

「コーヒー苦手だったのかな」

 俺はコーヒーをその場で飲み干して、段ボール箱をワンルームマンションの三階へと運び込む。

「うい、これが最後だぜ」

「お疲れさーん」

 小茉莉が俺から受け取った最後の段ボール箱を部屋の隅へと積み重ねた。引越しの味方を頼まれることは今までにも何度かあったが、今回の依頼人の荷物はその中でも特に少なかった。

「ふーさぶさぶ」

 小茉莉がかじかんだ手をこすり息を吐きかける。

「暖房つけりゃあいいだろ」

「依頼人の部屋やねんから勝手に使ったらあかん」

「てか、その依頼人はどこだよ。自分の荷物なのに手伝いもしねーでよ」

 小茉莉がマスクの下で鼻をすすりながらスマホを確認する。

「もう少しで着く言うててんけどなー」

 ちょうどそこで、部屋のインターホンが鳴らされた。

 俺がドアを開けると、外廊下に一人の少女が立っていた。マフラーにダッフルコート、小脇には松葉杖を挟んでいる。

「誰だあんた……?」

 短い前髪の下で、彼女も目をぱちくりとさせる。

「お、お久しぶりです。私です。ウノさん」

「ふーみのーん!」

 小茉莉がどたどたと廊下を駆け抜けてきて、俺を押しのける。彼女は犬のように少女に抱き着き、頬ずりをした。

「お疲れさーん! 階段しんどなかった?」

「すいません、荷物お願いしてしまって」

「ええってええって、まだ脚も本調子ちゃうんやろ?」

 小茉莉がふみのん、と呼んでいる様子と、怪我をした右脚を見て、ようやく俺は彼女のことを思い出す。

「あ、まさか、文乃ちゃん?」

「あんだけ濃厚な一晩を過ごしたのに忘れとったんかい!」

「小茉莉さん、言い方……」

 あの事件からはもう数か月が経過していたし、長い前髪とセーラー服のイメージが強すぎて、気が付かなかった。

「依頼人って文乃ちゃんだったのかよ」

 小茉莉は「サプラーイズ」と笑う。口は見えなかったが、マスクの隙間から、頬にえくぼができるのが見えた。

「今日から、この街でお世話になります」

 文乃は律儀に深いお辞儀をしてみせる。

「一人暮らし始めるのか」

「はい。あの事件のあと、警察の豊臣さんという方が、石川県の児童相談所とアクチルを支援する法人の方を連れてうちに来て、自立の支援を申し出てくださったんです」

 脚の怪我がある程度回復するのを待ってから手続きを進めたため、この時期になったのだと彼女は説明した。

「あの武将刑事、気がきくとこもあんねんなー」

 事件あとにそんな名前の刑事にいろいろ話を聞かれたような気がしたが、俺は顔を思い出すことはできなかった。

「へっくし……!」

 ドアから入ってきた冷たい風にくしゃみが出る。文乃はすぐさまハンカチを取り出し俺の鼻を拭いた。

「お体大事にしてくださいね。一人の体じゃないんですから」

「ふみのん、言い方。それ、妊婦にいうやつ」

「大丈夫だよ。バカは風邪ひかねーから」

「ダメです!」

 文乃は、はっきりと否定し、自分のマフラーを俺の首へと巻き始めた。

「私が来たからには、無茶なことはさせませんから……」

「セラのためか?」

 文乃は穏やかに笑って首を横に振る。

「あなたのためです。三人みんな、友達だと思ってますから……」

 友達。随分と子供っぽい響きに笑ってしまう。

 同時に、頬に冷たいものが流れていることに気が付く。室内にも関わらず、雨でも降ってきたのかと錯覚してしまう。

「ウノ、なに泣いてるん?」

「あ? 俺が?」

 頬をぬぐうと、確かにそこには一滴の涙が流れていた。

「なんだこれ」

 目にゴミが入ったわけでもなければ、どこかに痛みを感じているわけでもない。俺がきょとんと首を傾げていると、文乃がハンカチで俺の頬をぬぐった。

「もしかしたら、セラちゃんが、喜んでくれてるのでしょうか……?」

 その答えは、俺にも、多分サノにも分からない。

 だが、文乃の二つの瞳が優しく輝くのを見ると、不思議と心が落ち着いていくのを感じた。

「まぁ、そういうことにしとくか」

 俺は重要なことを思い出し手を叩く。

「あ、なぁなぁなぁなぁ! 友達ならさ、文乃ちゃん今度一緒に焼き肉いこうぜ! 焼き肉! 三人でいくと割引してくれるとこがあるんだよ!」

 文乃がくすくすと笑いながら頷く。

「えぇ、もちろんいいですよ」

「よっしゃ。じゃあ、必要なのはこれであと一人だな」

「ちょいちょいちょーい!」

 小茉莉が俺の胸を手の甲ではたく。完全に治っていない文乃に折られた肋骨に小さい痛みが走る。

「いや、この流れだったら、うちを誘えや!」

 なぜ怒られているのか理解できずに、俺は首をかしげる。

「だって、お前、ビジネスパートナーだから人数にはいれんなって言ってただろうが」

「なんでそんなとこだけ記憶力を発揮すんねん! あの事件の時にうちがどんだけかっこよくあんたらを庇ったか、何度も話したやろ! ふみのん! この恩知らず、しばき倒してええで!」

 一瞬本気で構えをとりそうになったが、文乃はお腹を抱えて笑っていた。

「とにかく、焼き肉は部屋の片付けしてからや」

「えー先、焼き肉がいい」

「てか、脂っこいもん食べ過ぎると、サノお腹壊すって言うてへんかった?」

「らしいな。まぁ、でも痛いの俺じゃないし」

 俺と小茉莉が廊下を抜けて部屋へと戻るが、文乃は玄関で立ち止まったままだった。

「どしたん?」

「す、すいません、お邪魔します」

「いや、あんたの部屋だろ」

 俺の指摘に、文乃は「そうですよね」と照れくさそうに笑った。

「じゃあ、えっと……」

 文乃は頬をかき、深呼吸し、ワンルームの窓から差し込む日の光に目を細めてから、その一歩を踏み出した。

「た……ただいま!」


                               END

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3ニンメガ殺シタ 小川晴央 @ogawaharuo

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