[13]


 須臾、宗像さんの顔から、あらゆる感情が抜け落ちたように、わたしには見えた。

 あの夕刻――『真名君が人を殺したのは、いつのことだい?』と問われた時のわたしも、きっと、こんな顔をしたのだろう。

 宗像さんは、何も言わない。構わず、わたしは言葉を紡ぐ。


「わたしが違和感を覚えたのは、警察本部で、宗像さんが〈力〉の説明をされた時です。その違和感は、その後の白良さんの言葉や事件の真相によって埋もれて……いえ、言い訳ですね。こんなこと、あの場ですぐに気づくべきだったんです」


 あの時、宗像さんは自分の〈力〉の制約を、どう説明したか。


『……鏡を通して見えないというのは、本当に不便なものだね。この制約がなければ、話はもっとずっと、単純だったんだけれど』


「鏡を通して見ることで、『単純になる話』とは何か。

 それが今回の事件を指していないのは明らかです。そうであるなら、『単純だった』ではなく、『単純なんだ』と言うべきですから。

 鏡越しに容疑者を……そもそも他人を見ることなど、そうあるものではありません。逆に言えば、人間が最も鏡で見る対象は何かを考えれば、ここでの宗像さんの発言が、誰を想定して言われたものかは明白です。――宗像さん自身です」


 ここまではよろしいでしょうか、という風に、息を吐き間を空ける。

 宗像さんは、何も言わない。


「もちろん、直接的に、あからさまに殺したのではないのでしょう。

 ええ、そんなことはありえません。そうであるならば、白良さんが、常陸さんが、許すわけがありませんから。

 宗像さんと元相棒さんとの間に何かがあり、元相棒さんの死に繋がってしまった。それを宗像さんは『自分が殺したのではないか』と考えた。考えてしまった。自分の〈力〉は使えない。殺人者を特定する貴方の〈力〉は、直接相手と向き合うことが条件なんですよね。自分の目を、鏡を通さずに見ることは不可能です」


 宗像さんは、何も言わない。ただ、わたしを見ていた。

 いや、それは正しい言い方ではない。わたしの方に顔を向け、ここにいるわたしではない、別の誰かを見ているようだった。


「ここから先は、多分に、わたしの想像が混ざり込みますが、聞いてください。

 書類をお持ちしたあの日……宗像さんはおっしゃいましたね。わたしに、元相棒さんの影が見えた、と。


 恐らく、元相棒さんは、わたしと同じ……殺人者だったのではないですか?

 貴方はわたしに、元相棒さんと同じ、あるいは似た何かを見てとった。それは、面接のあの日、確信に変わった。わたしはあの日、熱に浮かされていました。後で思い返すと死にたくなるくらいに。ですが……今考えれば、宗像さんも同様だったんですね。


『すべての事件は、解決されるべきだ』


 この言葉は、ご自分の事件をも含めた言葉なのでしょう?

 宗像さんの目的は、殺人者のわたしを雇い入れた目的は、『自分が殺人者か否かを、わたしに判別してもらう』ため。わたしの、真名ひいらぎの目的と、交換に。……いかが、でしょうか?」


 たった一人での推理の唄は、終わった。

 聞き終わった宗像さんは、ソファに身を沈ませ、天井に顔を向けた。

 自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえてくる――そんな沈黙の果てに、宗像さんは遠いところを見つめたまま、話し始めた。


「……――薄紫の残る空と、昇る朝日のオレンジと、元相棒の風にはためく黒髪と……。

 最後の光景は、今でも、目に焼きついてる。

 あの時は、白良さんと常陸君、それと夕貴がいた。

 すべてが終わってしまった後、誰もが言ってくれたよ。


『お前が悪いわけじゃない』


 とね。でも僕には、そうは思えなかった。彼女を追い詰めた時の僕に、一欠けらも猟奇的な思いは……殺意はなかったなんて、とても言い切れなかった。

 事件の後、しばらく、僕はフラフラと生きた。もう探偵業から足を洗ったつもりでいた。だけど常陸君に発破をかけられ、流されるように募集を作って……そこに君が現れた。

 元相棒と同じ目をした、殺人者の君が。

 まさか、と思ったよ。もしかしたら、僕のこの迷いを斬り捨ててくれる存在なのかもしれない、なんて考えた。

 だが最初に〈力〉の説明をした時、それを信じようと信じまいと、君がここを訪れることはもうないだろうとも思った。僕の都合だけで、世界が回るはずがないのだから。

 そう思っていたのに、君は、翌朝やってきた。その上採用を希望するなんて、予想外にも程があった。


 今だから言うけれど、真名君が万一の可能性を考慮して、僕を殺しに来たのかと思ったよ。それはそれで、悪くない結末だなんて考えながら、僕は探偵小説談義をしていたわけだ。

 あの日別れた時から、『あの少女は、僕に何を求めているのだろう』と真剣に考えた。その答えは、採用試験の日の面接で見つかった。


『謎が解かれないのは、寂しいと思ったから』


 あの言葉で、『この子は自分の犯した事件の解決を望んでいる』と確信した。

 そう、僕と、あるいは元相棒と同じように。


 ――あらゆる事件は、解決されるべきだ。


 僕は、僕の罪を暴いてほしい。僕の失敗を、指摘してほしい。感情論ではなく、論理の積み重ねによる、揺るぎのない結末。それが、僕の求める唯一のものだ」


 宗像さんは『お終い』を受け入れられず、わたしはそもそも『お終い』を授けられることがなかった。

 しかし、どちらも求めているのは同じ。はっきりとした、結末。


「わたしの方の事件は、宗像さんが解決してくれるということでよろしいですね?」


 これは質問ではない。最後の、念押しであり、確認だ。すると宗像さんはどこか申し訳なさげに、自信なさげに言った。


「事件における僕の推理は外れてしまう。確約はできない、かな」


 この人が素朴に、あるいは単純に、


『真名君の事件は僕が解決する。僕の事件は君に頼む』


 と言わなかった理由。推理が外れるという、元相棒さんの呪い。だからこんな、迂遠なルートを辿らなければならなかった。それはわかる。わかる、けれど……。


「ああ、もう!」


 心の中で叫んだつもりだったが、宗像さんの今までにない驚いた顔を見るに、どうも声に出してしまっていたようだ。事のついでだと、ガラステーブルを思い切り叩く。そんなことをするのは初めてだったが、思いのほかいい音が、室内に響いた。衝撃に、机上のお盆やカップが、カタカタとテーブルを鳴らす。掌に、じんわりとした、痺れに似た痛みが広がった。

 その余韻が落ち着くのを待って、わたしは息を大きく吸い、言った。


「――元相棒さんの呪いとやらの方が、現相棒のお願いよりも強いと言うんですか? ……九郎さんは」


 探偵の助手として、ある種の共犯者として、そして何より、相棒の親しみを込めて、わたしは名前を呼んだ。

 文句は言わせない。一月前、『他人行儀な呼び方はしなくてもいい』と言ったのはこの人だ。

 九郎さんは、口をポカンと開けた後、力なく笑った。


「今日は驚くことが多い日だな。いや、驚かされることが、か」


「前回の質問で驚かされた分のお返しだと思ってください」


 わたしは照れを隠して、プイッと顔を逸らした。あの張り紙の要件にあった、『可愛い女子高生』を気取るように。

 似合わないことをしている。また一つ、後悔が増えるのを自覚した。


「真名君、最後に僕から、一つお願いだ。

 僕と元相棒の事件を聞けば、真名君はあっさり解決に辿り着くかもしれない。僕の方はどうかと言えば、そんな自信は微塵もない。

 それでも――君の事件はいつか必ず、僕が解くと誓おう。動機も、トリックも、証拠も、すべて余さず提示しよう。だからその時には、僕と僕の元相棒の事件を、共に紐解いてくれるかな?」


「……当然です」


 横を向いたまま、わたしは素っ気ない言葉を選んで、答えた。素っ気なく響いてはいないだろうなと、心のどこかで思いながら。

 わたしはカップの取っ手を強く掴むと、その中身を急いで空にした。この気恥ずかしいお茶会を、お開きにするために。

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