[9]


 ……――向かいに座る宗像さんは、もう準備ができている。

 後は、わたしの問題だ。

 利己的な目的のために、留まっただけではないか。この事件は解くべきではないのではないか。学校の事件と同様の失敗をしようとしているのではないか。そもそもわたしは、ここにいるべき人間なのだろうか。

 言い訳が絡まって、思考が鈍る。鈍った思考は身体を強張らせ、声を押し込めさせる。沈黙が、うるさい。

 そんな時、


「真名君」


 と、宗像さんがわたしを呼んだ。

 声の主を見る。宗像さんはいつもの微笑を浮かべていた。こちらのすべてを見透かしたような目で。

 名探偵になれなかったと言っていた人。

 わたしもそうだ。わたしも名探偵ではない。それどころか、探偵ですらない。指揮棒に従って唄うだけの存在。

 目を閉じる。息を吸う。息を吐く。目を開ける。


「準備はいいかい?」


 宗像さんの言葉に、わたしは頷いた。


「……今回の事件は〈斯波七海はどこにいったのか?〉〈斯波七海はなぜいなくなったのか?〉の二つを根本において考える必要がある。推理の鍵は三つ。


 一つ、斯波七海の自転車はどこにいったか。

 二つ、なぜ携帯電話は置き去りにされたか。

 三つ、空木修右の心神喪失は何を意味するか。


 他に追加があるかい、真名君? ……よろしい。

 ――それでは、想像の時間だ。


 可能性一。七海ちゃんは面識のない第三者に誘拐もしくは拉致された。犯人側が警察が思いのほか早く動いたことを警戒し、連絡をまだ取っていない」


「ありえません。斯波七海がいなくなってから、警察への通報まで五時間近くありました。その間を逃さない誘拐犯はいないでしょう」


「身代金目当てではなかったとしたらどうだろう。少女趣味か死体趣味かはわからないが、彼女の身体そのものが目的であったとするなら?」


「それもありえません。そうだとするならば、父親の様子の説明がつきません。

 もしも愛する娘が自分のあずかり知らぬところで事件に巻き込まれているというのなら、父親は『娘がいなくなったとはどういうことだ』、『娘の行方はわかったか?』と騒ぐはずです。先ほども宗像さんが意味ありげな耳打ちをする演技をしてくださいましたが、そこに感情の動きはありませんでした」


「確かに。父親のあの様子には何かしらの理由があると考えるべきだろうね。

 可能性一、破棄。

 ――可能性二。だとすれば必然、今回の事件には父親が関わっていると考えるべきだ。七海ちゃんを攫ったのは父親で、七海ちゃんはどこかに軟禁、ないし監禁されている。父親が黙っているのは、その場所を迂闊に話さないためだ」


「ありえません。事件から四日、父親が捕まってから二日が経とうとしています。食事や水の心配をしなくてもいいくらいの状況であれば、斯波七海本人が助けを呼びにいけるでしょうし、檻に入れられるような手酷いものなら、父親が声を出さないのはやはりおかしいということになります。


 娘が『世話をしなければ、衰弱していく』という状況に置かれていると仮定した時、周囲に狂気を感じさせるほど娘を愛する父親なら、自分がどう処罰されることになろうと、娘の居所を言うのではないでしょうか。いえ、そもそも娘を置いて、独り自分の部屋に戻ってきたりはしないのではないでしょうか」


「監禁であれば放置はできない、か。

 しかし共犯者がいればどうだい? 小学五年生の少女一人分の水や食料など、怪しまれることなく用意ができる。彼女の面倒を見てくれる存在を想定すれば、ありえないとは言い切れない」


「いえ、言い切れます。空木修右に交友関係はほとんどなかったとのことですし、そもそも愛しい娘を他人に預けるなどという行為には及ばないでしょう。大切なものは自分で抱えたいと考えるのが自然です」


「なるほど、七海ちゃんが強制的にどこかに押し込められているとするのは難しいか。

 可能性二、破棄。

 ――可能三。ではこうしよう。外部の人間を共犯者とするから説明がつかないんだ。七海ちゃんと空木氏が共犯関係だと考えてみよう。これならば、自転車の件の説明もつく。車に積んで、仲良く乗り込んだのだろう。

 斯波七海は自由に動ける場所にいる。食事も寝床も心配いらないところ。小学校五年生だ。買い出しくらい何の問題もない。

 これならば『二人が携帯電話を持っていかなかった』理由にも説明がつく。置いていったのは、GPSの履歴が残ってしまうことを考慮したため。父親と密会する場所を秘したかった。どうだい?」


「ありえません……とは言い切れませんが、ありえない可能性の方が高い。片方が家出を希望した時、父親はもう一人の方も、斯波七夏もどうにかしようとするのではないでしょうか。父親と母親に、双子を一人ずつ。それでめでたしめでたしとはならない」


「別居の話をご破算にし、再び家族での同居を目指してのものだとすれば? その布石としての家出だとすればどうだい? 戻ってきてほしければ、また親子四人で暮らしましょう、という七海ちゃんの意思表明だった。そんな子どもじみた発想で計画・実行された事件だった。もちろん、七夏ちゃんも事情を把握している」


「ありえません。だとすれば、警察が介入するという時に、斯波七夏が声を上げるはずです。ここまで大事(おおごと)になってしまうまで何も言い出さないのはおかしい。警察には通報されない、と推測できないほど、小学五年生は幼くない」


「可能性三、破棄。

 ――可能性四。今回の件は、完全に事故である。携帯電話を置いていったのは単に二人の嗜好の問題であり、二人でハイキングに行ったのは事実であり、父親は無関係である。さらに忘れ物をしたのも本当で、それを回収し、自転車で帰る途中、七海ちゃんは不幸な事故に見舞われた。父親が沈黙しているのは、単に『娘がいなくなった』という事実を聞かされてネジが外れてしまったためだ」


「本気でその可能性を考えていらっしゃいますか?」


 ありえない、というまでもない。積み上げられた違和感の果てが、そんな結末など。


「――可能性四、破棄。僕の想像は、品切れだ」


 父親は殺人者ではなく、誘拐犯でもなく、斯波七海が協力しているのでもない状況を説明できる可能性。情報を削ぎ落とし、あり得ない可能性を否定した果てにある、この真相らしきものは、それでもまだ、現実離れをしていた。

 これではまるで、採用試験の、出来過ぎた焼き直しだ。

 しかし、わたしはそれに手を伸ばしたくなった。誰も得をしないばかりか、誰もが損しかしない真相であったとしても。


 学校での事件を解決した翌日、わたしは過去に戻れたらと考えていた。そうであるなら、解決の場面に戻って、わたしは逃げ出しただろうと。

 ……何だ、戻れても一緒ではないか。結局わたしは、わたしの感情を優先させるのだ。このさびしさを共有できる誰かを、いつもわたしは探している。


「事件当日、二人は家出、とは言いませんが、父親に会いに行った。これは間違いないと思います。二人とも携帯電話を置いていった説明が、これでできます。しかし、父親と会った先で、ツーマンセルを崩さなければならない事態に陥った」


「事故か?」


 常陸さんの問い掛けに首を振る。


「いえ、事故であるならば、父親は警察なり救急なりに通報するはずですし、斯波七夏が証言をしない理由がありません」


 この事件の答え合わせは、ひどく、簡単に終わる。


「今から斯波家を訪れることは可能ですか?」


 ここで常陸さんを経由させるほど、子供はしていられない。白良さんに直接問いかける。白良さんは、話が振られるとは思っていなかったようで、少し間をあけて言った。


「即答はできんな。ご家族と直接話がしたいのか? 先に言っていた、別居についての双子の心情を訊きたいのかね?」


「それも、事件と無縁ではないと思いますが……わたしが話す必要はありません。いえ、厳密には誰も話す必要はありません。宗像さんが、斯波七夏に会えれば、それですべてが済みます」


 宗像さんは、椅子の背に身を持たせ、目を瞑った。

 白良さんは、表情を隠すように、拳を額に当てた。

 常陸さんは、ただただ怪訝そうな顔を浮かべた。


「未練、すぐに母親に連絡しろ。これから三十分ほど後にうかがっても大丈夫かと。当日のことについて、追加で斯波七夏に訊きたいことがあるとでも言ってな」


「……了解」


 常陸さんが首を傾げながら出て行くのを見送って、わたしは言った。


「情報が足りていませんので、これが真相とは限りません」


「……そうだな。吾輩たちの情報収集不足によって生じた、誤った帰結であることを願おう」


 そう言う白良さんの目は、しかし現実は願う通りにはならないことを、諦観しているように見えた。

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