[8]


 こちらに戻って来た宗像さんは、室内の微妙な空気に瞬間眉を顰めたが、白良さんに促されて言った。


「宗像九郎が断言しよう。空木修右が、人を殺したことはない」


 それを聞いて、白良さんは一言


「そうか」


 と言って頷いた。胸をなでおろしているようだった。

 考えて見れば、宗像さんがここで殺人を認定したら、行方不明の少女、斯波七海が死んでいる可能性は格段に上がる。先ほどの顛末もあって、この人への心証はこれ以上なく悪いものの、それは人として正しいリアクションと言えた。

 父親が殺人を犯していないということは、わたしの出番はない。

 事故か、誘拐か。

 いずれにしても、まったくの無事でいる可能性はあまり高くはない、か。生きているにしても、そこからの人生は、酷く歪んだ世界で暮らすことになる。ならばいっそ、などとは言わないけれど。

 しかし、父親が殺人者でないとするならば、なぜ――


 その時、わたしの頭の中を、一つの結末が、閃光と共に浮かんで消えた。


 軽い立ちくらみを覚え、壁に手を付き、体重を預ける。わたし以外の三人は、捜査の方向性について論じているようで、わたしの変調に気づく様子はなかった。


 あり得るのだろうか、そんなことが。


 先ほどの閃光は彼方へ消え、ただ脳裏にその残像が焼きついていた。直接触れるならば、火傷するであろう熱を帯びて。これが真相だとするならば、これは、解かない方がマシな類の……。


「そうなると誘拐か、拉致か、略取か、監禁か、家出か、それとも部外者による殺人か……」


「あの、白良さん、僕らはどうしましょうか?」


「ふむ? ああ、すまん。そうだな、未練に送らせよう。ご足労だったな」


 ……このまま、警察に任せるのが正しいのだろう。


「じゃあそうしようか、真名君。問題ないとは言っていたが、定期テストは定期テストだ。万全の状態で受けたほうがいいだろうしね」


 ……このまま、高校生としての本分に戻るのが正しいのだろう。


「あー、何か、色々と悪かったな。行こうぜ」


 ……このまま、背を向けるのが正しいのだろう。

 学校での事件を解決しようとした時と同じ感覚が、自分の中に蠢いていた。

 止めた方がいい。

 また後悔するぞ。

 同じ失敗をするつもりなのか。

 そう理性が囁いている。


「帰りません」


 甘い誘惑を断つように、わたしは言った。

 駄目だった。わたしは逆らえないのだ。謎が解かれないことを、さびしいと思う感覚に。

 三人の大人は、わたしの突然の駄々に言葉を失っている様子だった。畳みかけるようにわたしは言った。


「捜査資料を見せていただけないでしょうか?」



 解決の如何を問わず、タイムリミットは今から二時間後の夕方六時。

 暗くなる前にわたしが帰宅できるように、という宗像さんと白良さんの裁定に文句はなかった。

 警察官の、そして宗像さんの定時が何時かは知らないが、間違いなくサービス残業である。『無給でわたしが満足するまで付き合ってください』とは言えない。


 元々、空木が殺人者だったことを想定して準備はしてあったという一室に入る。

 会議室で使われるような折り畳み式の長テーブルの上には、ノートパソコンが二台、それぞれUSBメモリが取り付けられていた。気になるファイル名のものを端から開き、常陸さんから事務所で説明された以外の情報を、順に頭に叩き込んでいく。

 双子が当日遊びに行ったとされているのは天草山あまくさやま。常陸さん曰く、


「山っつーか、イメージとしては木が茂る丘に近いかな。登山じゃなくて、ハイキングっていう言葉が似合いそうなところ」


 だそうである。

 現状、双子の目撃者は見つかっていないが、親子連れにも人気があるスポットであり、記憶している人がいてもおかしくはないそうだ。可愛らしい小学生の双子であればなおさら。

 資料中で疑問に思った点は直接確認をする。あんなやり取りの後に白良さんと口をきくほど、わたしの心は広くないので、問いはすべて常陸さんへ。常陸さんはこちらの問い掛けに、資料を見るでもなく打てば響く鐘のように答えていく。


「そのハイキング、双子は手ぶらで行ったんですか?」


「ウェストポーチをしてったらしい。中にはハンカチやら、飲み物やら、財布やら、空き瓶やらを入れてたと、斯波七夏が話してる」


「空き瓶はどんなもので、何の目的で?」


「コーラとかの細長い瓶じゃなくて、ジャムとかが入ってるような寸胴型のやつ。きれいな苔がついた木片やら、キノコやらを採集して部屋に飾ってたんだと。

 あたしは直接見てねーが、家に行った壇ノだんのうら……あたしの後輩は『素晴らしい感性れしたー。作家とセットれお持ち帰りしたかったれすねー』って絶賛してたな。健全なようなそうでもねえような趣味だとあたしは思っちまうんだが。ゴシック・ロマンっつーの? 退廃趣味っつーか」


 その辺りは好みの問題であるから置いておき……事件の当日は自転車を走らせて山の入口まで行き、自転車を手近な駐輪場所に止めて散策を始めた。

 一般のコースからは外れ、木々の間を分け入って進んだこともあったが、そこまで深入りをしたわけでもなかった。結局、あまり好みのものは見つからず、午後四時二十分ごろ、二人で山を降りた。

 自転車を置いた所まで来た時、七海が『忘れ物をした』と言って山に戻った。この時、七夏は一緒に行くことを提案したが、『場所はわかってるし、大丈夫だよ』と言って断った。


 斯波七夏が妹を見たのは、それが最後になった。

 以上が、斯波七夏の語る、当日の大筋。七海の自転車は、今も見つかっていない。

 その後の展開は、常陸さんに聞いたとおりである。

 帰ってこない七海。携帯は家に置いてあったから連絡はつかず、七夏が友人たちと連絡を取っても行方が知れない。

 警察に連絡を入れた正確な時間は午後十時一分。

 恐らく、『十時を回ったら連絡しよう』と決めていたのだろう。この電話の段階で、母親は父親のことも伝えている。


 父親はどうか。

 事件前後の様子について、本人が一言も口をきかないのだから、周りの証言頼みということになる。しかし仕事は日雇いだった上、ほとんど人付き合いがなかったようで、聞き込みから得られたのは、『空木の車がここ数日なかった気がする』という実に頼りない証言があるだけだ。事件当日どこにいたのかは、まだ警察にもわかっていない。


「この父親は、今でも娘を愛しているんでしょうか?」


 答えのないようなわたしの独り言に、常陸さんが応じる。


「ああ、それは間違いない。空木の部屋には、壁一面とは言わないまでも、双子の写真が大量に飾られてたようだからな。もちろん、別居する前に撮られたもんだが」


 離別して三年。その間、父親の愛は継続していたようだ。時は記憶を風化させる、とはよく言われることだが、逆に時が記憶を純化させ、欲求を募らせることだってある。父親は、後者のケースだったようだ。


 ……『逆に』?


「母親は父親と別居したがっていたのは間違いないと思いますが、当の双子はどうだったのでしょう? 彼女たちは、父親をどう思っていたのでしょうか?」


 この質問で初めて、常陸さんが止まった。思案顔をすると、チラリと白良さんの方を見る。白良さんは、軽く両手を挙げ首を振った。


「吾輩も、そうしたことに関する証言の記憶はないな。……それは必要不可欠な情報かね?」


 それは……わからなかった。ただ聞いておいた方がいいと何となく感じたのである。

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