[7]


 直後、宗像さんと入れ替わるようにして常陸さんが戻って来た。


「滞りなく、連絡してきました!」


「よろしい。後でもう一度、紅野にも謝罪をしておけ。

 ……ああ、真名嬢。安心してくれ。貴嬢の前で未練を怒鳴りつけるようなことはない。いや、そもそも吾輩は怒鳴りつけるなどという非効率的なことはしない人間だ。

 なあ、未練? 後でお前の昼寝部屋も見せてくれ。そんな快適な籠城場所がこの建物の中にあるとは、吾輩は微塵も知らなかったのでな」


 蛇に睨まれた蛙である常陸さんは、口元をひくつかせるしかないようだった。冷や汗を流す常陸さんを実に冷たい目で見ていた白良さんは、一度大きく息を吐くと視線をこちらに移し、殊更に穏やかな口調で言った。


「さて、九郎の着替えには多少時間がかかるだろう。どうかな、真名嬢、その間、雑談にでも耽ないかね? 女子高生と話をする機会はそうないのでな」


 思いがけないお誘いだった。……まともな人だと思っていたが、この人も女子高生好きなのだろうか。


「女子高生がお好きなんですか?」


 素直にそう訊くと、常陸さんが噴き出すのが聞こえた。白良さんは首を横に振りながら苦笑している。


「単純な女性の好みで言えば、女子高生に興味はない。

 吾輩の導入がよくなかったな。ただの雑談だよ。深い意味も浅い意味もない雑談だ。貴嬢と九郎はペアで動くことが中心になるが、吾輩とそこにいる未練も、同じチームだ。懇親を深めるには、意味のない話をするのがよい。そうだな、差し当たり……」


 さて、白良さんは何を訊いてくるだろう。

 社会人の男性が女子高生にどんな話題を振ってくるのか、他人事のような興味はある。好きな作家か、最近見た映画か、昨今の政治情勢か……流行のミュージシャンを聞かれたらどうしよう、などと考えていた時である。


「真名嬢。貴嬢が九郎と共にいる目的は何かね?」


「――――――――」


 唐突に、言葉の鈍器で殴られた。

 何が意味のない雑談だ。懇親を深めるためだ。

 これは、尋問だ。

 大人とはどうしてこうも、好んで子供の不意を打つのだろう。


「吾輩は、名探偵になれなかった人間だ。なろうとして、叩き潰された人間だ。宗像九郎の、元相棒にな。彼女の代わりの貴嬢に、どういうスタンスを取るべきか、吾輩は悩んでいてね」


 白良さんは壁に背を預け、腕組みをして淡々と述べる。犯人を追い詰める名探偵のように。


「貴嬢がどこまで九郎から聞いているか知らんから詳細は伏せるが、宗像九郎は、あの事件から向こう、抜け殻になっていた。吾輩は仕方がないと思っていたが、そこにいる未練はそうではなかった。発破をかけ続け、また仕事を始めさせることに成功した」


 あの事件、とは何のことだろう。いつのことだろう。

 わからない。

 白良さんはこちらの思考など無視して話を進める。


「それに関しては功労賞に値する。九郎の能力は異質で異端で、だからこそ偉大だ。殺人が止まないこの世界に必要不可欠な人材だ。

 だから、それはいい。

 しかし、貴嬢はどうだね? 真名ひいらぎ。

 吾輩はこれを仕事としてやっている。誇るべき仕事として、だ。九郎を尊敬しているし、未練は救い難い馬鹿だが得難い人材だと確信している。

 だが貴嬢のことはわからん。だからこうして雑談をしたいのだ。

 なあ、真名ひいらぎ。

 なぜ貴嬢は、こんな怪しげな状況を受け入れ、何の確証も現実味もない詐欺師のような男の下で働いているのかね? ……何にせよ、遊び半分なら辞めた方がいい。まだ十分に引き返せるぞ?」


 この人の言っていることの大半は圧倒的な正論であり、正解だった。

 一介の女子高生が、私立探偵と共に殺人事件を解決する。

 そんなことを望んでいる、という状況自体が異常なのである。

 だが、最も言われたくない一言が、『遊び半分なら』という一言が、わたしの中身を丸ごと、真っ赤な憤怒へ変えた。

 わたしは、自己の人生のすべてを、宗像九郎に懸けているのだ。

 お前に、何がわかる。

 だからわたしは、こう答えた。


「仕事として、と言うならば、わたしのプライベートに踏み込まないでいただけますか?」


「……ほう」


 わたしの精一杯の反撃への白良さんの声は、嘲笑とも、感嘆とも、納得とも取れた。


「そう回答するか。胆力という意味では悪くない。なるほど、吾輩が思っていたよりも、ずっと強かなようだ。少しばかり認識を改めさせてもらうことにしよう。

 ……貴嬢におかれては、吾輩のことをわかってもらえたかね?」


「はい。とても」


 この人はチームメートかもしれないが、わたしは、嫌いだ。


「白良さん」


 一歩踏み出して上司の名を呼ぶ常陸さんを、白良さんは片手を前に軽く突き出して制止する。


「控えろ、未練。これ以上何を言う気もない。今のところは、な。……時間だ」


 そう言って、マジックミラーの方をあごで指した。つられてわたしもそちらに目を向けると、宗像さんがすでに、中に入っていた。Yシャツを薄いブルーのものに替え、ネクタイもごく一般的なストライプ柄にし、黄色いフレームの眼鏡は外している。どこから見ても、普通の刑事だった。


 そして空木修右の向かいに座った刑事(紅野さんといったろうか)の所まで行くと、何か重要な情報でも漏らすように、ソッと耳打ちをするそぶりをした。もちろん、演技であろう。重要な情報を伝えているわけではない。今日の夕食を一緒にどうかと誘っている可能性すらある。それはそれで、ミステリー小説であれば後日談の中で、一つのエピソードになるかもしれない。


 宗像さんはゆっくりと、視線を空木修右へとずらした。

 虚ろと言いつつも、目が開かれていることに変わりはない。既に〈力〉は行使され、判別は済んでいるだろう。

 その視線に、空木修右は何かを感じているのだろうか。

 顔を向け合っていたのは、時間にすれば数秒。思わせぶりな態度を取るだけ取って、宗像さんはあっさりと退場した。

 空木修右は眉一つ動かさず、口をポカンと開けていた。

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