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結局、エレベーターに乗り直し、鼠色のカーペットが敷かれた廊下を縫うようにして進む。
常陸さんと歩いていた時も思ったが、どこを通っても、予想に反してきれいなものだった。無菌室のよう、と言ってもいい。警察内部というと、室内は煙草の煙が朦朦と漂い、無精ひげを蓄えてくたびれたスーツを着た中年男性が闊歩しているイメージだったが……と言うと、白良さんは「またそれは、旧いイメージだな」と口角を上げた。
「喫煙に関しては規制も厳しくなった。『もうこれ以上の締め付けはないだろう』という予想の斜め上を毎年更新しているからな。煙を吸う警察官が死滅する日も近かろう。吾輩も、以前はパイプを齧って推理劇に興じていたのだがね。もうそんな真似はできまい。
それにこの建物自体、できてからそう経っていないのでな。外側もまだきれいに見えただろう? 正直、縦にばかり長くて利便性の観点ではイマイチなのだが、公僕としては黙って従う他はない。せめて駐車場くらいは外に作ってもらいたかったがね。地下から入って地下から帰るなど、正気の人間の沙汰ではない」
「……地下の入口に話を通してくれていたのは、白良さんですか?」
地下の話が出たのを機にわたしがそう訊くと、白良さんはこちらをチラりと振り返り、頷いた。よかった、警察組織はまだ大丈夫そうだ。
「本来は、午前中には九郎に確認をしてもらうつもりだったのだ。今後の捜査の予定もあるのでな。忙しさにかまけて、直接九郎に連絡しなかったのは吾輩の責だな……まったく」
「常陸君から概要は聞いていますが、白良さんはどう思っているんですか? この事件に関して」
「吾輩はただの俳優だからな。何とも言えん。しかし、ただの誘拐事件として処理するのは、台本に無理があると思った。論理的にではなく、感覚的にだがな。貴兄を呼んだのは、そんな理由だ……っと、ここだ」
白良さんは何の変哲もないグレーのドアを引き開けた。
中は学校の放送室のようだった。パソコンに、マイク、わたしには判断がつかないスイッチの数々。そして入口から見て左手には、大きなガラスが嵌めこまれている。ガラスの向こう側では、刑事ドラマでよく見る取り調べの光景が展開していた。
……いや、ドラマではない。これは本物の取り調べだ。このガラスは、マジックミラーになっているのだろう。ようやくにして、『自分は警察内部にいるんだ』という実感が湧いてきた。
ガラスの向こう側。
入口から最も遠い位置に座っているのが、件の空木修右だろう。常陸さんの話から、自暴自棄の、髪もぼさぼさな中年男性を想像していたのだが、思いのほか身なりはきっちりしていた。
真っ白のYシャツに黒のパンツを穿き、白髪の混ざった豊かな髪は、寝癖の一つも見えない。パッと見はどこにでもいそうな、サラリーマン風の男性だった。
だが、よく見ると様子がおかしい。
その
「なるほど、正気には見えないね」
隣に立つ宗像さんが、向こう側を見ながら誰に言うでもなく言った。
「宗像さんは、ここからでは〈力〉は使えないんですか?」
マジックミラーだから『目を合わせる』とはいかないだろうが、空木修右の目を見ることは十分可能な距離である。空木修右がこちらを向くかはまた別の話にしても。
「使えない。直接目を合わせることが条件の一つでね。写真や映像はもちろん駄目。眼鏡越しなら問題ないから、今回のようなマジックミラーであればいけるんじゃないかと考えていた時期もあったんだけれど、駄目だった。……鏡を通して見えないというのは、本当に不便なものだね。この制約がなければ、話はもっとずっと、単純だったんだけれど。うん、『デスノート』の死神の目と比べると、随分と短所が目立つ」
「貴兄の目にも、名前を付けたらどうだ? さぞ作品映えするだろう」
「勘弁してください、白良さん。ただでさえ、僕は半端なキャラクター性が渋滞してるんですから」
「…………」
何だろう、今感じた違和感は。やっと手にした鍵が即座に液体化し、スルリと零れ落ちていったような、そんな錯覚。
わたしがその正体を捕まえようとした時、あちら側に、丸顔で小太りの男性が入室した。その人物は、空木氏の正面に座った刑事に一声掛けると、交代に椅子に座った。それを確認した白良さんは、机の上に置かれた紙袋を取り上げ、宗像さんの胸に押し付けた。
「扉を出て、左に真っ直ぐ進むと化粧室がある。そこでこれに着替えろ。そんな黒ずくめで取調室に入られてはかなわん。……やり方は、昔と同じだ。問題ないな?」
「推理はからきしですが、物覚えはそれほど悪くないんですよ。……それじゃ、行ってくる」
末尾はわたしに向かって言うと、宗像さんは受け取った紙袋を持って出て行った。
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