三・『お終い』への最終確認

【序】

 部屋に響く空調の駆動音が外気温の高さを感じさせる七月の終わり。

 ほんの一月前まで、ボタンを押す音とBGMが中心だったモノトーンの事務所には、断続的に、人の声が響くようになった。


「元相棒は……そうだね、どう考えても普通ではなかったかな。ひどく抽象的な言い方になってしまうが、御伽噺の魔法使いが、何かの弾みでこちらに移ってきてしまったような……僕にはそんな人間に映ったものだ」


 わたしは『けもポン』から目を離し、そう語る影法師をチラリと見た。

 殺人者を特定できる人の言う言葉ではない、と思いながら。しかし『わたしからしたら、貴方もよっぽど別世界の人間です』などとは言わず、画面に目を戻して、


「どこで知り合ったんですか?」


 と尋ねる。


「彼女と最初に会ったのは、高校入試の時だね。真名君は、上志多かみしだ高校って知ってるかい?」


 西の真栄片まえひら、東の上志多。

 いい意味でも悪い意味でも、日本の高校のトップツーであり、朱星女子が『象牙の塔の住人育成』を標榜するのに対し、この二つの高校は、『世界を象牙の塔にする』ための教育機関を自任している……と、真栄平出身の父から聞いたことがある。


「今もそうかは知らないが、上志多は国、数、英、理、社の五科目を、丸一日かけて試験する。出題は論述のみで、全部終わるのは夜の七時過ぎ。解散する時には、『勉強ができる』という意味での秀才たちが、スポイル寸前まで追い込まれてるような、過酷なものだった。受験生だった僕も世間並みに、いや、それ以上に緊張して試験に臨んでいた。


『名探偵はこんな試験くらい簡単にクリアしてみせないといけない』


 なんて意気込んでいたからね。

 その入試で、僕の前に座ったのが彼女だった。

 試験中は後ろ姿しか見えないわけだから、髪の長い女の子が前にいる、くらいの認識しかなかった。休憩時間は参考書と睨めっこだったしね。

 その子が、四科目が終わったタイミングで荷物を片付け始めたんだ。後一科目残っているというのに。不審に思ってその様子を見ていると、立ち上がって椅子を机に入れる彼女と目が合った。彼女はフッと微笑むと、


『お先に』


 と言って片手を上げ、颯爽と教室を出ていった。僕はその姿をただ呆然と見送った。別段、体調が悪いというわけでもなさそうだったし、『ここまでの結果が絶望的だから諦めた』という感じでもなかった。狐につままれた気分だったよ。

 合格発表の日、直接高校へ結果を見に行くと、掲示板には僕の一つ前の、彼女の番号もあった。『残りの一科目を別室で受けていたのか』とも考えたけれど、だとすると『お先に』という言葉はおかしい。

 コネか裏口か……なんてことまで考えたよ。的の外れた想像をする癖は、この時から御同様だったわけだ。自分の合格は素直に嬉しかった。しかし謎を一つ渡されて、入学式の日まで首を傾げて思案していたのを覚えているよ。


 彼女とは同じクラスになった。縁というのは恐ろしいもので、座席は僕の前。先に席に着いていた僕に、彼女から声を掛けてきた。


『試験の時も、後ろにいたね』


 ってね。少しばかり、当たり障りのない自己紹介を互いにしてから訊いたよ。


『なぜあの日、試験の途中で帰ったんだ?』


 と。すると彼女は何の外連味もなく、当たり前のようにこう言った。


『四科目を受け終わった時点で合格点には届いていたからな。残りを受ける必要がなかった』


 僕がそれを聞いて呆気に取られていると、続けて彼女は、


『そうしたら、試験の点数上位者には学費の優遇措置があったそうじゃないか。親に手ひどく怒られたよ。取れるはずだった分の金は自分で働いて払え! とね。いやはや、近年稀に見る失敗だった。こういうところの詰めが甘いんだ、私は』


 と笑った。

 僕は『悪気はないにしても、腹の立つ話だな』と、素朴に思ったものだ。まあ、今思えばただの嫉妬だね。……それから会話に、元相棒と中学が同じだった夕貴が加わって、何となく三人でつるむようになった」


 男子一人に女子二人、三人での高校生活、か。へえ。


「モテたんですね、昔は」


「……ええとまず、『モテた』というわけではないよ。性別は逆だが、しずかちゃんだって、別にジャイアンやスネ夫に恋愛感情を持たれているわけじゃない。それと同じだ。

 まあ、僕に邪な気持ちがゼロだったかと言われると、それは、うん、当時は健康な高校生だったわけで、思うところはあったけども。そして『昔は』と言われると少し傷つく」


「つまり、今もモテると?」


「……この話は打ち切ろう。僕に勝ち目がなさすぎる」


 そう言ってお手上げをした。

 この人が女子高生どうこうを言っているのは、求人に『可愛い女子高生希望』なんて入れたのは、そういうことなのだろう。

 元相棒さんと出会い、過ごした、青春の残火を見つめる思い。

 それを察した時、わたしの心の固い部分に何かがぶつかって、カチンと音を立てた。いやな音だった。理由を深くは考えたくない類のものだった。


 ――嫉妬ではない。決して。


「ん? どうしたんだい、そんな可愛いジト目を向けて。いやだなあ、照れてしまうよ」


「何でもありません」


 その時、ドアを乱暴に叩く音が聞こえた。目を向けると、もう常陸さんは室内に一歩を踏み出していて――。

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