[結]


 手錠の鍵は事務所のソファの隙間から無事に見つかり、宗像さんの両手の拘束はあっさりと外された。そしてその手錠はそのまま、常陸さんの右手首と白良さんの左手首をガシャンと繋いだ。常陸さんは文字通り引きずられる形で去って行った。……運転はどうするのだろう、と思わないこともなかった。

 時刻は午後六時半を回ったところである。日が伸び始めたとはいえ、夜が街を包みきるまで、もう間もなくという頃合いである。


「少しばかり遅くなってしまったね。真名君も、帰ってゆっくり休むといい。初事件の疲れもあるだろうし。

 というより直接、白良さんに送ってもらえばよかったかな。気が回らなくてすまなかったね」


「お聞きしたいことがあります」


 宗像さんの声を遮るように言って、ソファに座る。答えてもらえなければ帰る気はなかった。一樽の泥にワインを一滴混ぜてもそれは泥だが、一樽のワインに泥を一滴混ぜたら、それは泥へと変わる。そんな警句を思い出す。真実らしきものに、疑念が一滴加わってしまったら、それは真実には成り得ない。

 不審顔の宗像さんが向かいに座ったのと同時に、わたしはあえて、強い言葉を吐いた。


「なぜ、宗像さんは嘘を吐いたのですか?」


「嘘?」


「解決の、ルートの問題です。もう一つ、あるはずですよね」


「あの場で話した通りだよ。真名君が事件の概要を聞いただけで、十分に目算が付いているケースと、そうした目算が付かないケース。この二つだ。他に一体、どんな道筋があると言うんだい?」


「宗像九郎にルートの目算が付いているケースです」


 解決のための、第三のルート。わたしの推理など、否定など、そんなものに頼る必要なく、宗像九郎の中で答えが出ているケース。


「……僕の想像は悉く外れてしまう。以前に説明した通りさ」


 宗像九郎は否定されることを望む。

 必ず、正解のルートと違った進路を取ってしまう。

 確かに、わたしはそう聞いた。


「それも、一つの真実なのだと思います。ただ、真実のすべてとは思っていません。例えば今回の事件は、わたしに可能性を否定されるまでもなく、どんなに遅くとも、睡眠薬がコーヒーに混入されていたことが判明した時点で、真相への道筋を見抜いていたのではありませんか?」


 推理の間、宗像さんに合わせて唄っている間、わたしはそれをずっと考えていた。

 経験豊富な料理人が、材料を抱え、作るべき料理の完成図もわかっているのに、調理の仕方がまるでわからないと言われても納得はできない。

 確かに猟奇性は高かったのかもしれない。詳細がマスコミに知られれば、一週間は話題に上るような事件だろう。だからと言って、難解だったかと訊かれれば、わたしは断言するだろう。

 いえ、ひどく簡単な事件でした、と。

 無藤若菜自身も言っていた。彼女にはミステリーの、殺人の才能は無かったのだ。

 宗像さんは、どう返答すべきか考えているようだった。幼児に、答えのない質問を投げつけられた大人のように、ゆっくりと首を振る。


「買い被りだよ、真名君。僕は……」


「買い被りなど、ありえません。貴方はわたしよりも、ずっと頭が切れる」


 結局、韜晦の姿勢を崩さない選択をした宗像さんの言葉を、わたしは否定する。

 ありえない。

 賢しくなければ、あれほどの『あり得そうな可能性』を並べることなどできはしないし、わたしが採用試験に不満を感じていた理由を、わたし以上に整然と説明できるわけがない。

 わたしの断言に、宗像さんは一瞬驚いた表情を見せた後、悲しげに微笑んだ。


「……僕への評価が高いのはありがたい。けれど、これに関しては頭が『切れる』『切れない』の問題ではなくてね。事件において僕の推理が外れるというのは、ある種の呪いなんだ」


「呪い?」


「そう。僕の元相棒がかけた、ね」


 すでに亡くなっているという元相棒さんによる、推理が必ず外れるという呪い。

 ああ、殺人者がわかるなどという超能力があるのだ。確かに、呪いがあってもおかしくはない――などと納得するほど、わたしは人間ができていない。

 問題は、その疑問を今、糾すべきか否か。

 わたしの躊躇いの時を逃さず、宗像さんが言葉を接ぐ。


「安心してくれ。事件の舞台において、僕の推理が的中する可能性はゼロだ。それは、僕の〈力〉と同様の確実さを持つと思ってほしい。

 だから真名君は、僕の想像を、ただ否定してくれればいい。これは絶対に、嘘じゃない」


 宗像さんは、いつもの柔らかな微笑を伴って、そう言った。ここまで言われてしまうと、もはや、この場で追及はできない。


「お答えいただいて、ありがとうございました。……強引に、すみませんでした」


 頭を下げる。この話の続きは、また別の機会にさせてもらおうと考えながら。

 もしかしたら、上手くいけば、次の機会にでも、この人から得られるかもしれない。焦がれてきた一言を。


 そんな目測や目算や目論見は通じなかった。

 物語とは、自分の意志も意思も関係なく、

 止まるべき時は止まり、進むべき時は、進む。


「今日はこれで、失礼します。また火曜日に」


 鞄を持って立ち上がる。すると、珍しく、というより初めて、宗像さんはわたしを引き留めた。


「ああ、すまない。僕も、真名君に一つ、訊きたいことがあるんだ。いいかな?」


「構いませんが……何でしょうか?」


 そしてわたしがずっと焦がれてきた問い掛けは、ひどくあっさりと、この探偵の口から吐かれたのだった。



「真名君が人を殺したのは、いつのことだい?」




(二、お終いへの確認試験  了)

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