[11]


 常陸さんは表情を一変させ、グウと唸った後……盛大に暴れ始めた。


「あー! わかんねーよ、ちくしょう! だから、頭を使うのはあたしのフィールドじゃねーんだよ! 鳥が深海に潜れるわけねーだろ! 生き物にはそれぞれ適切な生き方があるんだよ! あんまりあたしをいじめると手錠外してやんねえぞこの野郎!」


「…………まだ、付けてたんですね」


「いや真名君、『今気づきました』みたいなリアクションをするのは流石にいかがなものかと思うのだがね。僕がどれだけ苦労して、この状態のまま現場を回っていたことか。もっと言うと、真名君と推理をしている間だって僕はこの有様だったんだ。もう少し僕に興味を持ってくれるとありがたいな。


 ……真名君が採用試験のどこに納得がいっていないか。理由は大きく分けると二つ。

 いずれの理由も、前回の採用試験と今回の事件、一体何が、どこが異なるかが肝要だ。比べてみると見えてくる違い。どうかな、常陸君?」


「違いも何も……どっちも殺人事件だろ? 違いってーと、えーと……あ、あれだ、犯人が男か女か!」


「いやいや、別に真名君は『女性が殺人者の方が興奮する』という性癖の持ち主じゃないだろう。……違うよね? ……すまない、念のための確認だったんだ。常陸君から追加の手錠をせびるのは止めてほしい。


 ……さて、答え合わせといこうか。

 一つ目の理由――それはね、解答の有無だ。

 採用試験で扱ったのは解決をしたことがすでにわかっている事件だった。それに対し、今回の事件は解決するかどうかわからない事件だった」


 宗像さんの言葉に、納得できないという風に常陸さんは顔を顰めた。


「いや、事件が起きたんだから真相があるに決まってるだろ。何言ってんだ」


「それは僕たちが、解決した後に立って語っているからさ。解決していない段階で、『答えは確かに存在している』と叫ぶことはできない。解決を見るまでは、解決があるかどうかは不確定なのだから」


「何とかの猫じゃあるまいに」


「まさにそれだよ。大切なのは猫の生死が確定しているか否かだ。

 あるミステリー小説で、探偵が『このトリックは僕には解けないから放っておく。後で犯人に聞いてみよう』と言ってしまう斬新なのがあったなあ。でも確かに、現実世界には、決して解けないトリックがあるのかもしれない」


「お前が殺人者を特定する、ってのは答えじゃないのか?」


「論証あってこその解答であり解決だからね。僕が単独じゃ役に立たないことは、常陸君もご存知の通りだ」


 答えがあると思って問題を見るのと、答えがあるかわからない状態で問題を見るのとでは、心理的状態はまったく違う。その心理状態の下で、あの採用試験の時のような推理が、否定が可能か否か。

 宗像さんの説明する通り、それは不安の種だった。


「真名君には余計なお世話かもしれないが、常陸君には丁度いい機会だし、この際ちゃんと説明をしておこう。

 僕たちが事件を解く際には、大きく分けて二つのルートがある。

 一つは、殺人者と事件の概要を聞いた段階で、真名君の中にある程度の答えがあり、答え合わせ、ではないね、間違い合わせをしていき真相を得るケース。恐らく、今回の真名君はこっちだったんじゃないかな?

 もう一つは、真名君が殺人者と概要を聞いても答えがわからず、僕との会話を通して、残った可能性から答えを最終的に導き出すケース。

 当然ながら、事件が錯綜すればするほど、前者のような解決は難しくなるわけだ。どういったルートを辿るかは結局、真名君次第だがね」


 ……ルートは二つ? いや、ルートは、もう一つあるはずである。

 しかし追及の言葉をわたしが発する前に、常陸さんが口を挟む。


「つーかそれ、前者のケースの場合、お前と真名ちゃんの会話っていらなくねーか?」


「――それは間違いだな、未練。考えうる可能性は潰しておいてもらわねば、困るのは演者の吾輩だ。アドリブで可能性を否定できる能力を、持ち合わせていないのでな。台本はないと困る」


 常陸さんの素朴な疑問に答えたのは、わたしでも宗像さんでもなかった。

 いつからいたのか。どこから聞いていたのか。

 白ずくめの、名探偵を騙る警察官、白良征一郎さんが、ワゴンの陰から登場した。それを見た常陸さんは、大げさなくらいに仰け反り、白良さんから逃げるように一歩下がった。


「うげっ、白良さん」


「一仕事終えた上司にそのリアクションか、未練」


 まったく、と嘆息した後、白良さんはわたしの方を向き、右手を差し出した。


「吾輩の俳優ぶりは合格だったかな? 真名ひいらぎ嬢」


 気品を感じさせる微笑を浮かべながらそう言う姿は、なるほど役者だった。絵になる男性、とはこういう人を言うのだろう。

 こちらがおずおずと出した手を、合格の印と受け取ったのか、白良さんは満足げに頷きながら、ギュッと握った。……少し痛いくらいに。


「常陸君、女子高生と握手している三十路オーバーの男性だよ。取り締まらないのかい?」


「冗談でもそんな話題をあたしに振るな。それが原因で死ぬことになったら道連れにするぞ」


 そんなバレバレなヒソヒソ話を気にしたわけではあるまいが、白良さんはパッと手を放して、


「改めて……久しぶりだな、九郎」


 と宗像さんに声を掛けた。


「確かに久しぶりですね。こうして事件を共に解決するのは」


 二人はごく自然に、手を握り合った。旧友、というより戦友の再会のようだった。このまま抱き合っても、何の違和感もない……とは言わないが、それはそれで絵になるだろう。

 繋がれた手が離れると、白良さんが感慨深げに、呟くように言った。


「あれから、もう二年、いやもっとか。

 確かにあの時『少し休め』とは言ったが、本当に長い休暇になったものだ。これで完全復帰、ということでよいのかな?」


「……ええ。真名君が付き合ってくれれば、ですが」


「ふむ、そうか。この役柄は、吾輩も愛着がある。できるだけ長く続くように願っているよ。

 ……ところで九郎、ずっと気になっていたのだが、その手錠は何だね?」


 どうも白良さんは、解決前の再会当初からあの手錠に気づいていたようだ。まあ、それはそうか。


「この二年で培った特殊性癖かと思って見逃していたのだが、仕事にまで持ち込むのは賛成しないな。それとも〈力〉を使うのにそうした拘束が必須条件にでもなったのか? だとすれば許可せざるを得んが」


「いえ、これは……」


「やべっ。えー! あー! それはですね!」


 常陸さんは宗像さんを押しのけ、言葉を遮ろうと必死に声を上げたが、当然のように逆効果だった。白良さんはこれ以上下がりようのないくらい冷めた視線を、常陸さんに向けた。


「なるほど、事情は推測できた。……未練。これは吾輩たちの仕事道具であって、玩具ではない。可及的速やかに外せ。そんなに書類仕事が欲しいのか」


「勘弁してください! ちょっとしたノリと成り行きだったんです!」


 必死に弁解する常陸さん。意外だった。誰に対しても豪放磊落な人だと推測していたのだが。


「常陸さん、上司には弱いんですね」


「ああ、彼女は根が体育会系で、警察組織もそうした面が強いからね。特に白良さんは仕事には厳しいから。キャラの違いに幻滅したかい?」


「いえ。へえ、と思いました」


 この会話は常陸さんには届いてはいなかった。必死に頭を下げる常陸さん。腰の角度はきれいに九十度。……大人は大変だ。自分もいずれ、社会に出るのだろうか。まるで想像がつかない。白良さんは腕組みをし、水飲み鳥のようになった常陸さんを見下ろしている。


「早くしろ。度を越えた親しみは非礼に当たると、何度言わせればわかるんだ、お前は」


「外します外します! えーっと、鍵、鍵、鍵、……あん……、あれ……、んー。…………ああ、そうか。多分、だけど、鍵、探偵事務所に置いてきた、か、な?

 ……………………まあ、あれだよ、あれ。済んだことは仕方がないし。真名ちゃん、宗像、帰り、送ってくぜ。はは、ははは、は」


 この、先の白良さんとは比較にならない不出来な一人芝居に、宗像さんはただただ苦笑し、白良さんは刑吏の目を持って微笑んでいた。

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