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『最善のかたちじゃなかったけれど、仕方ないですね。私には、ミステリーの才能はなかったようです。……じゃ、行きましょうか、名探偵さん?』


 その無藤若菜の言葉を最後に、わたしはイヤホンを外した。

 ワゴンのスライドドアを開け、外に一歩を踏み出すと、温く淀んだ空気を切り裂くような、心地よい冷気を伴った風が通り過ぎて行った。肩まで伸びた髪が風の向かう先に流れ、頬をくすぐる。

 くだんの別荘がある方向を見遣る。ここからでは、その建物の影すら見えない。直接会うことはなかった殺人者、無藤若菜。彼女は白良征一郎の手に引かれ、今まさにパトカーに乗るところだろう。

 解決した者たちの顔さえ知らないまま。彼女の中では永遠に、あの白ずくめの警察官が、自分を追いつめた名探偵なのだ。


「あー、終わった終わった。お疲れさん。どうだったよ? 初事件は?」


「…………」


 ワゴンから伸びをしながら降りてきてそう言う常陸さんに、わたしは言葉が出なかった。

 成し遂げた、という達成感めいたものがあるかと自身に問いかけてみても、返答はない。

 無言で立ち尽くすわたしに、常陸さんがそのまま言葉を繋いだ。


「にしても、不思議な動機だな。文学的と言うか散文的と言うか詩的と言うか……。無藤若菜以外の全員に、ゴーストライターが付いてたなんてな」


 あくまで、キャラクター設定の一つとしての小説家。

 千堂千穂、垰山由紀絵、鈴本まゆ、東原カズミの四名は、ただのタレントだった。

 あの中で、純粋な意味で小説家になりたかったのはただ一名。


『私は、小説を書く行為を冒涜することを、絶対に許しません』

『殺すのは、誰でもよかったんです。全員が同罪だったのだから』

『二度と小説を汚すな、という釘刺しになれば、それでよかった』

『ただ名探偵さん、一つ勘違いをしていますね』

『私は自分が睡眠薬入りのカップを手にしていたら、その程度の運しかないのなら、自分の首を括るつもりでいましたよ』

『作家に最も必要なのは、運ですからね』


「つーか、無藤若菜以外は、お互い小説書いてねーの知ってたんだろ? 幽霊花の意図の匂わせがあった時点で、無藤が犯人だって気づいてたんじゃねーか?」


「それはそうだろうね。そうでないと、脅しにならない」


 タイミングを計っていたかのように、こちらに合流した宗像さんが言う。


「無藤若菜は、メンバーからの告発は無いと踏んでいたんだろう。彼女は、他のメンバーがあの犯行状の意味を理解できた時を見計らって、『私、もうこんなのヤです!』とわざとらしく叫んでみせた。

 黙っていれば、何もしなければ、私もここで手を引くぞ、とね。

 無藤若菜以外のメンバーからしたら、余計なことを言えば自分のキャリアに大きな傷がつくし、最悪、東原カズミのように殺されかねない。だからこそ、解決の場において、無藤若菜をフォローするような発言が目立ったわけだ。


 ……もしかしたら彼女たちは、真相に気づいた直後、強かに今後のタレント業をどうしていくか考えていたかもしれないよ。それこそ、事件時のことをエッセイにでもまとめて売り捌く、とかね。

 まあ、推測で彼女たちを悪く言うのはよろしくない。ゴーストライターを付けることが犯罪になるかと言われれば、僕には判断ができないしね。後は常陸君たちに任せるとしよう。


 それにしても、コーヒーカップに睡眠薬の成分が残っていたのは僥倖だった。そうでなければ、解決までもう少しかかっただろう。

 いや、幸運だけで済ませることではないな。採取し、分析した人たちが優秀だったからこその結果だね。鑑識の人たちには頭が上がらないよ」


「へっへー、そうだろそうだろ。警察も日々進歩してんだぜ」


 そう得意げに胸を張る常陸さんに、宗像さんが意地悪く微笑んだ。


「ところで、常陸君。でしなに出した問題……真名君が採用試験に納得していない理由はわかったかな?」

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