[9]


「……――それでは諸君。解決の刻限だ」


 男は厳かに、低く凛とした声でそう宣言した。

 真っ直ぐ平坦に伸びた眉に対し、平行に据えられた目から放たれる眼光は鷹を思わせる鋭さを持ち、それが順繰りに四人の容疑者を捉えていった。

 身長は百八十センチほど。髪を丁寧に後ろに撫でつけ、背筋を針のようにピンと伸ばした立ち姿からは、自信と自負がにじみ出ていた。

 いや、そんなことよりも描写すべきは、その奇抜な、時代錯誤なファッションだろう。

 純白のツーピーススーツ。これだけでも相当に目を引くのだが、さらに純白の手袋をはめ、木製のステッキを持ち、時代がかったロイド眼鏡を掛けていた。それは事件解決の場に相応しい恰好とも、全然そうでないとも言えた。


「吾輩は白良征一郎せいいちろう。名探偵だ」


 この登場に、リビングに集められた関係者たち――千堂千穂、垰山由紀絵、無藤若奈、鈴本まゆの四名は、単純にギョッとした。自分の理解を越えた存在が突然眼前に現れた時の、極々自然な反応だった。

 その驚きに折り合いをつけると、彼女たちはすぐに眉を顰め、闖入者への威嚇を始めた。


『何? この道化は』

『警察は何がしたいんだ』

『馬鹿げた演劇でも始まるんですか?』

『こんな人が何を解決するって言うの?』


 etc etc……怨嗟の混じった視線が、侮蔑が、この自称名探偵に集中した。そんな中で、


「しばらく吾輩にお付き合い願おうか。なあ殺人者の、無藤若菜嬢?」


 至極アッサリと、白良征一郎は犯人の名前を指摘した。

 全員が唖然とする中、推理劇の本編が始まった。

 白良は滔々と事件のあらましを述べていく。もちろん、合間合間で観客からヤジが飛んだ。


『若菜が殺したとなぜ特定できるのか』

『寝ていたとはいえ、簡単に相手を絞殺などできるものなのか』

『睡眠薬をコーヒーにどうやって入れたか』

『若菜が犯人だとするなら、それをいかにして東原に渡したか』


 白ずくめの探偵は、すべてを容易く一蹴していく。

 ……そう、そしてこの解決劇は、今まさに佳境を迎えようとしていた。


「……――どうも貴嬢らは致命的な勘違いしているようだな。睡眠薬入りのコーヒーは、別段、東原嬢を狙って作られたわけではないぞ」


 この白良の言葉に、垰山が心底わからないという風に叫ぶ。


「いや、おかしいでしょ。だって、殺されたのはカズミなわけで……」


「貴嬢はよくもそんな論理展開力で、小説を売りにしようと思ったものだな。ボロが出なかったのは奇跡に近い。

 仕方ない。無知で蒙昧な貴嬢らのために、吾輩が骨折ってやろう。


 先にも説明したが、睡眠薬はコーヒーに入れられていた。

 旧式の食器洗い洗浄機などに任せるから、こんな痕跡が残るのだよ。猛省したまえ……と言っても、食器洗いはこの別荘の持ち主である千堂嬢が引き受けたということだから、あまり責められることでもないかもしれんがね。

 コーヒーは無藤嬢が淹れ、鈴本嬢がリビングのテーブルまで運んだ。そこから各々が、カップを持って行った。

 ここのキッチンは、リビングと一繋がりだ。

 そんな中で、どうやって睡眠薬を入れると言うんだね? ただ入れるだけではなく、かき混ぜる必要があるのだよ?

 睡眠薬が、何もせず入れただけで自然に満遍なく溶けて、かつ飲み手に違和感を覚えさせないなど、あり得ない。一口で即死させる劇薬を入れるというのなら、そんなことに構う必要はないがね。

 コーヒーに液体ないし粉末を入れ、混ぜる。

 キッチンにいた無藤嬢以外の誰に、そんなことができると言うのだ。

 ちなみに、鈴本嬢との共犯の可能性もない。

 もし無藤嬢と、コーヒーを持って行った鈴本嬢が組んでいたのなら、カップは鈴本嬢が手ずから全員に渡していたはずだ。ご存知のように、カップは同型だったのだから。

 もちろん、無藤嬢は薬入りのカップには何かしらの目印を付けておいただろうがね。

 無藤嬢が睡眠薬を入れた。しかし、その行く先を決めることは無藤嬢にはできなかった。


 ならば話は簡単ではないか。

 東原カズミ嬢を殺したいから彼女に睡眠薬を盛ったわけではなく、睡眠薬入りのコーヒーを飲んだから、東原カズミ嬢は殺されたのだ。

 貴嬢らが殺されなかったのは、運が良かったからだ。いや、五分の四で助かったのだから、運は並みだったから、と言い直しておこうか。あるいは、東原嬢の運が飛びぬけて悪かったとも言える」


「でも、そんなことをしたら、自分がその睡眠薬入りコーヒーを飲む可能性もあったわけじゃないですか。若菜は、最後にカップを取ったんですから。その場合はどうしたんですか?」


 千堂が口を挟むと、白良は心底馬鹿馬鹿しいという風に、大きくため息を吐いた。


「なぜそんなことも考えられないのかね?

 飲んで眠ればいいだけの話だろう。

 死に至る毒薬を飲むわけではないのだ。翌日の土曜日に計画を延期すればいい。そこでもハズレを掴むようなら、別日に計画を変更するだけだ。もっとも、二日続けて五分の一を掴むようなら、そもそも殺人など諦めた方がよいだろうがな」


「……貴方は私を、頭のおかしい、無差別殺人を好むサイコパスに仕立て上げたいようですね。なぜそんな、運に任せた、『誰でもいいから殺せればいい』なんて方針を、私が立てなければならなかったと言うんですか?」


 目を伏せたままの無藤若菜が、それはそれは静かに言った。それに対し、白良は口角をクイッと上げる。


「サイコパス? 馬鹿を言ってはいけない。狂人にこんな事件は起こせまいよ。なかなか考えられた脅迫行為だと吾輩は感心しているんだ。これほど効果的で攻撃的な代物は、そう見られるものではない」


 その言葉に顔色を変えたのは、無藤若菜ではなかった。他の三名に、明らかな緊張が走ったのだ。その様子を目の端で確認し、白良は続ける。


「今回の事件で重要なのは、殺人が明らかで、なおかつ容疑者が四人に絞られているという点だ。

 事故に見せかけるでもなく、外部犯に見せかけるでもなく、しかもここは絶海の孤島ですらない。警察はすぐに到着し、間違いなく、犯人自身も第一級の容疑者として扱われる。それにも関わらず、なぜ無藤嬢は殺人に及んだか。それを解き明かすための鍵は、これだ」


 白良の胸ポケットからゆっくりと、仰々しく取り出されたのは、被害者の口にねじ込まれていた、あのドライフラワーだった。


「犯人がリスクを冒してまで、他の三人に伝えたかったのはこれだ。犯行状の内容を覚えているかね?

 そう、『罪悪を飲みし者、すべて死すべし』。

 この犯行状が面白いのは、『ドライフラワーを飲んだ者』に加えて、『睡眠薬を飲んだ者』という意味がかかっているところなのだが、差し当たり、そんなことはどうでもよい。さて、被害者に詰め込まれたこの花の名前を、貴嬢らは認識しているかな」


 目配せをし合ってから、おずおずと千堂が答えた。


「幽霊花、ですよね」


「その通り。だが、それは名前としてはマイナーだろう。

 この花は特別に異名の多いことで知られているが、彼岸花、もしくは曼珠沙華と呼ぶのが通常だ。

 ……なぜ、『知らなかった』という顔をする者がいるのか、吾輩はさっぱり理解できない。このくらいの花の名前は知っておきたまえ。どれほど『無知の知』という言葉に信頼を置いているんだ。

 これをわざわざ幽霊花と強調して言ったのは、無藤嬢、貴嬢だ。一同が会した場において、貴嬢はわざとらしいくらいに、この花の説明をしてくれた、と聞いている。そして貴嬢はこのようなことを言ったそうだな。


『罪悪を飲みし者……その花が罪悪、なんでしょうか? 幽霊花が罪悪って、何なんでしょう?』


 花言葉の話も交えながらだったようだから、外部の者にはそこまで露骨には聞こえなかっただろうが、いやはや、この部分だけを切り取るとひどく間の抜けた一節に響く」


「……覚えていません」


「覚えていなくて結構だ。君個人の記憶がどうであろうと、警察の側で取った記録は揺らがないのだから。

 まあ、これに関しては無藤嬢が可哀想なのだ。吾輩は心底から同情する。わざわざそんなことを言わせるくらいに、他のメンバーたちが間抜けだったということなのだから。


 なあ、千堂嬢、垰山嬢、鈴本嬢。

 貴嬢らはこの無藤嬢の言葉でようやく、東原嬢が殺された理由がわかったわけだ。

 もう一つ追加で述べておこう。

 なぜ無藤嬢は『他の三人が起きている可能性』を埒外において犯行に及んだのか。執筆のための合宿なのだ。いくら殺す対象は起きないようにしているとはいえ、ドアの開閉音など、物音に気づく者は出てくるだろう。それを聞いたものが顔を覗かせるかもしれない。

 しかし、犯行はつつがなく実行された。なぜなら無藤嬢は、睡眠薬を盛らずとも他の連中は惰眠を貪っていると確信していたからだ。


 では――貴嬢らが執筆に使っていたという情報機器をすべて持ってきてくれたまえ。クラウドのデータも含めて提出してもらう。理由は、わかっているだろうね?」


 メンバーの誰しもが固まる中、無藤若奈だけが「あーあ」と、投げやりに呟いた。

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