[8]


「宗像九郎が断言しよう。無藤若奈は殺人者だ」


「…………」


 待機時間は約十五分。常陸さんと共に現場からこちらに戻ってきた宗像さんは、腰を下ろすなり、あっさりと断言するのだった。


「おや、どうしたんだい、真名君。ポカンと口を開けたりして」


「開けてません。いえ、何というか、実際の事件でこういう場面に接してみると……」


 詐欺みたいな話だ。醍醐味も何もあったものではない。

 宗像さんの答えを聞く前、わたしは全員が犯人である可能性も考えていた。

 唯一、高校時代にデビューしている者への嫉妬、そしてあえて煽動的な犯行にすることで、炎上マーケティングを試みた……などという推理は、ほんのひと吹きで散っていった。

 犯人である無藤若菜も、さぞ立つ瀬がないだろう。


「……常陸さんが先ほど話してくださったこと以外の情報は、既に宗像さんの耳に入っていますか?」


「うんにゃ、あたし自身、まだ何も新情報は聞いてねえし。実質、行って帰ってきただけだよ。『来た、見た、勝った』って感じ。

 ……あーそっか。そうだよな。気持ちはわかるぜ、真名ちゃん。あたしも最初にコイツらと組んで仕事した時は、ひでえ話だと思ったし。完全にインチキだもんな、コイツの〈力〉は。盛り上がりも何もあったもんじゃねえ」


 と、常陸さんは一人合点して頷く。

 その一人合点は、わたしの耳には入ってきたが、意味を持つ前に霧散していった。


 ああ、ということは――そうであるならば。

 考えなければならない。

 宗像九郎という人の、目的を。


「……さて、これから常陸君には現場に戻ってもらうことになるわけだが、その前に真名君に訊いておかないといけないことがある。

 真名君は、探偵小説の盛り上がり……つまり最高潮(クライマックス)はどこにあると思う?」


 宗像さんに名前を呼ばれ、ハッと現実に立ち戻る。

 そうだ、今はその時ではない。今は、役割を果たさなければならない。


「ええと……」


「質問の意味がわかりづらかったかな? 探偵小説というジャンルに共通する最高潮は、どこにあると、真名君は思うかな?」


 それは期せずして、先ほどここで考えていたことと同様の問いだった。探偵小説の、醍醐味。


「……好みや解釈は人によって違うというのを無視すれば、それは探偵が『犯人はお前だ』と名指しするシーンだと思います。関係者が勢ぞろいして固唾をのんで見守っている中、犯人が組み上げてきた論理を次々に解体していく場面。……いかがでしょうか?」


「うん、僕もそう思う。全面的に賛成する。

 短編だろうと長編だろうと、探偵小説のピークはそこだ。論理的でありながら、しかしできるだけ意外な犯人。それが暴かれる瞬間に、絶頂がある。もちろん、例外的作品はいくらでもあるだろうけどね。


 ああ、そう言えば、何を読んでも『やっぱり予想通りの犯人だった』と思う読者について論じているエッセイがどこかにあったな。そう思う理由は簡単で、『出てくる登場人物全員に疑いの目を向けているから、誰が真犯人でも〈やっぱり!〉と読者は思ってしまう』そうだ。まあ、気持ちはわからないでもない話だね。

 ……例によって本筋から逸れてしまったね。探偵小説の最高潮についてだ。さて、真名君には、そんな見せ場に立ちたいという願望があるかな?」


「ありません」


 即答する。それはもう、以前にやって懲りていた。探偵助手を務めることはやぶさかでないが、探偵を務める気はない。


「うん、それは重畳だ。いや、『ぜひ一度、犯人を崖の上で追い詰めてみたいんです』と言われたらどうしようかと思っていた。わかっていることとは思うが、真名君は基本的に、現場には行けないからね」


 事件の当事者ででもない限り、子供が現場にいていいはずがない。ましてや、探偵役を務めることなどあり得ない。

 しかしながら、ここで疑問が生じるのも確かだ。では誰が、解決役を務めるのか?


「宗像さんが舞台に上がる、ということですか?」


 わたしと違い、宗像さんは役目を十全に果たせるだろう。採用試験の時の、この人の名探偵然とした表情を思い出しながらわたしがそう訊くと、宗像さんは首を横に振った。


「僕が舞台に直接上がることはない。その役は、僕には荷が勝ちすぎている。何より、警察が出張っている事件で、僕が目立ち過ぎるわけにはいかないしね」


 ワトソン寄りのホームズとホームズ寄りのワトソン。そのいずれもが、解決役を仰せつかることはないとなると……宗像さんとわたしの存在がわかっていて、かつ、論理的に事件を説明できる人物。それは……。


「…………………………………………………………常陸さんが、解決役ですか?」


「……苦渋の決断ですが、みたいな顔で言われると、あたしも相応に傷つくんだぜ、真名ちゃん……。ま、確かにそんな役、あたしは絶対にできねえけど」


「すみません」


 ……であるならば、もう答えは一つしかない。ここにはいない、すべての事情を知る誰かが、警察のがわにいるのだ。


「少し到着が遅れているようだが、すぐに紹介できると思う。警察所属の名俳優を」


 名俳優?

 殺人現場にそぐわない宗像さんの言葉に、わたしは首を傾げた。


「会えばわかるよ。いや、見ればわかるよ。間違いなくね」


 不安しか生まないような言い回しだったが、後になってわかった。宗像さんの言葉が、いかに正鵠を射ていたかが。



 常陸さんが話してくれた概要の追加として、現場から得られた情報は以下の通り。


 ・食器洗い機に入れられたカップの一つから、睡眠薬の成分が検出された。

 ・コーヒーカップは色も形もすべて同じものだった。

 ・コーヒーを淹れたのは無藤若菜である。

 ・コーヒーをテーブルへと運んだのは鈴本まゆである。

 ・そのコーヒーを、銘々は好き勝手にお盆の上から持って行った。

 ・カップを最後に取ったのは、無藤若菜だった。

 ・コーヒー用の砂糖やミルクの類に、薬が盛られた形跡はなかった。

 ・彼岸花には、多くの別名・異名が存在するが、殺人者である無藤若菜はそのうちの一つを殊更に使っていた。


「――それでは、想像の時間だ」


 否定の唄の指揮棒が、軽やかに振られた。

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