二・『お終い』への確認試験
[序]
電気の消えた自室で、わたしは腹を見せた芋虫のように、ベッドの上に転がっていた。
夜の帳はとっくに落ち切っていた。遮光と防音を兼ねた分厚いカーテンは、この部屋を暗闇と森閑の内に閉ざし、ただ心臓の鼓動音だけが自分の内部から響いてくる。その原初の音楽に
剣菱昇。
太平洋戦争の動乱の中で人を殺し、平和になった日本で息子を殺害された憐れな老人。
この老人に向かって『因果応報だ』などと嘲笑していい人間はいない。
国のため、家族のため、自分のため。
土と血と
敵のかも味方のかも知れない断末魔を聞きながら。
正義という言葉の前提を考える猶予すら与えられない狂気の中で。
この人は死にもの狂いで生きたのだろう。
戦争とは国家間で行うもの。そこでは個人名は抹消される。撃った弾丸が誰に届いたかなど、逐一調べることなど不可能だ。そう考えると、戦争とはある意味で、完全犯罪の集積場なのかもしれない。誰かが誰かを殺して、その誰かが誰かに殺される。証拠品は無数に転がっているが、探偵も警察もいはしない。
剣菱昇は、何人を殺したのだろう。
どこで殺したのだろう。
いつ殺したのだろう。
どうやって殺したのだろう。
……わたしは何も知らない。いや、それを正確に知っている人間は、もうこの世に誰もいないのではないか。
はっきりとわかっているのは、剣菱昇が人を殺したことがあるということ。剣菱陽向殺害事件の時点から見て、約六十年前に。
そう、それが鍵なのだ。
宗像さんはそれでも、昇氏を殺人者だと判別することができた。
つまり――何年経とうとも、どういった経緯であっても、何を思っていようとも、罪を償っていようとも、深く後悔していようとも、完全犯罪を成し遂げていようとも、人殺しの烙印は消えないのだ。そこに例外は、ない。
(本当に?)
暗闇の先にあるはずの天井を見つめながら自問する。
それは間違いのない、確定情報なのかと。わたしは、宗像九郎という男を、信じ切ってよいのかと。
それを知るためには、確認するためには、足りないものがあった。
人の命。
正確には、殺人事件が、足りていない。過去のものではなく、現在の。誰かを贄に捧げないことには、この胸の内の疑問が氷解することはない。
そしてその時は、早ければ明日にでも訪れる。そう思うと、脳がジワリと熱を帯び、一定だった心音が大きく乱れるのだった。
……慎重に動く必要がある。
わたしの物語のために。『お終い』のために。
答え合わせのあの日のように、熱に浮かされて質問を重ね続けるような愚は控えなければならない。
あの時のわたしは本当に悪手ばかり重ねていた。何も考えずに熱情でカードを切り続けた記憶を消し去りたい。叫びたい衝動を抑えるため、うつ伏せになって枕に顔を押し付けた。
丁寧に、ゆっくりと。
手を伸ばせば届きそうだからこそ、伸ばす距離を誤ってはならない。そう自分を戒めてから目を瞑る。今はただ眠ろう。
アルバイトの、初日に備えて。
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