[結]
「……――一目見て、剣菱昇が殺人者だということはわかった。しかし相棒には、僕の推理を木っ端微塵にされてしまった。完膚なきまでに、ズタズタにね」
宗像さんは、わたしが渡した書類を確認しながら、説明を続ける。
「それでも、剣菱昇が殺人者ということは変わらない。僕にはその理由がわからなかったわけだ。
剣菱昇が人殺しだからといって、別に剣菱陽向を殺したとは限らない、なんて簡単なことがさ。初めて遭遇した殺人事件にすっかり舞い上がっていたんだね。
真犯人は、素行不良で陽向氏の会社をリストラされた元社員だったよ。
会社に戻してくれるよう交渉しに行った、と捕まってから証言したらしいが、ベルトにバカでかいスパナを挟んでの来訪だったんだ。もともと殺意はあったんだろう。
自分の頭をたたき割ろうとしている人間を、人のいい陽向氏はあっさり二階に上げてしまった。人格者であるということも、時によっては考えものだね」
「……結局、剣菱昇氏は誰を殺していたんですか?」
ファイルの中の情報に、剣菱昇に前科があるという記載はなかった。少なくとも公的には、剣菱昇が殺人者だという記録は残っていないことになる。
「真名君にはすでに、予想があるんじゃないかい?」
「人を殺して捕まらないケースなんていくらでもあるでしょうが――人を殺したことがある人なんてそういません。
そして『この資料には、解決に必要な事件当時の状況は余すところなく載せている』、でしたよね。
偶々捕まらなかったというご都合主義でないとすれば、あるいは正当防衛が力の対象外なのだとすれば、人を殺せる立場にいたことがあると考えるのが自然です」
「昇氏は元警察官でも元死刑執行人でもない、建設会社の元社長だよ」
「合法的に人を殺せた出来事が、いえ、人同士が殺し合わなければならなかった出来事が、事件の六十年ほど前にありましたね。資料における、事件当時の昇氏の年齢とも合致します」
「お見事」
宗像さんの顔に、先週の別れ際に見受けられた暗さはなかった。どこか吹っ切れた顔つきだった。いや、吹っ切った、と言う方がこの場合は正しいのかもしれない。ただの、わたしの推測だけれど。
「なぜこんな恥ずかしい過去を採用試験に使って曝したかというと、もちろん真名君の推理力を試すためというのがメインだが、僕の持つ〈力〉の不完全さを知ってもらいたかったという理由もある。
僕は該当する事件の殺人者がわかるわけではない。
人を殺したことがある人間がわかるだけだ。
だから例えば、容疑者全員が殺人の前科持ちだった場合お手上げになるし、容疑者はある程度絞られていないといけない。数日前に『仕事が少ない』と言ったと思うが、僕の〈力〉が発揮できるケース自体がそう多くあるものじゃないんだ。
いやはや、殺人者がわかったら無敵の探偵だと思っていたころを思い出すと、実に
衒いではなく、心底照れくさそうに耳の後ろを掻きながら宗像さんは述べた。わたしは手にしたマグカップに目を落とし、言った。
「宗像さんが『元相棒』と呼んでいる人は、今は?」
「お墓の下だよ。もう二年半になるかな」
「……わたしはその人の代役、ということですね」
「彼女の……元相棒の代わりは誰にもできないさ。君の代わりが誰にもできないのと同様に。ありきたりなセリフだけどね。
……以前、『今は開店休業中みたいなもの』と言ったことがあるけど、覚えているかな?
元相棒が死んだ時、僕はいつまでも休業するつもりでいたんだ。
仕事の斡旋係にどやされてあの求人を出したが、別の相棒なんて、とても考えられなかった。いやまさか、あの出鱈目な内容で人が来るなんて思わなかった」
そう言って、宗像さんは笑った。つられて、自分の口元が緩むのを感じた。
「真名君と初めて会った時、君の瞳の中に元相棒の影が見えた。償いの……いや、すまない、これは僕の勝手な感傷だな。……僕には僕の求めるものが、この仕事にある。真名君には真名君の求めるものがあるように。
そのために、真名君の力を貸してほしい。
誰かの代わりとしてではなく、真名君の力を。
もちろん、僕は君のためにできることをしよう。推理を外し続ける、頼りない男かもしれないけどね」
宗像さんにできること。宗像さんにしか、できないこと。
「では、いつか――」
言いかけて、口を結ぶ。まだ、それを言葉にする時ではない。
「――いえ、今はこの役目を務めましょう。わたしは、貴方を否定します」
届かないと思っていた『いつか』の、始まり。そこへ手が届くその時まで。
宗像さんは目を細め、
「お茶のお代わりはいかがかな?」
と、電気ケトルを持ち上げた。わたしは「いただきます」と言って、ティースプーンで粉末緑茶を一匙掬い、自分のカップに入れた。
もう少し、話をしたかった。人殺しを一目で判別するという、この不思議な、黒ずくめの探偵と。
(一、お終いへの採用試験 了)
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