[11]
「……――終わりました」
「うん? おや、随分と早いね。ソファにかけて待っていてくれたまえ、すぐ行く」
ドアの向こうから聞こえた指示に従い待っていると、二分ほどして宗像さんは出てきた。自分の正面に座り、問いかける。
「自信のほどはいかがかな?」
「……さあ、やってみないことには」
推理を披露したことはあっても、推理を否定するのは初めてだ。初めてのことは、わからない。どうするか、どうなるか。
宗像さんはわたしの緊張を読み取ったのか、殊更に声を和らげ、言った。
「探偵小説に出てくる名探偵は、よく『犯人はわかっているが、今は諸事情で言えないんだ』何てことを口にするよね。
あるいは、『犯人の目途はついているんだが、その証拠を固めるためにちょっと旅行をしてくる』というパターンもある。
後々になってその理由が説明されるのだけれど、概ねがどう考えても『とっとと言っておいた方が良かったんじゃないか?』という類の理由だ。
こうした描写には『探偵はもう犯人を推定できているぞ、君たちはどうかな?』という挑発と、『しかし犯人の名前を出さずに引き伸ばしたい』という思惑が込められているんだろう。メタな視点で物語を捉えるならばね。
だけど僕はこうも思うんだ。
探偵は自分の周りの結果しか求めない連中に、想像の大切さを伝えたいんだよ。その想像の果てに生み出される有象無象の結末の可能性こそが、探偵の求めるものなんだ。
想像は人間だけに許された特権だ。それを行使することの喜びを、僕たちは素直に噛みしめればいい」
「……わたしは、揺るぎのない『お終い』を求めます」
「だとすれば僕たちはひどく、相性がいい」
宗像さんは笑顔でそう言うと、俯いて一度頭を軽く振った。
顔を上げた時の宗像さんは、わたしには十分に『名探偵』に見えた。
「――今回の殺人者は剣菱昇。推理の鍵は三つ。
一つ、車いすの昇氏はどのようにして二階に上がったか。
二つ、どうやって陽向氏の前頭部を殴ったか。
三つ、凶器をどこにやったのか。
この三つをクリアするトリックを明かさなければならない。順当な見方であれば、妻の兼子氏あたりが容疑者の筆頭なのだろうが、その可能性は絶対に消去していい。
それでは、想像の時間だ。
――可能性一、昇氏は、本当は車椅子などなくても活動することができた。この殺人は二年前から綿密に準備されていた計画殺人だった」
「ありえません。大学病院の診断書が出ています。彼の両足は死んでいます」
精神性のものなら言い訳もたつが、昇氏のそれは脊髄の損傷によるものであり、診断を誤魔化せる病状ではない。
「病院もグルになっている、という可能性は?」
「ありえません。開業医ならまだしも大学病院です。警察が介入している、それも殺人事件で、病院側に嘘をつくメリットがない。大学病院の医者を個人的に、何らかの形で脅迫していたところで、別の医者が再検査すれば容易にわかることです」
「『名探偵コナン』に、車椅子に乗った男性が犯人で、主治医がグルだった、というのがあるよ」
「現実とマンガを混同させないでください」
「真名君も考えないかい? 小説や漫画のトリックを完璧にこなしたなら完全犯罪が可能なのではないか、と」
「小説やマンガのトリックは机上の空論であることを前提に書かれています。現実で行うなら、現実を前提にしなければなりません。そしてこの殺人事件は、現実で起こったことなのでしょう?」
「その通り。
可能性一、破棄。
――可能性二、昇氏には複数の共犯者がいた。雇っていたヘルパーでも、会社の元同僚でもいい。何なら金で雇ったとしてもいいさ。そいつらが犯行当時現場にいて、何名かが陽向氏を押さえ、別の者が昇氏を二階まで運んだ。凶器は共犯者が処分した」
「ありえません。被害者が争った形跡は残っていません。四十七歳とはいえ、陽向氏は壮健な男性です。何人いようと、いえ、何人もいればこそ、形跡を残さずに組み敷くのは無理でしょう」
「わらわらと人が入ってきたら警戒するし、抵抗するのは当然か。薬を使われた形跡もないとなると、確かにね。しかし、何らかの形での共犯者の協力を想定しないことには、昇氏が陽向氏を殺害するのは不可能ではないかい?」
「それを想像するのは宗像さんの仕事です」
「なるほど、一本取られたね。
ああ、それと『宗像さん』なんて他人行儀な呼び方はしなくてもいいよ。『九郎』と呼び捨てにしてもらったって構わないくらいだ。真名君と僕の仲じゃないか」
「わかりました、宗像さん」
「うん、見事なループだね。
可能性二、僕への呼称も含めて一時保留。
――可能性三、剣菱家には車椅子用の秘密のエレベーターがあった。それを使って二階に向かい、陽向氏を殺害。その後、再びエレベーターを使って一階に戻った」
「ありえません。可能性一よりもありえないでしょう」
「秘密の抜け道は探偵小説のお家芸だよ」
「先ほども述べた通り、小説と現実は別物です。
車椅子が入れるエレベーターとなれば電気系統含め、かなり大規模なものになります。家族はともかく、警察の目から隠せるはずがありません。探偵小説で警察を無能に描くのは常套手段ですが、先ほども述べたように、これは現実の話のはずです。
それに二階に上がったところで、昇氏が車椅子であるという前提が崩れたわけではありません」
「二階に無事上がったところで陽向氏の前頭部を殴る術はない、か。
可能性三、破棄。
――可能性四。昇氏が二階に上がった、と考えるから論が進まない。
こうすればどうだろう。実は陽向氏が殴られたのは一階で、そこから陽向氏は何らかの理由で二階に上がり、そこで息絶えた。ルルーの『黄色い部屋の謎』の変形というわけだ」
「ありえません。血痕の様子から見て、殴られたのは二階のリビングと考えるのが妥当です。それにそのリビング以外のどこにも、血は残っていない。昇氏が拭き取ることは、言うまでもなく不可能ですし、そもそも、一階から二階へ陽向氏が自力で行くこと自体が不可能です。即死に近い状態だったのでしょう?」
「可能性二との合わせ技だとどうだい? 一階で殺害後、共犯者が陽向氏の遺体を二階に運んだ。これだと運ぶ途中で血が落ちても拭き取れるだろうし、凶器も処分できる」
「陽向氏が殴られたのは、発見から二十分ほど前とのことです。陽向氏の遺体を二階に運び、そこで殺されたように偽装するのは至難でしょう。一階で殺したのならその後始末もしなければならない。とても処理は間に合わない」
「……可能性四、破棄。
――可能性五、昇氏が何らかの遠隔操作で陽向氏を殺害後、共犯者が凶器を回収した」
「遠隔操作で殺した結果であっても、殺人者とわかるんですか?」
「殺意のもとに、『殺した』という結果を本人が確信していれば、僕の力の範囲内だ」
そう、わたしが聞きたかったのは、その言葉だ。
「……いずれにしてもありえません。被害者が倒れていたのはソファから数メートル離れたところです。定位置を促すものがない。遠隔操作での殺害ならば、相手がその時間、その場所にいることが条件になります」
「親族にしか知らない習慣があったのでは? 決まった時刻、その場で運動をするとか」
「あっても構いませんが、陽向氏の傷は前頭部への殴打によるものです。遠隔操作で確実に殺せる可能性は、とても低い。
そもそも車椅子の昇氏がどうやって、そんな装置を二階に作ることができますか?」
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