[10]


「……――さて、採用試験を始めよう。

 導入を述べると、この事件は僕が高校生の時、初めて遭遇した殺人事件なんだ。

 もちろん『工藤新一のような高校生探偵で、依頼を受けて赴いた』わけではなく、居合わせたのは本当に偶然だった。


 いや、こう言うと逆に名探偵じみてしまうな。『探偵に求められるのは、事件を解決する能力ではなく、事件を引き寄せる能力だ』とは、はて誰の言葉だったか。

 ちなみにその観点で言うと僕にはやはり名探偵の素質はない。偶然殺人事件に出くわしたことは、これを含めて、生まれてこのかた四度しかない」


「多いです」


「そうかい? 世の探偵は歩けば死体が転がってるんだ。四度なんて限りなくゼロに近いと思うけれど」


 そう言って、宗像さんはテーブルの上のファイルの表紙を撫でた。


「元相棒と一緒に友人の家に行った時のことだ。二階のリビングでその友人の父親が倒れていた。頭から血を流してね。あれがすべての始まりだった。

 ……真名君にはこの資料を読んだ上で、僕の推理を一から十まで一絡げに打ち砕いてもらう。無事に真相を解明できたら、採用させてもらおう。

 資料ではプライバシーの都合、伏字を使っているところもあったりするが、解決に必要な事件当時の状況は余すところなく載せてある。

 それじゃあ、頑張って。時間制限は設けないから焦らずやるといい。何かあったら、隣の資料室にいるから、声をかけてほしい」


 そう言って立ち上がると、宗像さんは入口の対角にあるドアの向こうへ消えて行った。

 ガチャリとドアが閉まる金属音の、その余韻に浸りながら目を瞑る。

 ああ、こんな緊張感のある試験は、いつ以来だろう。

 わたしは、ゆっくりと目を開き、ファイルを開いた。



 二〇〇×年五月七日(日)、剣菱《けんびし》工業社長、剣菱|陽向《ひゅうが》(四十七歳)が何者かに殺害された。

 場所は××県××市、剣菱家二階のリビング。発見時刻は午後二時三十分。死因は鈍器のようなもので前頭部を殴られたことによる外傷性ショック死。一撃で頭蓋骨を割られており、即死に近い状態だった。

 発見者は日向の娘である剣菱夕貴を含む、高校生三人。

 事件発覚時、家にいたのはこの三人と、陽向の父である剣菱工業元社長、剣菱のぼる(八十四歳)の計四人だった。

 陽向の妻の兼子かねこ(四十二歳)は外出をしていて不在。また、昇のためにはヘルパーが雇われていたものの、住み込みではなく、事件時は在宅していなかった。

 家はもともと剣菱昇のものであったが、事件の起こる三年前、昇の妻(良美よしみ)が病気で亡くなり、昇の介護のために同居が始まった。主に一階を昇が、二階を陽向親子が使用していたが、食事などは一階で一緒に取っていたらしい。

 警察の取り調べに対し、昇は一階の自室で寝ていて何も気づかなかったと述べ、兼子は知人のマンションにいたと話し、そのマンションの防犯カメラの映像からアリバイが証明された。


 ……殺害の動機という観点で言えば、この妻の兼子が最も疑わしい。

 兼子は昇との同居に対して否定的で、陽向とよく口論していたことがわかっている。事件時に兼子が訪れていたという知人も、家にいたくないことも手伝って拵えられた不倫相手だった。


(でも)


 その疑いは晴れる。兼子にアリバイがあるためではない。

 被害者である陽向の財布が現場からなくなっていたためでもない。


 剣菱夕貴の友人として現場にいた、宗像九郎は断定する。

 殺人者は剣菱昇である、と。


 昇は事件時に家にいた唯一の人物であり、アリバイは無い。ただ、彼が犯人でないことは明白に見えた。

 一つ、剣菱昇は事件の二年前から車椅子生活だった。自力で歩行することは不可能。彼の足は動かない。大学病院のお墨付きである。

 二つ、現場に凶器は残されておらず、家の中および周辺から発見されることもなかった。仮に昇が息子を殺していたとしても、車椅子の状態で凶器を外部に捨てに行くことはできない。


 しかし重ねて言う。剣菱昇は、殺人者である。この前提は何があっても崩れない。

 ファイルに挿入された、殺害現場の写真を見る。

 遺体は写っていない。救急車ですぐに運ばれたのだろう。しかし、リビングほぼ中央に置かれたソファから、数メートル離れたところに見える、カーペットの上に広がった鈍い赤色は、そこに倒れた被害者の姿を想像させるに十分なものだった。

 なお、剣菱陽向は病院で死亡が確認され遺体の検分がなされたが、抵抗した形跡や、暴行された傷跡、薬物を使用された痕跡などはなく、殺害されてから発見までの間は、二十分と経っていないと推定された。

 家の中で、窓が割られた箇所はなく、何者かが室内を土足で歩いた跡も見つからなかった。指紋に関しては、陽向に客が多かったこともあって多数残されており、そこから犯人を割り出していくのは時間がかかると推測された。



 ファイルに収められた資料の概ねは、こんなところだった。

 宗像さんは言った。

 この資料には、解決に必要な事件当時の状況は余すところなく載せている。


 だとすれば、答えは――。


 この答えを確認することは、自分の未来を一つ、確定することになる。恐懼と高揚と歓喜と。それらの感情がぐちゃぐちゃに混ざって、血液と共に体内を廻っていく。わたしはソファに身を沈め、その感覚が落ち着くのを待った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る