賢いドラゴンと生贄の神子

@Miriam

第1話

むかしむかし、ある国がありました。

その国の田舎に小さな村がありました。


その村には、神様と祀られているドラゴンがいました。

神様といっても、いい神様ではありません。


ドラゴンは知性が低い、気まぐれで凶暴な生き物です。

人間はドラゴンにとって不味いらしく、食べるためには襲ってきませんが、いつ面白半分に殺されるかもしれません。


それを神様としておだてて、さらには十年に一度、生贄として若い娘を差し出す事で村は生き延びてきました。

いえ、いつしか始まったそれを利用して、むしろ他の村よりも繁栄していました。


ドラゴンはキラキラ光る宝石や、金銀財宝が大好きです。

もちろん自分で使ったりはしませんが、ただ集めるのが大好きなのです。


十年に一度、自分に差し出される娘は美しい娘ばかりで、他の宝と同じようにドラゴンを喜ばせます。

しかも、生贄の娘はドラゴンの口に合うように、果物や野菜だけを与えられて育てられます。


しばらく見て楽しんだら、美味しく食べられるのです。

その見返りに、ドラゴンは村にいくばくかの金貨や宝石を分け与えます。


ドラゴンにとっては小銭程度の価値ですが、貧しい田舎の村とっては十年以上は食べて行けるお金です。

こうして、その村とドラゴンは共存していました。


そして、今日は十年に一度、次の生贄がドラゴンの元に運ばれる日です。

ドラゴンの住む山に向かって、数名の若者が歩いています。


真ん中の生贄の女の子を囲むようにして、数名の男がいます。

ドラゴンへの貢物にされるだけあって、その女の子は村の他の娘の誰よりも美しいです。


でも今は、女の子は両手を後ろで縛られて、両足が歩けるだけの余裕を残して縄で繋がれています。

生贄では外聞が悪いので村では神子と呼んでいますが、神子に逃げられたら大変です。


ドラゴンが怒ったら、村は栄えるどころか滅んでしまうかもしれません。

ですので代々の神子は、村の中でも貧しい小作人の子供や、村長に逆らえない家から出させていました。


でも、この方法だと神子になるのが美しい女の子だけとは限りません。

だから数代前から、お金はかかりますが、村を訪れる人売りから小さな子供を買うようになりました。


これで村人全員が安心しました。

自分の娘や孫が、神子になる事がなくなったのです。


それまでは神子に選ばれた子供や、その家族が逃げ出したり、誰が選ばれるか争ったりしていたのがなくなりました。

むしろ、次の神子を村はずれに閉じ込めて育てる事ができました。


神子に余計な知恵をつけられては、村は困ります。

何も知らない小さな子供に、村のためにドラゴンの花嫁になるのだと教え込みます。


最後には食べられてしまうと正直に言う訳がありません。

ドラゴンの一部となって、永遠に生きられるのだと教え込みます。


また、成長して美しくなった神子が、万一にでも村の男と契りを結んだりしては大変です。

ドラゴンは知性が低く凶暴ですが、臭いには敏感です。


だから、その場所に近づけるのは限られた人間だけで、その人間もまた別の人間に監視させています。

神子として役目を果たしてもらわないと、大金で買ったのに大損です。


そうまでしたというのに、今回の神子は誰が余計な知恵をつけたのか、逃げ出そうとしました。

十年間、村で養ってきたのに、なんという恥知らず、恩知らずでしょう。


幸い、何重にも監視していましたので、すぐに捕まえる事ができました。

神子をそそのかしたのは鍛冶屋の息子でした。


数年前から自分だけが知っていた抜け道を通って、裏から神子の住まいに遊びに来ていたようです。

神子に村の生活や、街の賑やかさ、本に書かれている遠い国々の話を聞かせていました。


ドラゴンについても喋ったようです。

神子の住処には格子がありましたので手をつなぐ以上の事はなかったようですが、近づく事すら禁じられているのに、とんでもない話です。


村の真ん中の広場に村人全員が集まっています。

そこには鍛冶屋の息子が縛られて転がされています。


連れてこられた神子がそれを見て、泣き叫んで許しを請いました。

自分は役目通りにドラゴンの生贄になるから、鍛冶屋の息子の命を助けてくれと叫びました。


村の秩序や平和を乱す者には罰が必要です。

繁栄を邪魔する者には罰が必要です。


掟を破るとどうなるのか、見せしめが必要です。

村長の命令で、屈強な若者が棒を手に、神子の目の前で縛られている鍛冶屋の息子を滅多打ちにします。


頭から足まで、所構わずに男達の棒が振り下ろされて、猿ぐつわの下からくぐもった苦痛の呻きが流れます。

打たれた場所の皮がたちまち破けて血を噴き出して、あるいは内出血に赤黒く変色します。


骨の折れる音もいくつも聞こえます。

鎖骨も両腕も折れたので、もう鍛冶屋としてどころか、普通の生活も送れないでしょう。


それでも男達は手を緩めません。

鍛冶屋の息子が神子に近づいていたのを気づかなかった失敗を埋め合わせるように、今度は自分が打たれないように、より力を込めて棒を振り下ろします。


半狂乱で泣き叫ぶ神子を見た村の若い娘達が、心底嬉しそうに笑いました。

いえ、嬉しいのです。


買われてきた孤児のくせに、自分達よりもはるかに美しくなった娘が憎いのです。

鍛冶屋の息子は仕事で鍛えられた体に整った顔、優しい性格をしていました。


いつかは彼に嫁ぎたいと思っていた、年頃の娘も少なくありませんでした。

でも、鍛冶屋の息子はいつもそっけない態度で、誰にも結婚の約束はしませんでした。


その男を、あろう事か餌の分際でたぶらかした神子が許せないのです。

自分には振り向かなかった男を、村の掟を破ってまで助けさせる程に心を掴んだ神子が許せないのです。


その女が、生贄として惨たらしくドラゴンに喰い殺されるのが嬉しいのです。

村長の鶴の一声で、神子の娘はそのまま離れに戻されて、翌日の朝早くに出発と決まりました。


広場の真ん中に、鍛冶屋の息子が瀕死の重傷で意識を失ったまま倒れています。

泣き叫びながら暴れていた神子も、いまはぐったりしています。


鍛冶屋夫婦から神子に、お前のような恥知らずのせいで息子の一生が台無しになったと罵声が投げかけられました。

若い娘達はもちろん、その場にいた全ての人間が頷いて、同じように神子に罵声を浴びせかけました。


ドラゴンの生贄を傷物にはできませんので、殴られたり石を投げられたりはしませんでした。

でも、その場のすべての村人の視線が、憎しみが、実際に殴られるよりも深く、神子に突き刺さりました。


神子は一言も喋らずに離れに連れていかれました。

念のために、逃げ出さないように手と足を縄で縛られました。


付き飛ばされるように部屋の中に転がされましたが、神子の口からは苦痛の声もでませんでした。

夜が明けるまで、転がされたままで身じろぎもしない神子のところに、迎えの人間が来ました。


若い男が数名、神子を逃がさないように囲むようにして出発しました。

神子は男たちに囲まれたまま、黙って歩きました。


何時間も歩きました。

やがて一行は、ドラゴンが住んでいる山の麓から、神子を置き去りにする小さな社に着きました。


社といっても壁はなく、柱と屋根しかない建物です。

男たちはドラゴンを恐れ、神子の縄も解かずに無言でさっさと立ち去りました。


それでも神子は虚ろな眼をしたまま、もう死んでしまったように横たわっていました。

生まれて初めて嬉しいと感じて、楽しいと思った時間は幻のように消えました。


この数年の間に神子の胸の中に小さく、しかし激しく芽生えた感情は砕け散りました。

最初から見るはずでなかった夢も、全て終わりました。


もう、何もかも終わったのです。

ドラゴンに食べられるにしても、たぶん痛いのは一瞬だろうと神子は思いました。


どのぐらいそうしていたのか、神子のお腹が鳴りました。

もうすぐ死ぬと分かっているのに、空腹を覚えた自分自身に神子は驚きました。


それに我に返ると、かなりな時間が経ったのか、社の入り口の方に白んできた空が見えました。

神子が身を起こした時、何か聞こえました。


山の上の方から、社の方に何かが近づいてくる音です。

何か、大きな物が動く音です。


やっぱりドラゴンは大きいんだなと、神子は無感動に思いました。

音はどんどん近づいてきます。


いきなり、森の木々の間から、ぬうっとドラゴンが現れました。

硬そうな青いウロコに覆われた体は、村で一番大きな村長の家ほどもありました。


神子を不思議そうに見ています。

さらに近づいてきました。


こんなところで何をしているの、とドラゴンがのんびりした口調で神子に聞きました。

ドラゴンの生贄としてここに連れてこられたのよ、と神子が答えました。


間の抜けた顔をしているドラゴンに、食べるなら早くして、と神子は言いました。

そんな事しないよ、とドラゴンは答えました。


逆に、何故こんなところにいるのかとか、生贄とは何なのかを聞いてきました。

神子は、今までの事ドラゴンに話しました。


話を聞いたドラゴンは、人間とは違ってもハッキリとわかる、ひどく悲しそうな顔をしました。

大きなかぎ爪の手を器用に使って、神子を縛っていた縄をほどいてくれました。


村長に聞いていたのとは違い、目の前の大人しいドラゴンに神子も驚きました。

またお腹がぐうと鳴りました。


ちょっと待ってて、とドラゴンが言った後にどこかに行きました。

すぐに戻ってきましたが、沢山の果物を抱えています。


お腹がすいてるんでしょ、とドラゴンが神子に優しく言いました。

私を食べないのかと、神子が訊きました。


果物を食べてるのなら、私も食べるんじゃないかと聞きました。

そのために、果物や野菜だけで神子は育てられてきたと言いました。


ドラゴンはのんびりした様子で、自分はそんな事はしないと言いました。

他のドラゴンとは違って、自分は人間を食べた事もないし、食べたいと思った事もないと言いました。


そもそも、大気中の魔素を取り込んでいるから、食事の必要もほとんどないとも言いました。

ドラゴンは狂暴で力は強いが、頭は良くないと聞かされていた神子は不思議に思いました。


神子はドラゴンの話を詳しく聞きました。

このドラゴンは、元々ここにいたドラゴンとは違うドラゴンでした。


このドラゴンは、賢くはありましたが争いが嫌いな性格をしていました。

元々ここにいたドラゴンが他のドラゴンと争って死んだので、それを知ってここにやってきたのです。


それから、ドラゴンと神子の生活が始まりました。

神子は、行く当てもなく、生きる目的もなく、何よりも疲れ切っていました。


初めて人と出会ったドラゴンは、いろいろと話を聞きたがりました。

神子は鍛冶屋の息子から聞いたいろんな話を、ドラゴンに語り聞かせました。


そうして、十日が経ち、一月が経ち、六か月が経ちました。

ドラゴンは、いろんな話を聞かせてくれる美しい神子に、特別な気持ちを持つようになりました。


もちろん種族が違いますが、一緒に過ごすだけで幸せでした。

神子も、のんびりとした優しいドラゴンと暮らすうちに、心は癒されてきました。


しかし、神子の心には鍛冶屋の息子を心配する気持ちがありました。

最後の、血にまみれて倒れたまま動かない姿を思い出すたびに、神子の心はキュッと痛くなります。


それは、日に日に強く、大きくなってきました。

心優しいドラゴンを心配させまいとしていた神子ですが、すぐに賢いドラゴンは気づきました。


ボクが助けてあげるよ、とドラゴンはいいました。

神子を愛するようになっていたドラゴンですが、それでも人間とドラゴンの違いは分かっていたのです。


人間の神子は、同じ人間と結ばれるのがいいと思ったのです。

巣の中には、前のドラゴンが残していた財宝があります。


必要なら、それを渡せばいいと思いました。

ドラゴンの言葉に、神子は泣いてお礼をいいました。


嬉し泣きしている神子を見て、ドラゴンも嬉しくなりました。

明日の朝に村に行こうという事になりました。


神子はその晩、久しぶりに幸せな気持ちで寝る事ができました。

ドラゴンはそれを見ながら、神子が寒くならないようにいつも通り体を丸めました。


次の朝、神子とドラゴンは、村に持っていく財宝を取りに巣に行きました。

興味のない神子にも、目の前の山と積まれた金貨や宝石、色とりどりの宝剣や首飾りなど、とても価値のある物と分かります。


神子はそこにあった袋に、入るだけの財宝を詰めました。

これだけあれば、村は数十年食べていけるでしょう。


鍛冶屋の息子も許してくれるはずです。

そうしたら、お医者さんに見せて体を治して、一緒に暮らしたいと神子は思いました。


ドラゴンと神子が巣の外に出た時、一頭のドラゴンが飛んでくるのが見えました。

全身が真っ赤なウロコで覆われた大きなドラゴンです。


地響きを立てて、二人の前に降りてきました。

同じドラゴンなのに、神子と一緒にいるドラゴンとは違う、恐ろしい顔をしていました。


牙をむき出して、コノ巣ハ主ヲクッタオレノモノダ、とその赤いドラゴンは吠えるように言いました。

喋るたびに、口からは炎のような熱気が漏れ出しています。


賢いドラゴンは財宝にも、縄張り争いにも興味はなかったので、分かったと言いました。

そうして神子を連れて村に向かおうとした時、赤いドラゴンが神子を置いていけといいました。


神子をどうするつもりだと、賢いドラゴンが訊きました。

ウマソウナ生贄ダ、と赤いドラゴンが言いました。


賢いドラゴンは即座に断りました。

その返事を待っていたのか、元からそのつもりだったのか、赤いドラゴンはたちまち襲ってきました。


ドラゴン同士の戦いが始まりました。

赤いドラゴンが大きく吠えて、空気が震えました。


ぶつかり合う二頭のドラゴンの巨体に、地響きが起こります。

上に下にもつれる二頭に巻き込まれた木々が倒れます。


赤いドラゴンが襲ってきた時に、賢いドラゴンに庇うように突き飛ばされた神子が起き上がりました。

倒れた時に強く打った体が痛みます。


あちこちの擦り傷から血も出ています。

でも、それに気づかないように、胸の前で両手を組んで祈るように見つめます。


自分の命も心も、賢いドラゴンに救われました。

今も自分のために戦ってくれています。


でも、赤いドラゴンが賢いドラゴンより強いようです。

賢いドラゴンはそのやさしさ故か、賢さが邪魔をしているのか、ドラゴンとしての力を使いこなせないようです。


それでも神子のために、賢いドラゴンは必死に戦います。

しかし、賢いドラゴンは噛みつかれて血を流し、炎を浴びせられて焼かれて、かぎ爪で切り裂かれて弱っていきます。


そしてとうとう、神子の目の前に倒れ込んでしまいました。

赤いドラゴンも、体中は傷だらけで血を流していますが、戦いに正気を失って痛みを感じていないようです。


倒れ伏した賢いドラゴンを踏みつけて、赤いドラゴンが血走った眼を神子に向けました。

そのあまりに恐ろしい姿に、神子が悲鳴を上げました。


コノ生贄ハオレノモノダ、と赤いドラゴンが嘲るようにいいました。

賢いドラゴンから足を離して、神子の方にやってきます。


神子は恐怖で身がすくんで動けません。

赤いドラゴンのかぎ爪が、神子の右手を掴みます。


ぼきり、と音がして骨が折れました。

皮膚も裂けて真っ赤な血が噴き出します。


その痛みに神子が悲鳴を上げました。

赤いドラゴンが、牙がびっしりと生えた大きな口を開きました。


でも、次の瞬間に来るはずの死は訪れませんでした。

神子の悲鳴に、賢いドラゴンが我を忘れて体当たりしたのです。


ボクの神子にひどい事をするな、と賢いドラゴンは叫びました。

そのまま怪我も痛みも忘れたように、赤いドラゴンに襲い掛かります。


両手のかぎ爪をふるって、喉笛に食らいつきました。

起き上がろうとする赤いドラゴンを容赦なく踏みつけます。


ボクノ神子ニテヲダスナ、と賢いドラゴンが叫びます。

その賢さで、ドラゴンとしての力を使いこなしています。


折れた右手をかばいながら、神子はその様子を見ていました。

ドラゴンは両方とも血まみれで、どちらがどちらか分からなくなりました。


でも、やがて片方のドラゴンが一方的に攻撃するようになりました。

容赦なく引き裂き、噛みつき、蒼い炎を浴びせかけています。


オレノモノニ手ヲダスナッ、と叫んで、倒れているドラゴンの両手を引きちぎりました。

防ぐ事ができなくなった喉に食らいついて、止めを刺しました。


大好きだった賢いドラゴン、優しいドラゴンが、襲ってきた赤いドラゴンのように恐ろしく見えました。

でも、神子に近づいてきたドラゴンは、元通りの優しい雰囲気をしていました。


それでもまだ立ちすくんでいる神子に、賢いドラゴンは魔法を使って折れた右手を治しました。

驚く神子に、ボクは知恵と力と両方を手に入れたから、魔法が使えるようになったと言いました。


続けて魔法を使って、自分の怪我も治して血も洗い流しました。

ボクは本当のドラゴンになったんだよ、と賢いドラゴンは落ち着いて言いました。


賢いドラゴンの様子は、いつもの優しいドラゴンに戻ったように見えました。

それに、この魔法があれば鍛冶屋の息子の傷も治してもらえるでしょう。


ホッとして体の力が抜けたような神子に、賢いドラゴンがお腹が減ったと言いました。

あんなに大怪我するほど戦ったから、お腹がすくのも当たり前かと神子は思いました。


じゃあ果物をたくさん持ってくるわ、と神子が駆け出そうとしました。

しかし、賢いドラゴンがその腕をがっしりと掴みました。


その痛みに驚いて振り返った神子に、賢いドラゴンは言いました。

君を食べたい、と金色の眼で言いました。




*********************************




「おばあちゃん、その賢いドラゴンがマグネテウス様なの?」

「そうだよ、知恵と力を兼ね備えた始まりのドラゴン、皇帝陛下のお話だよ。」


本をパタリと閉じた祖母が、幼い孫に言いました。


「じゃあ、神子っていうのがソフィア様?」

「そう、マグネテウス様を導いたといわれる国母ソフィア様だよ。」


小さな角の孫は、眠そうな眼をして聞きました。


「よくわからないや。」

「来月の成人の儀式で、人間を食べればきっと分かるよ。 特別にオレンの実だけで育てた人間を注文したから、楽しみにしておいで。」

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