第9話 方舟
9-1 宇宙の結婚式
◆
軍服というのはこういう時、非常に役に立つ、とヨシノは再確認していた。
ヨシノは軍服で済むが、しかしヘンリエッタ准尉はそうもいかない、というか、他の女性乗組員がそうはさせなかった。
どこから材料が出てきたのか、制作のためにどういうスケジュールを組んだか知らないが、一ヶ月をかけて、真っ白でシンプルでありながら細かな仕事が随所にあるドレスが出来上がり、結婚式にはしっかり間に合った。
ヨシノとしては、ヘンリエッタ准尉に正式にプロポーズする、そしてその旨を可能な限り早く届け出る、という程度の意図しかなかったが、ヘンリエッタ准尉から話を聞いたユーリ少尉があっという間に計画を立て、きっちりとスケジュールを立てて、チャンドラセカルの中で結婚式をやることになった。
チャンドラセカルはまだ準光速航行の最中で、ちょうどいいと言えばちょうどいいが、ヨシノが「地球で式を挙げればいいのでは?」と控えめに指摘すると、ユーリ少尉があっさりと、「ここでやれば思い出になるじゃない」と言ったのだ。
それ以外の言葉や、それ以上の言葉はないが、もしかしたら、生きて帰れない可能性、というのを念頭に置いているのかもしれない。
いや、それは考えすぎか。
ただ楽しみたいだけかもしれない。
この旅はともすると退屈なのである。
ヨシノは流れにそのまま流されて、結婚式当日、よくわからない、しっかりしているのかいないのかわからない式の手順に従った。神父役になるはずのマルコ・ドガが不運にも風邪で発熱し欠席なので、看護師であるルイズ女史がありきたりな宣誓(のようなもの)を訊ねる役になっていた。
結婚式の寸前まで、「女がこんな役をやるなんて聞いたことないけど」とか「マルコに無理矢理やらせればいいのに」とブツブツ言っていたが、それでもライズ女史もどこかから調達された、尼僧っぽい衣装を着て、ちゃんと役目を果たした。
意外に尼僧服が気に入っているようでもある。後で見てみれば、記念写真にもちゃんと笑顔で写っているのだから。
式の会場は格納庫で、この時のために広い空間が作られている。乗組員は当直のもの以外、全員が揃っていた。
イアン中佐が「私は発令所にいます」と言った時は、全ての管理官から要は「逃げるな」という趣旨の反発を受け、ため息ひとつで同席することを受け入れた。
式の中では、コウドウ中尉が「今は任務の間だぞ」と言いながらも作ってくれた、結構、手の込んだデザインの指輪が交換され、それからの一連の儀式で歓声というか、悲鳴というかが起こり、拍手が沸き起こり、指笛が鳴り、そこまで至ってヨシノは、もしかして乗組員がハメを外して騒ぎたいだけでは? と思ったりもした。
とにかく、会場を変えることも衣装を変えることもなく、披露宴と呼ばれるものが始まったが、要は立食形式のパーティーだ。
ヨシノとヘンリエッタ准尉は並んで右へ行ったり左へ行ったりして、祝福されたり、からかわれたりした。
「あの男もこれで踏ん切りがつけばいいけど」
アンナ少尉はそんなことを言い、次にオーハイネ少尉がやってくると、
「俺は船の中で結婚式をあげたくない、と思いましたね」
と彼は嬉しそうに笑っていた。ヘンリエッタ准尉が何か耳打ちすると彼は途端に苦笑いして、しきりに頷いていた。
ライアン・シーザーもやってきて、祝福してくれた。
「宇宙船の中で結婚式を挙げるカップルはいますが、まさか軍艦の中でそんなことをするものは史上初でしょう」
「一応、問題にならないようにしてくださいね、ライアンさん」
「記事にするな、ということですか。心得ていますよ。四十年後くらいなら、許されますか?」
三人で笑いあった後、ヘンリエッタ准尉がこそっと確認した。
「ライアンさんはユーリ少尉と仲良しだって聞きましたけど」
これにはヨシノは思わずライアンを見てしまった。ライアンはケロッと平然とした表情をしている。
「まぁ、仲良しですけど、あの女性は猫っていう柄じゃないし、むしろ豹、というか、ライオンですね」
「あなたがいつも食い殺される役目、ということですか?」
大胆にも聞こえる、妙な表現のヘンリエッタ准尉の言葉に、ヨシノは思わず笑っていた。何度も食い殺されているとなると、その様子は滑稽だ。
ライアンも笑いながら、「一応、逃げられるときは逃げますがね」と答えている。
しかし、オーハイネ少尉とアンナ少尉、ライアンとユーリ少尉、そして自分とヘンリエッタ准尉。
まるでチャンドラセカルは結婚斡旋所か何かみたいだ。
会場を見回せば、他にも親しげな男女の乗組員は多い。
ヨシノははっきりと明言したことはないが、艦内での乗組員同士の関係は、任務に支障が出なければ問題ないと思っている。
連邦宇宙軍では規定は定められているが、艦には雰囲気というものがあるし、その雰囲気がドライなもの、規則に忠実なものだと、今のチャンドラセカルのような空気にはなることがない。
チャンドラセカルが家で、乗組員は家族だと、ヨシノは度々、思ったものだ。
しかしこの家はいつか、消えてしまうし、家族はバラバラになるだろう。
だからこそ今、この時を大切にしている。目の前にいる人に、何かをしたいと思う。
ライアンが去って行って、イアン中佐がゆっくりとした歩調で近づいて来た。
「まるで大騒ぎがしたいがために、開催されたようなものですな」
「そう言わないでください、イアンさん。ちょっとした息抜きです」
「度が過ぎれば問題になります」
「今日だけですから」
小言を続けようとしたようだが、さすがに空気を読んだのか、イアン中佐は咳払いをして、姿勢を正した。
「艦長、ご結婚、おめでとうございます」
「ありがとうございます、イアンさん」
ヨシノがそう答えると、イアン中佐はもう何も言わない。
それだけ? という視線をヘンリエッタ准尉が向けるが、イアン中佐はその准尉をじっと見つめるだけだ。
「准尉、おめでとう」
やっとそういったかと思うと、イアン中佐は普段のいかつめらしさを取り戻した。
「任務に集中するように」
初老の副長がそんな言葉を残して去っていくと、「あの人はどんな時でもあの人ですね」と呆れたようにヘンリエッタ准尉が可笑しそうに言った。ヨシノも頷くしかない。
「でも僕はそれが彼の美徳だと思いますよ」
「私もそう思いますけど、今くらいはもっと砕けてもいいんじゃないですか?」
「砕けているイアン中佐、見たいですか?」
少し考えた後、ヘンリエッタ准尉は「見たくない気もします」と答えた。
こうして異例というか、異色の結婚式は、半日ほど続き、そしてその後にはもう忘れ去られたように、本来の配置やそれぞれの日々に乗組員は戻っていった。
ヨシノも発令所の艦長席に座り、軍服に戻ったヘンリエッタ准尉も索敵管理官のブースにいる。
日が流れ、結婚式から数ヶ月が過ぎたその日、全員が持ち場について、準光速航行を終える時を迎えていた。
ついに、海王星である。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます