8-8 車座の会話

     ◆


 ヨシノの完全な回復を待つ間もなく、チャンドラセカルは動き出した。

 ヘンリエッタ准尉が周囲を念入りに索敵し、独立派からの探索などがないのを確認した。

 チャンドラセカルへ戻ったことで、ヨシノは今、自分たちがいる座標を正確に把握できた。

 海王星と天王星のほぼ中間で、戦闘艦、そしてレッド・シリウスは地道に先へ進んでいたことになる。そんなことを考えないほど、超大型戦艦での日々は慌ただしく、充実していた。

「連中の五連循環器に細工もできたでしょうに」

 発令所に戻って一通り、指示を出したヨシノに、オットー准尉が肩をすくめてみせる。ヨシノは思わず笑いながら、注意する気になった。

「僕たちの任務は、独立派の壊滅ではありません」

「見送りが任務ですからね」

「それはそれで重要ですよ、オットーさん」

 その通りだ、とすぐ横に控えるイアン中佐が言った。

「今は連邦の危機を少しでも安定させ、平和を呼び込むことが求められる。無用な紛争は混乱を起こすだけだ」

「さすが副長、演説がうまくなった」

 インストン准尉のジョークには、辛辣な、しかし無言の視線が返され、恐縮したように火器管制管理官は目の前の端末に向き直った。

「とにかくです」

 ヨシノは席に座り直しながら、宣言した。

「まずは海王星へ向かいます。そこにある民間の通信衛星の不調の理由を確認し、それから、オーシャンが言っていた、箱舟とは何なのか、それを確認します」

 了解です、という返事と共に各管理官が動き出す。

 準光速航行の計算が進められ、その間も所定の座標へチャンドラセカルは向かっていく。

 そして準光速航行が始まると、あとはやることはほぼなくなる。

 発令所もシフトの通りに要員が交代する。

 ヨシノは休憩の時間になると、サンダを訪ねてみた。

 彼と仲間たちには二十人でも余裕のある大部屋が与えられている。本来は会議室だが、半分は物置だった。細々としたものが押し込めてあった。

 その部屋に入ってみると、十八人が車座になって、何か話している。

 そう、一人増えているのは、ライアン・シーザーがそこにいるからだ。

 全員がヨシノの方を見て、それぞれの表情を作った。ヨシノは黙って壁際に立って、話の様子を伺っていた。

 ライアンは独立派がどんな生活をしているか、詳しく彼らから話を聞いている。話題は幅広く、内容は細部に渡り、取材なのだろうが、それよりも好奇心に引っ張られているように、ライアンは深いところへ進んでいく。

 食事のことや服のこと、艦の衛生状態。

 よく考えてみれば、ヨシノはそれらをおおよそ全部、実体験としてこなしたのだ。

 それが誰の意図だったか、わからない。

 オーシャンがそこまで見通していたのか。

 ヨシノに全てを体験させ、経験させることで、少なくともある程度の地位のものに、自分たちの実像を、はっきりと伝えることができる。

 独立派は、他人より良い生活をしたいなどとは、少しも思っていない。

 むしろ、どれだけ劣悪な環境に陥っても構わない、と思っているのではないか。

 ふとそう思ったが、それはヨシノの主観で、現実にはどうだろう。

 ライアンが聞いている内容が、オーシャン・マードックという男の話に変わる。

 その時、十七人の顔が一瞬、輝いた気がした。

 口をついて出る言葉に、オーシャンへの否定的なものはない。オーシャンを疑っているようでもない。

 ならどうして独立派を抜け出したんだ?

 そうライアンが問いかけると、一人が答えた。

「俺たちはただ、帰りたかっただけさ」

 そう、それなのだ。どうしても、そこに行き着く。

 帰るか、帰らないか。

 帰らないことが悪いことではない。それはヨシノもわかっている。

 しかし誰かが、オーシャンや他の大勢を、どこかで待っているのではないか。あるいは、待っていた、と過去形になっているのか。

 彼らにも親がいて、故郷があったはずだ。縁のある人がいて、様々な場所で育った。そこで待っている人が、場所が、無いわけがない。

 ヨシノだって、チャンドラセカルで、大勢が待ってくれていた。そして地球でも、待っている人がいる。

 そんな全てを放り出すことは、ヨシノには到底、できなかった。

 その決断を下せるところに、オーシャンの見えない強靭さがある。

 オーシャンの強さに大勢が、引き寄せられたのか。

「宇宙の果てに、何があると思った?」

 ライアンの質問に、その場の大勢が笑い声をあげた。

「宇宙の果てに何かがあると思った。何があるか、とは思わんね」

 そんな返答も、丁寧にラインが解きほぐそうとするが、うまく噛み合わないようだ。

 思想なのだから、どこかに言葉では表現できない領域が生じる。

 ヨシノは、理解不能な場所が確かにある、それがわかったことで良しとして、部屋を出た。

 艦長室へ向かいながら、頭の中ではオーシャンのことをなんとなく考えていた。

 あれは死にに行く人の顔でも、様子でもない。

 生き延びる目が用意されているはずだ。

 まさに箱舟が、用意されている。

 箱舟。ノアの箱舟、か。

 今から宇宙は何かに一切合切、押し流されるのだろうか。

 そして最後に、オーシャンとその仲間たちが戻ってきて、新しい世界を作り始める?

 くだらない妄想だとヨシノは頭を振ってそれを忘れようとした。

 しかし未来など、誰にもわからない。

 それが世界の未来、もっと小さくしても、連邦の未来だってやはり見えない。

 部屋に戻り、ヨシノは寝台に横になり、明かりを消した。

 どこからともなく、甘い香りがする。ヘンリエッタ准尉のことが思い出された。

 彼女のところへ戻りたい。そう思った自分が確かにいた。

 ちゃんとしなくちゃな。

 ヨシノはもう何度目かわからないその言葉を頭の中で繰り返した。

「ちゃんとしなくちゃな」

 もう一度、今度ははっきりと声にして確認し、目を閉じた。

 数日後、ヨシノは医務室を訪ねて、ルイズ女史に相談した。

「まあ、悪くはないけど、こんなところで?」

 ルイズ女史はいつも通りの笑顔でそう確認してきた。ヨシノは誰が見てもわかるように頷いて、手を貸してください、と言った。

「こういうのって、私も初めてだけど」

 そう言いながらもルイズ女史は意外にすんなりと引き受けてくれた。

「ヘンリエッタ准尉には話した?」

「これからです」

 その言葉にルイズ女史は堪えられずに笑いながら、外堀から埋めるタイプね、と冗談を言った。

「ちゃんと話しておきなさい、艦長。それから二人で、もう一度、ここに来なさい。私も助けてあげるから」

 その言葉に強く頷いてみせ、ヨシノは頭の中のシフト表を確認した。

 海王星までは、まだ六ヶ月はかかる。

 時間の余裕としては十分すぎるほど十分だ。



(第8話 了)

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