第3話 思想の発露

3-1 遠大な旅路

     ◆


 チャールズ・イアンは宇宙ドックのジョーカーへ向かう間も、小型端末で次なる任務の計画書を見ていた。

 宇宙軍に配属されるものは、必ず星海図の読み方を叩き込まれる。それはイアンも例外ではない。

 チャンドラセカルがこれから辿るだろう道筋を星海図の上で思い描く。

 しかしその範囲はあまりに広い。

 長い旅になるのだ。長い長い旅だ。

 そして向かう先に、絶対に安全な止まり木は一つもない。

 星海図をスライドさせ、海王星の周辺へ向けるが、そこは物体として巨大な惑星が一つあるほかは、ほとんど何も記されていない。

 例外が、点滅する黄色い光で、そこには「海王星調査衛星」というタグが付いているが、そのすぐ後ろには通信不能という表示も瞬く。

 イアンがその衛星の存在を忘れたことはなかった。

 管理艦隊として対処するべきは土星近傍、そして木星と土星の中間に出没する、正体不明の武装集団だった。

 土星に存在する人造衛星群の主張としては、武装集団は土星とは関係がない、となるが、管理艦隊では誰もそんなことは信じなかった。

 事情は入り組んでいる。

 土星に独立の気運があるのは、疑いようがないのに、彼らはそれを表立って主張できない。

 地球連邦と比べれば全てにおいて差がありすぎる。武力、経済力、そんなもの以上に、人的資源に乏しい。

 いつか読んだ名前も知らない科学者のレポートでは、土星が本当に独立するとすれば、百五十年は必要で、それは科学技術の発展云々ではなく、純粋にそれだけの時間がなければ、人間が繁殖して増えていくことができない、という身も蓋もない内容だった。

 現在のところ、人間を増産するような神の領域に踏み込む技術は、実用化されていない。医療目的のクローンは作られつつあるが、やはり各方面から反発を受けて、うまくいかない。

 土星でもそれは同じだろうし、仮にその一線を超えてしまうと、より一層、土星は立場が悪くなる。

 そういう土星勢力との奇妙な駆け引きの陰に隠れていたが、海王星には、あるいは人間がいるのかもしれない、となると、どうなるだろう。

 調査衛星はなぜ、通信を絶ったのか。

 機械の故障による事故なのか。それとも、誰にも知られずにそこに存在する何者かによる、人為的な拒絶なのか。

 民間の会社が設置している調査衛星なので、その会社には説明責任がある。

 その民間会社は、連邦宇宙軍による復旧のための支援活動をうまくかわして、自力でどうにかできる、という主張を繰り返している。

 それでもとごり押ししようとすると今度は、通信衛星からテスト用のテキストが届いているから問題は解決した、と回答があり、連邦軍は矛先を一度、引っ込め、ただ独自に通信を接続しようとして、現時点では失敗している。

 同時にほんの数年前から、複数の巨大企業が協力した大規模プロジェクトとして、海王星に人造衛星を構築する試みがあり、これにも地球連邦、連邦宇宙軍は踏み込めないでいる。

 非軍事目的の、試験的なプロジェクトなので、際立った問題がなければ、軍は介入できない。そういう棲み分けが明確になる取り決めがずっと昔から存在する。

 とにかく、複数の民間会社は連邦に協力的ではなく、調査の対象になり、裏に表につつかれているが、今の所、ボロを出してはいないのだった。

 今度のチャンドラセカルは、その全貌が見えない、海王星へ向かうことが任務の一つだった。

 あまりに遠い。

 ヨシノ艦長とは打ち合わせの中で、チューリングに乗っている索敵管理官の力を借りられないか、協議した。しかしこの任務は秘密裏に行うべきで、他に情報が漏れるのは避けたい、というのがヨシノ艦長の意見だった。おそらく管理艦隊もそうしたいだろう、とも。

 しかし、背に腹は代えられません。

 そうイアンが食い下がると、ヨシノ艦長は笑いながら、「それなら、一応、話はしておきましょう」と妥協してくれた。

 気休めでも、正直、イアンにはありがたい。あまりにも任務が大きすぎるのだ。表面には見せなくても、胃が痛むこともある。

 何にしても、今回は特に索敵管理官が重要だった。

 ヘンリエッタ准尉でも十スペースはよく聞き取れる。

 チューリングの索敵管理官なら、十五スペースだという。

 ただ星海図を見る限り、それではとても足りない。

 圧倒的というほど、宇宙は果てしなく広がっている。

 星海図を指でなぞり、どこを進んでいくのか、確認した。

 土星に寄り道をして、天王星を経由し、海王星へ。

 これは軍人の仕事というより、冒険家の挑戦だな、と何度目かの思考にイアンは進んだ。

 チャンドラセカルの一度目の航海のような冒険とは違う種類のものだ。

 今度は、敵に怯える必要はない。

 むしろ、確固とした目的意識を持ち続けられるものが乗組員には必要で、任務が破綻するとすれば、それは内側からだろう。

 ヨシノ艦長は乗組員を削減し、それがために艦を降りるものを、自分で選ぶと宣言した。

 イアンはさすがに、乗組員の人間性が重要だ、などとヨシノ艦長には言わなかった。それくらいのことは知っている人だ。

 食料などの節減のために乗組員を減らす、などと言いながら、ヨシノ艦長もイアンも、そして管理官たちも、別の側面を見ている。

 長い旅、それも孤立無援の任務に耐えられる、強い人間が今、求められている。

 最長で五年、という計画の遠大さをイアンは意識した。

 一度目のチャンドラセカルの航海は、ほぼ二年だった。その間、脱落者は出なかった。

 乗組員の中に、何かが足りないものなど、ほとんどいないはずだ。

 それでも減らす。選別し、リスクを最小限に抑える。

 残酷なことだ。

 まるで家族を捨てるのに近い。

 思わずイアンは溜息を吐き、端末から顔を上げた。

 シャトルの中では乗組員たちが小声でやり取りしている声が聞こえる。

 その声の中に、ヨシノ艦長とヘンリエッタ准尉の声が混ざっている。

 ヨシノ艦長も人間らしいところがある、とイアンは最近、思うようになっていた。ヘンリエッタ准尉がヨシノ艦長に惹かれているのは、それこそ、一度、ヨシノ艦長が軍から離れた時から見えていた。

 特に懸念はない。

 むしろどこか、象徴的でもあるとイアンには見える。

 端末をしまい、シートに横になり、マッサージ機能を立ち上げた。

 首筋から肩、背中と揉まれていく。みっともない声が漏れないように、口元に力を入れる。

 任務だ。

 自分が何歳か考え、つまりこれが本当に最後だろう、とも思った。

 最後の任務としては最上だ。

 目を閉じる。

 心地よさに耐え切れず、ふぅっと細く息を吐いた。



(続く)

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