1-4 再会の時
◆
チャンドラセカルを降りてから七ヶ月になろうか、という時に、唐突にその連絡はあった。
個人的なメールアドレスで、そこにメッセージを寄越すのはプレイベートでの知り合いだけだった。出版社の担当編集者ですら知らない。
時間はちょうど真夜中で、俺は検閲を逃れたチャンドラセカルでの映像を、自室の壁に投影して眺めていた。
タバコを灰皿において、携帯端末を手に取る。壁では映像はまだ流れている。
思わず端末を取り落としそうになったのは、そのメッセージの送り主がヨシノ・カミハラと表示されているからだ。彼とはプライベートではやり取りしていない。メールアドレスも知らせていないし、知らない。そのはずだ。
目の前のメールは、送り主の氏名が自動通知されるアカウントからで、変ないたずらかもしれない、と思いながら、それでも俺はメッセージを開封した。
短いテキストで、今、地球にいるのだけれど、訪ねてこないか、という誘いだった。
ちゃんと住所も記され、ついでにどこでどう宇宙船などを乗り換えればいいか、という案内さえあった。
どうやら日本皇国らしい。
メッセージ本文の署名もヨシノ・カミハラとなっているし、管理艦隊所属、とさえ記入されている。
ここのところの俺は自力で独立派の内部で何があったのかを探りながら、どうにかチャンドラセカルに関してひねり出した情報で記事を書いている日々だった。例の連載の延長は結局、間隔をあけて書き切ったが、テッド局長は満足には程遠い。
小説は第二巻が書き上がり、初稿を出版社に送ったばかりである。
小説は楽しい。しかし仕事は、行き詰まって、呼吸も難しいほどの圧迫で、自分が少しずつ何かに溺れていくような気がしていた。
携帯端末を手に、すぐに返事を打った。
それから会社に休暇を申請する電子書類を提出した。深夜なので、、明日、吟味されるだろう。テッド局長がそう簡単に許しそうもないが。
翌朝は早めに出社し、急いでチャンドラセカルの記事を書いた。定期的に掲載しているものだが、すでにネタは尽きている。もはや半ば投げやりである。
昼前に予想通りの呼び出しがあり、テッド局長はほとんど怒りを隠せずにいたが俺はその目の前にデータカードを叩きつけるように置いた。
「これでご要望の記事は、終わりました。社員が自由に休暇を取れないとなると、厄介なことになりますね。労働環境に疑念を持った当局の調査が入るかも」
烈火のように睨みつけられたが、テッド局長は「四週間だぞ」とだけ言った。
俺はすぐに会社を飛び出して生活している部屋に全速で帰ると、さっさと、明け方に荷造りをしてあった荷物を抱え、その日の夕方には火星の地表を離れ、宇宙空港から高速船に乗っていた。
心が浮き足立っているのがありありとわかり、そわそわしながら早く地球に着くことだけを願った。
十数日の後、俺は宇宙空港から地球に降り立った。火星に配属されるまで、地球の方々で取材をしたし、その中でヨシノ艦長とも出会ったのだ。あの時、彼はまだ二十歳にもなっておらず、学生だった。
日本皇国の首都は情報化が進んでいるが、そこから地方へ向かうとなると、バスしかない。電気自動車が一般的でも、バスというものは形だけは五十年は変化しないようだ。乗客は全部で二十人は乗せられるが、乗っているのは俺と、どこかの老人の夫婦だけだった。
夜通し、バスは走り続け、朝日が射すころに目的の街に着いた。
降りたのも俺一人で、バス停のそばには一棟だけ現代的な高層ビルがあり、どうやらそれはビジネスホテルでもあるらしい。
ヨシノ艦長はいきなりの連絡の後、泊まるところを用意してある、とも連絡してくれて、どこかの旅館らしかった。旅館の名前も書いてあった。日本語だ。
地図を確認して進んでいくと、目の前が開け、そこには湖があった。
綺麗だな、と思うのは自然なことなのだろうけど、今ではこんな景色さえ、簡単に見られないのか、と思うと、世界とは変わるものだとも感じる。社会や、人間だって、変わっていくのだ。
車もめったに通らない道、その脇の立派な歩道を進むと、目的の旅館が見えた。
建てられてから百年以上は過ぎていそうだけれど、そこここに建築物の安全基準を守るためだろう、補修や増強の痕跡がある。この辺りは地震が多いとも聞く。
やや反応の悪い自動ドアをくぐって中に入ると、カウンターが見えるが、誰もいない。
「すみません、どなたか」
そう声をかけると、何か日本語が聞こえ、若い女性がやってきた。しかし日本人は若く見えるから、実際の年齢はわからない。和装だった。
言葉が通じるか不安だったが、女性は俺に合わせて流暢に喋ってくれて、助かった。
「あら、ヨシノくんのお客さん? ええ、ええ、聞いています。お部屋にまずご案内しますね」
ヨシノくん、というのが不思議だったが、台帳にサインして奥へ進んだ。
部屋は四人で使う程度だろうか、しかし余地が多く取られて広い。座布団というマットの数が四つなので、四人部屋で間違いないはずだ。
空気には畳のいい匂いや、木の香りのようなものがある。何より窓が湖の側にあるので、その湖面が光を反射する様子や、遠くに見える山脈の峰々、澄んだ空が美しい。
カメラで写真を撮りたくなる雰囲気だ。
「ヨシノさんは、どこに?」
先ほどの女性がお茶を用意してくれているのに、思わず催促するような質問をしていた。
「今は病院ですよ。だいぶ前にですが大怪我をされたとかで、定期検診に行っています。すぐそばの病院ですから、すぐに戻ってきます」
そうか、彼は負傷したんだった。まだ完治はしないとなると、やはり重傷だったのだろう。
女性が、夕食はみなさんと一緒でいいですか? というので、不思議だったが、ヨシノと一緒という意味の言葉を間違って理解していると判断して、頷いてみせた。こういう時、言語の差が姿を見せる。
食事をする広間の名前を告げられ、この漢字です、とメモも渡された。
自由になったので、俺は荷物を置いて建物を出てみた。やはり一階のカウンターは無人。頻繁に客は来ないのかもしれない。
通りを渡って湖畔に出てみると、対岸が見える。そこにも建物はあるようだ。
風が吹いて髪の毛を乱す。まだ春先で、少し寒いほどだ。今になってそれに気づくとは、俺も変に気負っているようだ。
「ライアンさん!」
どれだけ立ち尽くしていたか、声が聞こえ、そちらを見ると、車椅子に乗ったヨシノ艦長がやってくる。車椅子を押しているのは、チャンドラセカルの索敵管理官のヘンリエッタ・マリオン准尉だ。
また会えた。
しかしこれはまるで、必然のような気もする。
感慨深いものを感じながら、俺はゆっくりとヨシノ艦長に歩み寄っていった。
(続く)
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