1-5 耳打ち

     ◆


 のどかなところでしょう、とヨシノ艦長が嬉しそうに言う。

 湖畔の木陰で、俺は芝の上に座り、すぐ横に車椅子でヨシノ艦長がいる。ヘンリエッタ准尉は立っている。

「ライアンさんが大変だろうことは想像がついたので、ちょっと息抜きにでも、とお誘いしました。お仕事の方は大丈夫ですか?」

「まあ、あまり熱意もないですね」

 正直に打ち明けると、彼はまっすぐに湖を見ていた視線をこちらへ向ける。

「実は、こっそりと耳打ちされたんですが」

「え? 何をですか」

「ライアンさんが、土星の独立派勢力に関して、細かいことまで調べたことです」

 さすがに驚いて、言葉が出なかった。

 ユリシーズ通信の中でそういう話が広まったとも思えない。そうなれば、情報へのアクセス履歴を監視されているのだ。

 まさか全世界の全アカウントからのアクセスを監視したとも思えない。例えできたとしても、解析して出る結果の大半は無意味に過ぎない。

 そうなれば、俺が狙い撃ちをされたのだ。

「俺がチャンドラセカルについて知っているから、ですか」

「おおよそはその通りです。ライアンさんは独立派の実際を少しだけ詳しく知っていますからね。全貌ではないとしても、知ってはいるわけです」

「全貌、というと、ヨシノ艦長はご存知なんですか」

「いえ、さすがに僕も詳細は知りません。しかし独立派が不自然なのは知っています」

 詳しく聞きたいですね、と身を乗り出すと、明日にしましょう、と柔らかい笑みが返ってきた。

「こんなところじゃ不安でしょう。明日、湖の上で話すことにします」

「湖の上?」

 何を言い出すのか、と思ったが、まさか人間が生身で水面に立てるわけがない。ボート、ということだと遅れて気づいた。

「その体で、危なくないですか」

「実はもう、自力で立てますし、歩けます」

 そう言うなり、ヨシノ艦長が立ち上がった。ヘンリエッタ准尉がわずかに姿勢を変えたが、手を貸すことはなかった。

 ゆっくりとヨシノ艦長が立ち上がり、得意満面で俺を見てくる。

「検査も今日で最後です。休暇はもう少しありますけどね。ライアンさんはいつまで?」

「ギリギリで五日ほどは余裕がありますよ」

「いいでしょう。詳しい話は明日です。ヘンリエッタさん、帰りましょうか」

 嬉しそうな笑みを見せて、准尉が頷いている。

 そのまま准尉が無人の車椅子を押し、俺とヨシノ艦長は歩きながらいろいろな話をした。と言っても、ヨシノ艦長が俺の小説家としての活動について質問し、俺が文章を書く時の環境とか、出版社のやり方、宣伝方法とか、読者からの反応、次回作のことなど、一方的に話していた。

 旅館に戻り、カウンターには女性が戻っていて、ヨシノ艦長と日本語で何か話していた。

 その女性が不思議な身振りをして、ヨシノ艦長は頷いてからこちらを振り返った。

「ライアンさん、お風呂はどうしますか。大浴場にしますか?」

 大浴場、というのは、大勢で一緒に入るとは俺でも知っている。ほとんど経験がないし、気恥ずかしいので部屋の浴室を使うと伝えた。

「お風呂くらい、いいじゃないですか。みんなそうしてますよ」

「俺にはない文化なので、遠慮しますよ」

 残念、などと笑っているが、しかしからかわれているのだ。俺も笑みを見せておいた。

 ヨシノ艦長は「夕食の席で会いましょう」と離れていった。ヘンリエッタ准尉もそれについていく。あの女性はすぐにフォローできる位置を取っているけれど、少し過保護かな、と俺には見えた。

 チャンドラセカルに乗っている時から、この二人の関係は一部で話題で、しかし限定された空間でずっと同じ顔ぶれで過ごすせいか、乗組員たちはあまり関心を払っていなかった。

 俺からすればとんでもないことに思えたが、乗組員が平然としているので、途中からはさすがに俺もあまり注意を払わないように意識したのだった。

 噂の中には、おそらく結婚するだろう、という趣旨のものは常にあって、しかもその噂を口にする乗組員というのは、むしろそれを歓迎する、というより、後押ししたい、という雰囲気だった。

 どこかでそういう運動があったかもしれないけれど、乗組員たちはヨシノ艦長を自分の弟か子どもと見る向きがかなりあった。

 コウドウ中尉ですら、まるで孫を相手にしているが如き場面を見せるほど、ヨシノ艦長はチャンドラセカルのある種のアイドルだったと今なら思える。

 気を取り直して部屋でシャワーを浴び、一応、背広など着てみて広間へ行った。

 行ったが、入ってみるとズラリと膳が並んでいる。全部で三十人分はあるだろう。

 これは、部屋を間違えたかな。

 襖を閉じようとすると、背後に気配があった。

「あんた、ヨシノの客かね」

 乱れた英語だが、かろうじて理解できたので頷くが、それよりも目の前にいる老婆の背後には、同年輩の老婆が五人はいる。全員が和装だった。

「中に入っておくれ。今から料理を運ぶから」

 中に入れ、とは、ここで間違い無いのだろうか。

「早く早く。すぐにみんな来るよ」

 結局、急かされるままに俺は和室に上がり、一番端の膳の前に座った。楽な姿勢でいいだろうとあぐらをかいたが、慣れないので違和感しか無い。

 そこへさっきの老婆六人組がやってきて、料理を次々と並べていく。見事な連携で、旅館の従業員かもしれない、と見ていてわかってきた。動きが慣れているし、その動作は端々まで違和感がない。

 と、広間へ入ってきた誰かの気配があり、振り返るとそこにいるのはヨシノ艦長、ではなかった。

「おや、従軍記者もやってきたか」

 そこにいるのは、チャンドラセカルの艦運用管理官である、シュン・オットー准尉だった。

 しかも浴衣を着ているし、風呂上がりらしい。頬が紅潮して、石鹸の匂いがした。

 混乱している俺を彼は何も気にしていないようで、すぐ膳の前に座った。

 その時にはもう次々と人がやってきて、見ればチャンドラセカルの乗組員ではないか。

 火器管制管理官のリチャード・インストン准尉の顔もあれば、遠隔操縦士のユーリ・キックス少尉も現れた。

 きわめつけは、海兵隊の指揮をするジョン・ダンストン少佐の浴衣姿で、筋肉が異様に盛り上がっているので、浴衣が浴衣に見えない。

「揃いましたね」

 最後にヨシノ艦長とヘンリエッタ准尉がやってきて、そういうことか、とわかった。

 会話の端々にあった「みんな」というのは、チャンドラセカルの乗組員のことだったのだ。



(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る