7-7 退場
◆
派遣艦隊は自然と元の配置に戻り、ノイマンだけがホールデン級宇宙基地カイロに残った。
ケーニッヒ少佐のところへ、トクルン大佐が頻繁に訪ねてきていたが、クリスティナは知らないふりをしていた。
それよりも管理艦隊司令部で、ノイマンがいない間に、チューリングを訓練の場とする計画が進んでいた。それはチューリングが新しい艦長と新しい管理官の元で一つにまとまり、戦果をあげたかららしい。
ただ、実際のチューリングはその訓練施設じみた役割を果たす前に任務を与えられ、非支配宙域を離れており、そのせいでノイマン、正確にはクリスティナに、訓練生を受け入れる余地があるか、参謀部から打診があった。
そんなデタラメな計画に乗れるわけもなく、クリスティナは硬軟使い分けて右へ左へ、打診をかわし続けていた。
ミリオン級というのは未だ最新鋭の設備を多く持ち、戦場では、全局面に対する影響力はそれほどないものの、一撃必殺の奇襲や、局所的な戦略戦術には有効だった。
参謀部が気にしてるものの一つに、性能特化装甲とミューターがあるのは疑う余地のない事実だった。
クリスティナもそれには気づいていたし、未来を可能な限り、展望もしていた。
ミリオン級は本来、性能変化装甲により姿を消し、スネーク航行で痕跡のない移動ができる、というだけだった。
しかし今や、ミューターが登場したことで、様相が変質した。
性能変化装甲、スネーク航行、ミューター、その三つが合わさると、探知されることが極端に減る一方、敵が同種の技術を持つと、探知するのが困難になる。
土星近傍会戦もそうだが、今の段階では、ミューターによる痕跡の消去を、ミューターによってさらに消去することができることはわかっている。
通常艦がミューターを使うと、空間ソナーからは消えることができる。性能変化装甲とスネーク航行は汎用性がまだ低いから、クリスティナの中でも大規模な実装の可能性は脇に置かれている。
問題は、空間ソナーが通じない、となってしまうと、目視で敵艦を捕捉する必要が生じるという事態だ。
それは空間ソナーの出現前の状態に戻ることを意味するのかもしれない。
技術が発展しているはずなのに、実際には逆行しているのは、不可思議な現象だった。
もちろん、遥かな過去を振り返ってみると、戦闘機や爆撃機が当たり前になっても、歩兵という存在はなくならなかったようなこともあるのだから、実は当たり前かもしれない。
この、目視による戦闘、が常態化したら、今度は一度は脇に置いていた、性能変化装甲が大きな意味を持つ。
今度は目視をかいくぐる装備が重要になってくるのだから、シャドーモードで背景に同化されると、迎え撃つ側には困難がつきまとう。
恐ろしいのは、その段階になってもミリオン級は有効性をとりあえず保持していることだ。
ミリオン級潜航艦は、宇宙における戦闘の次の段階、次の次の段階でも、見方によっては有意義なのだ。
その技術を運用する技能者を育成するのは、軍隊にとっても有意義だろうし、管理艦隊はその教材、実物を手元に持っているだけ、他よりも有利である。
クリスティナはどうにかノイマンを守っているつもりだが、しかしそれは、管理艦隊の不利益を押し通しているのではないかとも思い始めてきた。
それでもどうにか意地を張っているところへ、ケーニッヒ少佐がやってきた。
「ミューターの技能者くらいは受け入れてはどうです? 艦長」
そう言っているケーニッヒ少佐は、また真っ青な顔をしている。カイロに戻ってすでに十日は過ぎていた。
場所はクリスティナに割り振られた執務室だが、まだ生活感すらない。任務が始まれば、ノイマンの艦長室で大抵のことをするわけだし、その任務も計画段階ながら、すでにいくつかが想定されている。
この宇宙基地に長居するつもりはなかった。
宇宙に出て任務を始めれば、参謀部からの横槍も無視できる、とも思っていた。
「今の助言、それも統合本部の意見?」
「いいえ、俺のお節介です」
ケーニッヒ少佐はそう言って笑うが、どこか力なかった。
「体調管理はまだ不完全そうね、少佐。ちゃんと軍医の診断を受けているの?」
そのことですがね、とケーニッヒ少佐が応じる時、何故か、ぐっと歳をとったように見えた。
「俺はどうやらそろそろ、退場らしい」
退場?
クリスティナが首を傾げると、ケーニッヒ少佐が苦しげに笑う。
「俺はもう、厄介払いということです。統合本部は甘い場所ではありません」
思わず立ち上がり、クリスティナはケーニッヒ少佐の軍服の襟元を掴んだ。ぐらりとケーニッヒ少佐が揺れる。その体の手応えも頼りない。
「あなた、組織に殺されるつもり?」
引きずるようにして詰め寄っても、彼は呻くだけだった。
ケーニッヒ少佐の疲労は、決して激務による過労ではない。心労でもない。
実際的に、そうとわからないように存在を消されようとしているのだ。
「医務室に行くわよ」
そう言って引きずるとケーニッヒ少佐の足がもつれる。クリスティナの方がいつの間にか力があるのだ。抱え上げると、ケーニッヒ少佐が弱々しく笑う。
「あまり迷惑をかけるわけにもいきません、艦長」
「何を馬鹿な!」
「俺のように使い捨てられる人間もいます」
「使い捨てなんて」
瞬間、ギラリとケーニッヒ少佐の目が光った。
「クリスティナ艦長、あなたは俺のようになってはいけません。俺のようなヘマはしないとは思いますが、気をつけることです」
もう何も言えなかった。
ぐっとケーニッヒ少佐が足を踏ん張り、自力で立つと、そっと、まだ襟首を掴んでいるクリスティナの手に触れた。
どこかひんやりとしているその手に、クリスティナは言おうとしていた言葉を飲み込んでしまった。
丁寧に襟首を掴む彼女の手を離し、ケーニッヒ少佐が笑みを見せ、ゆっくりと部屋を出て行った。
嘘よ。
閉まった扉に思わずそう呟いて、クリスティナは無意識に壁に背中を預けた。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます