7-5 誘い
◆
結局、近衛艦隊は演習の続行どころではなくなり、管理艦隊の派遣艦隊にも帰還命令が届いた。
例の責任者の中将は安堵したことだろう。
管理艦隊は損傷もおおよそを回復し、いつでも戦闘ができる体勢で、地球近傍から離れた。
最後まで、月艦隊は動かなかった。
「やはりあそこは異質ですね」
発令所では準光速航行を始める座標を前に、全管理官が揃っていた。
囁いたケーニッヒ少佐の表情は、どこか荒んでいる。
「同じ地球連邦の一員だという認識はないんですかね」
「宇宙って、そういうところじゃない?」
なんですって? とケーニッヒ少佐が目を丸くする。
「連邦の一員なんて言っても別のところで生活している人間が大勢いる。昔の国家や民族みたいな枠組みはまだちゃんと生きているし、そこから離れることはやっぱり、できないのよ」
「月にいるのは月人、火星にいるのは火星人、ってことですか。なら俺たちは、なんです?」
「宇宙人かもね」
やめてくださいよ、と肩を落とすケーニッヒ少佐に笑って見せたところで、トゥルー曹長が座標までのカウントダウンを始め、それが終わるのと同時に、エルザ曹長がレバーを押し倒した。
メインスクリーンにカウントダウンが始まる。途中で二度、方向を変えることで、火星まで十日はかからない。
準光速航行を始めるのと同時に、配置を通常配置に変え、管理官からはリコ軍曹、トゥルー曹長がまず休憩に入った。
リコ軍曹は激務の上に激務だっただろうと判断し、二時間、長い休息を与えた。彼女の部下も同様だ。準光速航行の間に索敵管理官が重要な任務を負う場面は少ない。一度、起動してしまえば、離脱の時に注意するくらいで済む。
戦場なら索敵も必要だが、ここから先は、おそらく安全だろう。
他の管理艦隊からの派遣艦隊の艦船も、無事であることを確認し、クリスティナは一度、席を立った。さりげなくケーニッヒ少佐の腕を掴み、通路へ引っ張り出した。
「今回の事件に、どこまで統合本部は関わっている?」
無重力の通路に浮かびながら問い詰めると、ケーニッヒ少佐が顔をしかめる。
「俺も艦長と同じことしか知りません。統合本部、総司令部は、近衛艦隊の整理を狙っていますが、ここまでうまく誘導され、計画通りになるのは、俺からしても奇跡です」
「誰かが先導したんじゃないの?」
その一言で、ケーニッヒ少佐が真面目な顔になるのがわかった。
「それはつまり、近衛艦隊内部で、脱走を誘発させるのに意図的なベクトルを加えたと? そうおっしゃっているんですか」
「元から脱走につながる思想は内在していたでしょう。ただ、ここまでうまくいくかしら。第二艦隊のこともある」
それが一番、クリスティナには気になった。
事前に、第二艦隊の脱走は規定路線になっていて、第二艦隊に対する予測は、以前の脱走とそれを阻止しようとした一連の戦闘、「脱出阻止戦」と呼ばれる事態以後の、艦隊再編がその根拠だった。
第二艦隊には反連邦思想の軍人が集められていると聞いていたが、本当にそれが脱走した。
思想があっても、軍人がそう簡単に寝返るとも思えない。
どこかで誰かが引き金を引く、もしくは撃鉄を起こしてやる程度のことは、したはずだ。
「統合本部は、同様のことを管理艦隊にはしない保証はある?」
「統合本部は管理艦隊を利用し、活用する路線ですよ。今はそれ以外の可能性がない。ただしかし、だからこそ内部工作をする可能性は常にあると思います。俺には聞こえてきませんが、考えるくらいはするかもしれません」
いいでしょう、とクリスティナは頷いてみせた。
「私は今回の件で、一つ、勉強しました」
「何をです?」
「軍人の矜持というものを知ったわね。痛いほど」
クリスティナは真剣な表情だったが、ケーニッヒ少佐は堪えきれずに苦笑している。
「ハッキネン大将のことを、そこまで艦長は気にしているのですか?」
「あの方の様子を見れば、軍人はみんな襟を正すわよ。違う?」
じっとにらみ合うような形になったが、ケーニッヒ少佐が視線をそらし、肩を落とした。
「俺はどうやら、軍人らしい軍人という生き方をしてこなかったせいか、理解できないようです」
「それはそれで構わないわ。しかしこれからはあなたは、私の部下として、ノイマンの副長として、本当の軍人になってもらいます」
「俺を統合本部から引き抜くとでも?」
「生まれ直してみるつもりはある?」
ぽかんとした顔でケーニッヒ少佐がクリスティナを見るのに、クリスティナは微笑んでやった。
「あなたが戦死したことにして、しばらくどこかでほとぼりを覚まして、戻ってきなさい」
「正気の提案じゃない。それに俺は顔が割れている。もしかして、整形手術を受けろとでも?」
「今のあなたの顔もハンサムだけど、もっとハンサムになれるわよ」
「俺は俺の顔が好きなんですよ」
そのやりとりで、クリスティナにはケーニッヒ少佐が統合本部を離れるつもりがないのが、よくわかった。
婉曲な誘いだったが、それをケーニッヒ少佐ははっきりと断ったのだ。
内心、クリスティナは落胆していたが、少佐には少佐の生き方がある。所属する組織が違うだけではなく、根本的な、選ぶ道が違うのだと、飲み込むしかなかった。
「戻りましょう」
そう促すと、ケーニッヒ少佐は何か言いたげだったが、結局は何も言わずに発令所へ戻るクリスティナの後についてきた。
艦長席に座る。
通常航行へ戻るまで、あと五日、それから通常航行を挟んで二度の準光速航行を行えば、火星。その先の二ヶ月の旅を経て、非支配宙域か。
長い任務だったと、不意に実感できて、肩がずっしりと重くなった気がした。
こういう時、解放感よりも先に疲労がくるのだな、とまるで他人事のように感じたクリスティナだった。
(続く)
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