第5話 ゲーム
5-1 待っているもの
◆
非支配宙域へ戻ってきた。
そう思ってもクリスティナはどこか落ち着かなかった。
まったく、火星の有り様は、表には出さないようにしたが、衝撃的だった。
あんなに簡単に、昨日まで協力していた相手に、攻撃できるものだろうか。どれだけ疑い、嘘だと思っても、事実なのが救いがなかった。
軍人になった時、誰かが言っていた。
今の連邦軍は何を相手に戦争をするんだ?
あれから十年は過ぎている。当時は確かに、軍隊には戦う敵はほとんどいなかった。反社会的な人間や、暴力に訴えるものに対処する、それ以外にあるとすればただの牽制だけが目的だった。
そう、連邦宇宙軍は一つにまとまっていたが、要はお互いにそういうポーズをしているだけで、相手を観察し、決して先手を取られないようにしながら、いつでも自分たちが先手を打てるように、身構えていた。
ただ動きがなかっただけで、今の事態の萌芽は、どこかに隠れて、ちゃんと存在したのだろう。
メインスクリーンにホールデン級宇宙基地カイロが見えてきた。
元々の計画通り、そこで報告を行うことになる。
任務を開始する前に、クリスティナはトクルン・ハッキム大佐という人物を紹介されていた。
統合本部の現地担当官という肩書きで、部下を数人、連れていたが、そのうちの一人を見てさすがに眉をひそめてしまった。
長身の女性で、シナモン・フランボワーズというでたらめな名前のその大尉は、明らかに武闘派だった。
正確には、闇討ちをしそうなタイプ、とクリスティナには見えた。
もちろん、彼女がそれを隠すのが自然なはずで、わざとクリスティナに自分の意味を伝えたのだろうと解釈していた。
クリスティナは副長のケーニッヒ少佐に銃を向けたことがある。
彼がクラウン少将を暗殺したのは間違いない、と思ったのだ。しかしそれは理論的な推測と、それよりも多くを占める直感からの発想だった。
銃を突きつけた時、クリスティナは冷静に詰問できたが、内心では激しい葛藤があった。
管理艦隊司令部の参謀を暗殺するという暴挙を行ったという理由で、ここで自分が部下を射殺していいのか。
射殺しないで、武装解除させ、正式な取り調べの後、罰するかどうか決める道を選ぶか。
淡々と言葉をやりとりしながら、しかしクリスティナはケーニッヒ少佐を殺すのも、告発するのも諦めた。
統合本部の指示でやったのだろうが、統合本部がどれだけ不愉快でも、この少佐はただの手の一つに過ぎない。
それにケーニッヒ少佐は、ノイマンの任務において、ある程度の役割を果たしてもいた。
統合本部の人間、ということではなく、管理艦隊の人間としてだ。
水に流すにはあまりにも少佐の罪は重い。
決してどこにも露見しないだろう罪、存在しない罪だが、しかしケーニッヒ少佐自身は、忘れることはないだろう。
それでいいじゃないか。
覚えている限り、彼は心のどこかを死ぬまで苛まれるだろうと、クリスティナは想像した。
それが罰なのだ。
シナモン大尉を見ると、どうも彼女は銃を向けられることになれば、隙を見て逆襲するだろうと思い描ける。
絶対に自分が助からないと思っても、最後の最後まで、諦めないし、相討ちにできるなら相討ちを狙う。そういう苛烈なものが、シナモン大尉には滲んで見えたのだった。
ケーニッヒ少佐とはだいぶタイプが違う。
とにかく、そういう人間をそばに置いて、しかも自由に動かせる大佐が、今か今かとノイマンを待っていることになる。
初対面での自己紹介が済むと、トクルン大佐は平然と言ったものだ。
「私が統合本部の総意ではないが、統合本部は私を通して全てを把握することになります。よろしく頼みますよ、大佐」
黒髪の浅黒い肌をした小柄な大佐は、人の良さそうな笑みを見せたが、本心は決して見せない。
統合本部は管理艦隊をどうするつもりか、クリスティナは艦長席で考えつつ、近づいてくる宇宙基地を見ていた。
司令部や参謀たちが考えることだが、今や、管理艦隊は本来の性質を逸脱することになりつつある。
非支配宙域とか、被支配宙域などと呼んだり呼ばれたりした場所は、不自然ではなくなったのだ。
地球のそばにいようが、月のそばにいようが、火星のそばにいようが、まったくの安全などということは、なくなりつつある。
支配という言葉が何を示すのかはともかく、見かけ上の連邦による支配は、根底から揺らいでいる。
「ややこしいこと」
思わずクリスティナが呟くと、背後に控えるケーニッヒ少佐がチラッとクリスティナの後頭部を見たようだった。しかし何も言わない。
すぐにホールデン級宇宙基地カイロに到着し、係留装置がノイマンを捕まえ、固定される。
同時にカイロから指示があり、全乗組員は当分はノイマンの中で待機で、報告書を作り、聞き取りも通信で行われるという。
最近は聞き取りと報告書ばっかりね、とエルザ曹長が端末の前で首を回しながら呟く。
クリスティナとケーニッヒ少佐には出頭命令があった。
管理官たちに船の状態を万全に整え、艦の点検を行うように指示した。戦闘などしていないし、無理な機動もなかったので、それほどのダメージはないだろう。
点検が終われば、あとは艦内で自由とした。報告書など、ほとんどの乗組員がここまでの二ヶ月の間に書いたはずだ。
ケーニッヒ少佐を連れて、チューブを抜けてカイロに移動する。人工重力が煩わしいのは、一ヶ月も無重力空間に慣れていたせいだ。いつまで経っても、この切り替えがうまくいかず、足がもつれたりする。
「少佐」
歩きながらクリスティナは背後をついてくるケーニッヒ少佐に声を投げかけた。
「例の話はあると思う?」
「わかりませんね。しかし、一人でも多くの知恵を借りたいでしょう、管理艦隊としては」
例の話、というのは準光速航行を切り上げる二日前に、ケーニッヒ少佐から聞いた話である。
(続く)
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