4-8 思想

      ◆


 火星近傍で二週間ほどを過ごし、クリスティナ艦長は帰還を命じた。

 この二週間の間で、脱走事件は最初の大騒動の後も小規模なものがいくつか起こったが、実際に逃げるのに成功した艦船はほんの四隻で、むしろ沈んだか拿捕された艦の方が多い。

 火星の周囲はデブリだらけになり、掃宙艇が数え切れないほど動員されている。

 ノイマンはそんな様子さえも、ひたすら見守っていた。

 火星駐屯軍の宇宙艦隊の色分けは、おおよそができたようだ。

 実際に脱走艦を出した艦隊もだが、それを追撃、攻撃した艦隊の中にも、明らかに手を抜いている艦隊が存在する。

 味方を撃つのを躊躇ったのか、独立派に好意的なのか、それは統合本部の専門家が分析するだろう。

 ノイマンに課された、実際的な情報を客観的な視点で手に入れる、という当初の任務は完了したのだ。

「後味の悪い仕事だったわね」

 何気なくエルザは口に出していた。誰にともなく、というつもりだったが、トゥルー曹長に同情する姿勢を示したいだけだと、自分でもすぐに気づいた。

 発令所で、艦長以下、全ての管理官が揃っている場面でだったので、反射的に謝罪の言葉が口をついた。

「失礼しました。失言でした」

「いいのよ、それくらいの意見は」

 すぐにクリスティナ艦長がそう言ったので、エルザは恐る恐る振り向いた。

 クリスティナ艦長もどこか不快さを隠せない顔をして、しかしエルザを見ているわけではない。

 斜め上、天井の手前にある、星海図を見上げているのだ。

「ミリオン級にはおあつらえむきの任務だったけれど、およそ、軍人がやることではなかった」

「艦長、危険な発言です」

 そうたしなめたのは意外にもケーニッヒ少佐ではなく、ドッグ少尉だった。

 この少尉は、的確なタイミングで発言するものだ。

 クリスティナ艦長は視線をドッグ少尉に向けるが、ドッグ少尉は端末を向いていて、艦長の方を見ていない。視線を受けているのは感じているはずだが、反応しなかった。

「今なら言えるだろうから、言っておきます」

 艦長が改まった口調でそう言ったので、トゥルー曹長も、リコ軍曹も艦長の方を向いた。

「私は連邦軍を一度、解散するか、宇宙の安全のみを目的とする組織にするべきだと思っています」

 予想外の意見だった。

 それからクリスティナ艦長は、宇宙だけは自由が許される場であるべきで、違法行為を取り締まる以外は、むしろ開放された状態で維持するべきだ、と言葉を続けた。

「ユニークですが」

 そう発言したのは、前を向いたままのドッグ少尉だった。

「人間が船に乗り続けて、それで生きていけますか。どこかで、大地が必要なはずだ」

「そうなのよね。ドッグ少尉が考えていることを、私も考えたわ。でも、答えは出ない。なぜなら、誰もそれをやっていないからよ」

「独立派の連中がそれをやるわけですか」

「そうなるわね。そんなことを考えたり期待したりする私は、軍人より、冒険者気質かもしれない」

 艦長なりの冗談だったようだが、笑ったのはケーニッヒ少佐とドッグ少尉だけだった。それも短い笑い声だけだ。

「さて、そろそろ私たちの庭に戻りましょう。エルザ曹長、航路は事前に予定された座標から準光速航行です。わかっていますね?」

「はい、艦長」

 エルザは気を取り直して端末に向き直り、操舵装置を握った。

 それから半日もせずに座標へ到達し、準光速航行が始まった。

 二ヶ月間の旅は、それほど長く感じないような予感が、エルザにはあった。

 艦長が何も考えずに、飛躍しすぎて、突飛な上に突飛な自分の理屈を口にするわけがない。

 これからの二ヶ月で、よく考えて、場合によっては議論して、それぞれに答えを出せということなのだろう。

 そしてその答えが、自分たちが傍観していた戦闘で散っていったものたちの、その死にふさわしいか、それとも不相応なのか、考えるということが求められているんじゃないのか。

 準光速航行が始まれば、操舵部門ではやることはほとんどなくなる。端末で推進装置の不具合を監視する程度だ。

 エルザは時間があるときは、自然と部下を集め、連邦のことや管理艦隊のことについて、話を聞くようにした。

 部下は今、八人いて、階級こそ低いが、経験十分で、技能も高いものたちだ。そしてそれ以上に、自分で考え、判断する癖がついている。非支配宙域にいるものは、そういう性質を持つ傾向にある。

 話を聞いていくと、連邦が二つに割れているべきではないか、という意見が多くあった。つまり、保守派と呼ぶべき現状を維持したい派閥と、独立派に近いものを中心とした派閥、ということだ。

 そしてその両方が、お互いに不干渉を約せば、争いは消える。

 その意見を口にした軍曹は、比較的すんなりと理屈を組み立てたが、不干渉など不可能だ、という正論には対処できなかった。

 エルザはそんな議論を聞いて、では、地球と火星で別れればどうか、とも思ったが、それも部下の間から意見として出て来れば議論しようと、黙っていた。

 似たようなことが艦内でそれぞれに起こっているようだ。発令所ではリコ軍曹とよく話をしたが、彼女が、部下の意見ですが、と何回も前置きするので、彼女も部下と話し合っているのだろうと知れた。

 今、直面しているのは、どれだけ言葉を交わしても、結論の出ない問題だった。

 なにせこれは、社会の行く末を議論しているわけで、社会の進む方向を決められる個人など、仮に百億を超える人間を見回しても、きっといないだろう。

 それでも議論しなくては、先へは進めない。

 二ヶ月は案の定、あっさりと終わった。

 発令所の操舵管理官の端末の前で、エルザは通常航行へ戻るタイミングへのカウントダウンを見ていた。管理官は全員が発令所に揃っている。

 誰も何も言わない。

 重苦しいようだけれど、誰もが自分の内面に目をやっているような気配がした。

「離脱まで、十秒です」

 トゥルー曹長がいう。

 エルザは一度、操舵装置から手を離し、手を開き、握り、そうしてもう一度、操舵装置を握り直した。

 手は震えていない。

 考えることがあるっていうのは、幸せだ。

 不意にそう思いながら、カウントダウンが始まるのに、耳を澄ませて、レバーに手を置いた。

 カウントが、ゼロになる。



(第4話 了)

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