9-2 鬱屈

     ◆


 ジネスはチューリングを見た時、興奮と同時に失望もした。

 失望は、戦艦のような大型艦ではないこと。

 興奮は、目の前の潜航艦の特質が、ほかに類がないこと。そしてそれを自分がいじれる。

 どういう事情が作用したのか、前任の機関管理官はすでに艦を降りていて、引き継ぎは書類で行われた。

 循環器システムと呼ばれる、ある種の機関部の発展系である、血管を全艦に巡らせる技術は、ジネスも情報では知っていた。

 そんな危険なことをしてまでして新規の推進方法を搭載し、痕跡を消す必要があるのか、それがまず疑問だ。

 仮に重大な損傷を受け、燃料液が誘爆すれば、艦そのものが一瞬でバラバラになってもおかしくない。

 管理艦隊の管轄の木星近傍へ着くまでの間、ジネスは事前に渡されたミリオン級に関する解説書のようなものを読み続けた。

 面白い文体で、とても軍隊で作ったものとは思えない、読ませる内容だった。

 末尾まで読んで、そこにハンター・ウィッソンの名前を見つけ、ジネスは思わず息を飲んだものだ。

 近衛艦隊にいても聞こえてきた、三連循環器の暴走を、大胆かつ繊細な手法で安静化させた事件の、当事者だ。

 彼が管理艦隊にいるのなら、ぜひ会いたいと思ったが、ジネスが管理艦隊のホールデン級宇宙基地カイロに着いて確認すると、入れ違いになるように地球へ向かったという。

 しかも退官していた。

 それでもいつか、話もできるだろうと、ジネスはその時は自分に言い聞かせた。

 チューリングと対面し、乗り込み、機関管理官として循環器システム全体を把握するのに、それほどの時間はかからなかった。

 ただ、苦労したのは循環器の様々なバランスが、極端な設定になっていることで、それは前任の機関管理官の癖らしい。

 同様のものが推進装置にもあった。

 そういう癖が何を意味するかは、癖そのものを理解していくと、少しずつわかってくる。それはジネスも経験的に知っていた。

 チューリングは基本的にスネーク航行と呼ばれる、痕跡を残さない推進機構を前提としているのだ。そのために循環器は中から高出力を長時間、維持するように設定され、低出力での粘りなどは重視されていない。それに推進装置は緊急で即座に立ち上げ、高い推力が瞬間的に出るように設定されている。

 つまり、隠れ続けて、それが無理ならさっさと逃げ出す、そういう艦なのだ。コンセプト通りではある。

 もっと戦いを前提にしてもいいのではないか、とジネスは繰り返し思ったが、即座にヴェルベット艦長に確認する必要を感じなかった。

 少しずつ、自分好みに変えていけばいい。それにまだ、自分は着任したばかりだ。

 それでもはっきりしているのは、今のチューリングの設定は極端だということで、どういう戦場を想定しているかも、よくわからない。

 逃げ出す前提の場面とは何か。

 忍び寄り、監視して、しかしそれは戦闘が前提ではなく、この艦は戦闘が前提ではないのか?

 潜航艦という概念が、ミリオン級によって変わったのは、ジネスでも理解できる。

 ただ、シャドーモードの性能変化装甲とスネーク航行、さらに新装備のミューターを使えば、誰にも見えないのではないか。

 完璧な隠蔽。夢の技術の具現化。

 それでも、むしろ循環器そのものはより静粛に、気配を消すような設定が正しい気がする。

 本当に隠れ潜むのが前提なら、徹底して方がいいだろう。

 一つだけ、気になるといえば、循環器に増設されている複流機構である。

 これだけは、ジネスもさすがに持て余した。

 燃料液の循環を加速する装置だとは知っていても、今のチューリングの循環器は十分な出力を持っている。

 複流機構を起動すれば、循環器の脈拍を三割は減らせる。脈拍六十で九十程度の出力が出るのだ。

 ただ、なぜ脈拍を抑えるのか、よくわからない。いや、それで静粛性を高める意図かもしれなかった。

 つまり、ジネスの志向に沿う装置かもしれない。

 着任してから、部下に繰り返し、この新設の装置について確認したが、はっきりと意見を言うものはいない。

 何も知らないのか、と詰問すると、露骨に嫌な顔をされる。そっぽを向く兵士さえいる。

 そうなると、場の雰囲気が一変し、ジネスと、その他全員、という極端な対立構造が出来上がってしまう。

 自分はやはり歓迎されていない。ここでもそうだ。どこに行ってもそうだ。

 この空気を前にジネスは何も言わず、端末で技術部門のレポートなどの書類を読むことになった。無意識に言葉が口をついて出てしまう。そうすると誰かしらが「少尉、黙ってください」という。

 俺が少尉で、俺が機関管理官だぞ、と一度、思わず口にしていた。

 聞こえないはずがないが誰も何も言わず、しらけた顔でジネスを見ていた。

 その視線が、いつまでも脳裏に焼き付いている。

 結局、複流機構の増設理由は、脈拍を抑える、それ以外に理由がない、と考えるしかなかった。

 チューリングは訓練の最中で、一時的に前線を離れている。もっとも今はどこもかしこも前線だ。

 操舵管理官と火器管制管理官が衝突し、その火器管制管理官は不祥事もあって艦を追い出されていた。新しい火器管制管理官は少しずつ力を示しているようだ。

 訓練の後の会議でそれがわかる。ジネスは発言する場面がほとんどなかった。

 やはり、機関部など、実際の戦闘とは遠いのだ。

 訓練が終わった後にもジネスは機関室にい続けた。

 その時は四人の部下がいて、今も循環器と血管を管理している。

 何がそんな気を起こさせたかはわからないが、ジネスは思いつきを試す気になった。

「おい、伍長。循環器の最大脈拍は?」

 ジネスに声をかけられた伍長が不機嫌そうに振り返り、「一一〇。安全を度外視して一三五」と答える。何を当たり前のことを、というのが言外に聞こえてくる。上官に向かっての言葉ではない。

 しかし今はそれは無視してやった。

「複流機構を使えば?」

 さすがの伍長が振り返り、兵長が二人と、そして軍曹もやってきた。この軍曹が三番目の責任者だ。

「少尉、何を考えているんです」

 軍曹の質問に、ジネスは堂々と答えた。

「循環器が本当にどれだけの出力を出せるか、確認する気になった。脈拍を最大に設定しろ、軍曹」

「発令所の許可は得ていますか? いませんよね?」

「機関部は俺が責任者だ。やるぞ」

 軍曹と他の三人はうんざりした顔で、しかし実際に動き始めた。

 脈拍が一一〇に近くなる。

 ジネスは複流機構を起動するように指示した。



(続く)

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