3-3 宇宙を見る
◆
沈黙の後、「引き止めるのは、失礼なことだと思います」とユキムラ准尉が言ったので、ハンターは自然に頷いた。
「それでも一度は、引き止めようと思って、少佐に頼んで艦長のところへ来ました」
管理官たちからの返信では、カード曹長が一番早く、次がウォルター大尉である。ユキムラ准尉からの返事はなかった。
「理由をお訊ねすることもしません。感謝を伝えたいと思います」
「こちらこそ、きみの技術には救われた。ユキムラ准尉、きみは一流の上を行く技能者だよ」
「それも、艦長が見出してくれたからだと思います」
あまり気にするな、とハンターはユキムラのカプセルを小突いた。それでレイナ少佐も少しだけ和んだような雰囲気を見せた。
「それでですね、艦長、宇宙を見たくないですか?」
脈絡もなくユキムラ准尉がそういうので、ハンターは首を傾げた。
「宇宙はもう飽きるほど見ているが、そうじゃない宇宙があるのか?」
そう問い返したところで、これを、とレイナ少佐が遠隔操縦士が使うようなヘッドマウントディスプレイが差し出してきた。
「なんだ?」
「つければわかりますよ、艦長」
レイナ少佐に促され、ハンターは受け取るとそれで目元を覆った。
目の前には真っ暗な空間。
いきます、とユキムラ准尉が言った。
「わっ」
思わずハンターの口から声が漏れていた。
目の前を宇宙が流れていく。視点がどこにあるのか、わからない。三次元映像なのだ。
宇宙を高速でカメラが駆け巡っているようだが、その速度はすぐには飲み込めないほど速い。
地球に近づき、離れ、月のそばをすり抜ける。月面都市がはっきりと見えた。
宇宙コロニーの方へひた走り、その次に人造衛星が至近に見え、通り過ぎる。
準光速どころではない速さで、視点は火星に到達し、ぐるぐるとその周囲を巡る。
さすがにハンターにもわかってきた。
これはユキムラ准尉が千里眼システムで手に入れた情報を総合的に組み合わせた映像なのだ。
ここまではっきりと見えるのか。リアルタイムではないとしても、驚くべき精細度だった。
「これが僕たちがいる、宇宙ですよ、艦長」
ユキムラ准尉の言葉に、ハンターはまだ絶句していた。
こんな情報を人間が一人で捌けるわけがない。圧倒され、飲み込まれるだろう。
それに耐えるどころか、完璧に使いこなす技能を、このカプセルの中に閉じ込められた青年は、持っているのだ。
ハンターはユキムラ・アートという青年には才能があると考えていた。
それは正しい評価だったが、しかしユキムラ・アートという青年の秘めているものは、評価以上に巨大で、意味のあるものだ。
「ユキムラくん」
ハンターは目の前で展開される映像に見入ったまま、声にした。
「きみの技能は、私が見出したかもしれない。しかし成長したのも、才能が花開いたのも、きみの努力だ。それを忘れるな。そしてこれからも、戦うんだ、自分と」
はい、と小さな人工音声が返ってきた。
それから三十分ほど、ハンターは宇宙をじっと観察し、映像は最後、フラニーの周囲を巡る形で終わった。
ヘッドマウンディスプレイを外す。ユキムラ准尉の横にいるレイナ少佐が受け取り、ハンターは改めて、ユキムラ准尉を見た。カプセルにある窓の中で、青年は眠っているように見える。
「礼を言うよ、ユキムラくん。ありがとう」
「こちらこそ、艦長」
部屋を出て、格納庫をハンターが歩き出すと、レイナ少佐が後を追ってきた。
「なんだ、彼と一緒にあの部屋にいることが多いと聞いているぞ、少佐」
からかうつもりのハンターに、レイナ少佐は平然としている。
「誰にだって、一人になりたい時があるでしょう」
言いながら、彼女はちらっと横へ視線をやった。そちらではまだ、コンテナの上にカード曹長が寝そべっている。
誰もが何かを受け入れ、整理する時間が必要なのだ。
ハンター自身にも。
格納庫から通路に入り、レイナ少佐はいくつかの事務的な話を始めた。ハンターはそれに答えながら、新しく操舵管理官を探す必要を考えていた。
そしておそらく、もう一人、管理官を見つける必要もある。
執務室が見えてきたところで、通路の壁に寄りかかって立っている士官が見えた。
ムッとした顔をこちらに向け、壁から離れて通路に仁王立ちになった。
「どういうことです、親方。俺に相談もせずに」
ウォルター・ウィリアムズ大尉の詰問は、不思議といつもの、循環器や推進装置について話している時の、技術に関する意見の齟齬を議論し合う場面の響きに似ている。
「私には私の考えがあるんだよ、大尉」
「あんたは、艦を捨てるのか」
「大尉、あの艦は連邦軍のものだぞ、私物じゃない」
わかっちゃいますがね、と言うウォルター大尉の横を抜け、執務室に入ると、自然と彼とレイナ少佐が入ってきた。ウォルター大尉はレイナ少佐を睨みつけたようだが、彼女はやはり堂々としていた。
「俺は反対ですよ。親方が一番、チューリングのことをわかっている」
「もっと大勢が同じ立場に立たないと、兵器として不完全だ。使いこなせない兵器に意味はない」
「そういう正論を聞きたいわけじゃないんですよ、親方」
「そのポケットの中身のものを出せ、ウォルター」
これにはさすがに機関管理官も驚いたようだが、乱暴な動作で作業着のポケットから封筒を取り出したのは、ほとんどハンターの予想通りだった。
封筒を開封すると、除隊願いが入っている。
「お前までいなくなったら、本当にチューリングを知るものがいなくなるぞ」
「それを親方が言わないでください。俺は親方の元で、働きたいんです。地球の奴らのためでもなく、管理艦隊のためでもなく」
すぎた言葉だとは思ったが、ハンターはあえて放置した。レイナ少佐も無言だ。
「なら、一緒に辞めるとしよう」
これはさすがに予想外だったのか、ウォルター大尉は狼狽えたようだが、ハンターはわざと踏み込んだ。
「辞めたくないのか? 辞めたいんだろ?」
沈黙の後、ウォルター大尉は髪の毛を乱暴にかき回し、考えます、と部屋を出て行った。
ハンターは思わず苦笑しながら、レイナ少佐にウォルターが置いていった書類を手渡し、「手続きを始めてやってやれ」と言った。
レイナ少佐は、いつも通りの表情で、無言で一度だけ、頷いた。
(続く)
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