ミリオン級潜航艦一番艦「チューリング」の受難

第5部プロローグ

戦場が存在しなかった時代の終焉

     ◆


 ミリオン級潜航艦が歴史の表舞台に立ったのは、のちに「土星近傍会戦」と呼ばれる戦闘が最初になる。それ以降、この三隻の最新鋭潜航艦は秘密の任務を与えられるのと同時に、場面場面で、記録の上に現れるようになった。

 一番艦「チューリング」はその中でも最も平凡な形の任務を与えられ、三隻の中では比較的、実戦より実務と呼ぶものを遂行した。そのことをハンター・ウィッソン氏がある時、簡単な言葉で、しかし決定的に評価したのは、その筋のものたちにはよく知られていることだ。

「軍隊などない方がいい。実戦などもない方がいい」

 この言葉は、地球連邦がその方針を改めた時、彼の口をついて出た言葉だとされているが、この言葉が向かう先はミリオン級潜航艦に限らず、連邦宇宙軍の存在自体への疑念と反発の一つの形であり、同時に地球連邦の市井の人々の声でもあった。もちろん、ハンター氏は口調こそ荒々しかったというが、冷静さと論理立った思考を失うことはなかったと伝えられ、また彼を知る人もそれを保証している。

 市井における連邦軍というのは、ほとんどが紛争の火消し役で、軍隊でありながら、実際的には警官に近いものだった。これが崩れ始めたのが、土星近傍会戦であり、それと前後する、第一次脱出阻止戦と第一次火星会戦、第一次追跡戦になる。ここに至って、宇宙の各地で、軍隊は軍隊としての性質を取り戻し、同時に、それは今までほとんどなかった悲劇、忘れられていた悲劇が、繰り返し、飽くことなく量産される時代が到来したことを意味していた。

 土星近傍会戦の後、地球連邦はその形を急速に改めていくが、その変化は管理艦隊、火星駐屯軍、近衛艦隊、そういう軍隊からの変質が始めに起こった。これは「軍を持たない国家」が存在しないことが大きな理由にもなりそうだが、別の側面として、連邦宇宙軍が連邦そのものの軍という性質と同時に、統一されながらもまとまりを残していた大小の国家の軍であるという性質を、併せ持っていたからだとも観察できる。

 地球連邦宇宙軍が殊更、強調されることになるのは、独立派勢力と当時は俗称で呼ばれた勢力が、太陽系からの脱出を試みた後、地球連邦は内部での争いの調停、手の届く範囲の、言って見れば自分の庭の管理だけではなく、隣の家からやってくるものを警戒する必要が生じたからだ。つまり連邦宇宙軍が外部からの攻勢をはじき返す、先頭に立つ守護者であり、防波堤そのものになったことにもよるのだろう。

 その激変の時代で、チューリングは比較的穏やかで、平穏な経緯を辿った。それは二番艦「ノイマン」ほど大胆ではなく、三番艦「チャンドラセカル」より小さなスケールだったが、決して無視はできないものだと思える。チューリングに起こったことは、日常的な戦争だったし、その戦争は外部と戦う、内部と戦う、そういう性質よりも、より強く、自分自身と戦う、という色が濃厚だった。

 ハンター氏ですら、屈服するような戦いが、そこでは起こっていたのだ。屈服、という言葉もまた、ハンター氏の口から出た表現だが、彼は苦笑いをして戯けてそう言ったと伝わってくるのは、ハンター氏について知れば知るほど、ありそうなことだ。

 この当時の連邦宇宙軍が直面した問題のまず第一として、戦争という悲劇をいかにして克服するか、そこに焦点が当たっていることは外せない。

 戦争は始まってしまったのだ。

 防ぐ前に、もはや戦うしかなかった。

 チューリングに限らず、兵士たちはそれぞれに、自分自身を見つめ直し、戦場に立っていることを、再認識し始めたのが、この時代における大きな要素である。

 世界が変わる時は、否応なく、やってきたのだ。



(リューズ出版より刊行の宇宙戦史解説雑誌「宇宙という戦場の趨勢」への寄稿文より抜粋)

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