第4部エピローグ
レビュー 我々、人類に必要な背景に関する考察
◆
チャンドラセカルという船のことを正義とするか悪とするかは、主義によって分かれてしまうが、この作品のラストにおける艦長ヨシノのイメージこそ、全てに対する回答と思われる。
人間が宇宙に進出したことで、人間は多くの故郷を持つことになった。地球、火星、木星、複数の宇宙コロニーと人造衛星、そして無数の船だ。
どこに行くこともできる。どこへ行っても良い。
そんな状況に人間が適応できたのは、常に故郷をどこかに用意したからだ、と言えるのではないか。
その点では当時の独立派勢力と呼ばれる集団は、あえて故郷を捨てる選択をする者たちだったと解釈できる。彼らに故郷の存在を強制するのは、実にこの、どこへでも行くことができること、どこへ行ってもいいという、宇宙進出における大前提を否定することになる。
艦長ヨシノの発想は、彼らを野放しにするようにも見えるし、事実、野放しにしただろう。
ただし、その代わりに、艦長ヨシノは独立派勢力という立場の人々に、新たなる故郷を探すという重大事を行うことを、許したことになる。
そのために地球連邦はその構造自体に重度の問題を抱えることになるが、しかしそれ以前の問題として、人間は何を頼りに生きるのか、という大問題が立ち現れることになった。
それぞれの国家や民族、それらが統一された地球連邦、そこに何かしらの支えを見たものがいただろうが、時間とともにこの前提、人間の社会の背景は、いつの間にか薄れていたのは否めない。
人間は宇宙へ進出したことで、自然と、背負うことになる背景を自分で決める必要が生じた。
そして背景に地球を、故郷の景色を描くものもいれば、何もない宇宙の深遠をそこに配置するものがいたことになる。
この小説では描かれないが、艦長ヨシノは地球にある故郷を、最終的には自分の背景にしたと思われる。そんな彼だからこそ、自分が背後にある空間に支えられていることを知る彼だからこそ、独立派勢力という存在へのある種の理解と、寛容な態度を選び得たと言えるのではないだろうか。
この小説がフィクションか、それともノンフィクションかは、いずれ分かることだが、少なくとも今、言えることは、人間は二つに分かれたということだ。
背景を持つものと、持たないもの。
背景を守るものと、背景を探すもの。
これが新しい争いの火種なのか、それとも新しい思想の芽吹きなのかは、未来になればわかるだろう。
その時、地球に住むもの、火星に住むもの、その他の連邦圈に住むものは、自分たちとは全く別種の故郷を持つものたちと、対峙することになるのではないか、と思う。
私はその場面を、ぜひ見たいとも思っている。
その時に艦長ヨシノの決断の意味が、再び問われるだろうから。
(ハマ・ナカタの著作「宇宙小説一〇〇選」から抜粋)
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