10-6 果てしない宇宙へ

     ◆


 チャンドラセカルは巧妙に超大型戦艦の周囲を回避運動をとりながら旋回する。しかし姿を消せないために対空砲火は激しい。そうしている間にも隠蔽は不完全さを増していく。力場のせいで、酷く艦が揺れた。

 ヨシノは先ほどから体の内側が疼くのを無視して指示を出していた。

「ヘンリエッタさん、緊急時の光信号で呼びかけてください。内容は、「貴艦の目的を問う」です」

 少しの沈黙の後、ヘンリエッタ准尉が了解し、光信号を送ったようだ。

 反応は超大型戦艦ではなく、味方からの方が早かった。

「管理艦隊旗艦クレオパトラ、キッシンジャー提督から通信です」

「メインスクリーンに映して」

 半分が死んでいるメインスクリーンに怒りに駆られた准将の姿が現れた。

「何をしている、チャンドラセカル! 戦闘を放棄するか!」

「私の了承のうちだ」

 そう応じたのは、ヨシノではなく、音声だけを聞いているエイプリル中将だった。目を白黒させているキッシンジャー准将はよく状況が分からないようだが、そこへ構わず、エイプリル中将が続ける。

「戦うだけ、殺しあうだけでは解決しない問題がある。准将、責任は私が持とう。ヨシノ大佐、続けなさい」

 ヨシノは「ありがとうございます」と応じ、苦虫を噛み潰した顔のキッシンジャー提督の姿が消えた後、連続して呼びかけるようにヘンリエッタ准尉に指示した。

 すると、超大型戦艦から光の明滅が返ってくる。ヨシノは反射的に読み取ろうとした。

 短い通信で、すぐに内容はわかった。

「返答がありました! これは……」

「ヘンリエッタさん、読み上げてください」

 ヨシノ自身の解読だけではなく、他人の確認の必要がある。少しの沈黙の後、ヘンリエッタ准尉が相手からの光信号を読み上げた。

 それはヨシノからすれば、単純な答えあわせだ。

「我が方の目的は自由にあり。戦闘停止を希望する。です」

「戦闘の意思がないのかを確認してください、ヘンリエッタさん」

 光信号がやりとりされる。次の超大型戦艦からの文章は更にシンプルだった。

「戦闘の意思はない。防御するのみである」

 思わず息を吐いて、ヨシノは音声でだけ繋がっている司令官に確認した。

「エイプリル中将閣下のご意見をうかがいたいのですが」

 短い沈黙の後、ひび割れた声には、嘆きの色があった。

「これ以上、無駄に命を捨てる必要はない。ただ、今回の件は、管理艦隊だけではなく、連邦軍、もしくは連邦そのものの全体の方針へ影響を与えるだろうな。独立派勢力を認めるも同然だ」

「認め合うのが人間社会の基本です、閣下」

「わかっているよ。しかしあまりに人は、先へ進みすぎた」

 エイプリル中将がしばらく沈黙し、「戦闘を停止させる」と返答があった。

 それから数分の間に、管理艦隊には超大型戦艦とその護衛艦隊への攻撃を停止する指令が発せられた。

 それに合わせて、敵も攻撃をやめ、管理艦隊から離れていった。

 管理艦隊は艦列を組み、航行不能の艦を曳航する準備を始め、撃沈した艦への救助作業、脱出艇を回収する救難作業も始まった。

 チャンドラセカルも艦を停止させ、敵潜航艦に体当たりした時の怪我人の治療が行われていた。死者はいないが、意識不明の兵士が九人いる。発令所には看護師のマルコ・ドガがやってきて、まずイアン中佐、次にインストン准尉を治療した。

 体調を確認されたが、ヨシノはそれをやり過ごした。胸が痛むが、今は発令所にいる必要がある。

 まだ何が起こるかわからないからだ。

 それに、チャンドラセカルの艦それ自体も精密に損害を確認する必要があった。ただ、こちらは情報の上では艦の運用に問題はないと比較的早くわかった。

 そうして戦闘が終わった宇宙を、発令所の管理官たちはじっと見据えていた。

 離れて行っていた巨大な輪郭が唐突に消える。その周囲の比較すると小さな影も消えた。

「超大型戦艦と護衛艦隊の五隻、準光速航行で離脱していきます。出力モニターの索敵可能範囲を抜けるまで、三〇時間です」

 そう報告するヘンリエッタ准尉に頷き返し、ヨシノはまだエイプリル中将と通信が繋がっているのを再確認した。

「追跡するべきでしょうか、閣下。しかし彼らはもう、こちらへは戻ってこないと思いますが」

 そのようだ、と疲れた口調で返事がある。

「非支配宙域で発見されていた宇宙ドッグや宇宙基地、所属不明の艦船が、一斉に太陽系外縁部へ受かって移動している。かろうじて、チューリングが把握しているが、もはやすべてに対処は不可能だ」

 つまり、独立派勢力は、地球連邦の支配が及ばない、果てしない宇宙へ漕ぎ出したことになる。

「無責任かもしれないが、もはや、我々の手には負えないよ、大佐」

「ご英断だと思いますが」

「地球の奴らがそう思えばいいのだがね。とにかく、今は態勢を整えよう」

 チャンドラセカルを宇宙ドックジョーカーに向かわせ、船がそこで補修を受ける間に、ヨシノとイアン中佐はシャトルで宇宙基地カイロへ出頭するようにという指示があった。

 キッシンジャー准将がこの戦場の指揮官であり、これでは彼に対する心証が悪いだろうと思ったが、すでに悪すぎるほどに悪いので、構う必要もないのかもしれない。

 準光速航行に必要な計算と指示して、ヨシノは深く息を吐いた。

 途端に胸が激しく痛み、何かが喉をせり上がってくるのを感じた。

 咳き込む。それも強く、止まらなくなる。

 口元を押さえた手から溢れるように何かが飛び散ったと思うと、それは赤い飛沫で、まるで現実感がないが、血液のようだ。

 少ない量ではない。そして、溢れるように流れ始める。

 急にヨシノの視界が暗くなる。

 艦長! と叫んだのは、イアン中佐か。

 体が倒れていく途中で、ヨシノは完全に意識を失った。



(続く)

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