10-2 不可知存在

     ◆


 敵に察知されることを容認することで、敵にはチャンドラセカルを警戒させることができた。

「ユーリ少尉、進捗は?」

 発令所にボソボソと返事が来る。

「お陰様で、ほぼ完了です。あとは閉じて、起動するだけ」

 メインスクリーンの中には、奇妙な光景が展開されていた。

 すでにシャドーモードが機能しないチューリングを、ブイに似た何かが取り囲み、しかしそのブイ同士の間で何かが渡されている。

「透過カーテン、展開完了。起動します」

 ユーリ少尉の宣言に、お願いします、とヨシノは言いながらも、発令所ではそれを見ているような余裕は殆どなかった。

 その間にもチャンドラセカルは、シャドーモードの装甲にスネーク航行を合わせた時の、限界速度で機動を行っていた。

 敵の姿は目視不可能、空間ソナーでの索敵も不可能だ。

 かろうじて出力モニターの揺らぎでそれらしいものが見えるだけだった。

「ヘンリエッタさん、チューリングに通信をつないで」

「了解です。つながりました、どうぞ」

「こちらチャンドラセカルです。聞こえますか、チューリング?」

 短い雑音の後、返事がある。

「助かった、チャンドラセカル。チューリングはとりあえずは安全なようだが、この周囲の幕はなんだ?」

 低いしわがれた男性の声だった。

「新しい装置です。チューリングは即座に推進装置を切って、循環器を停止してください。それでもう敵からは見えなくなります」

 断片的な説明しかできないが、そこはチューリングも戦場に出ているのだ、やりとりする余地がないことを察したようだ。

「了解した。こちらでも敵を探るとしよう」

「頼みます。バッテリーを使っての緊急機動での離脱はできるように、備えてください」

「素人ではないよ。武運を祈る」

 通信が切れる。

 がくんとチャンドラセカルが揺れる。

「第七十三装甲に被弾。シャドーモード、乱れがあります!」

 オットー准尉からの報告。

「ヘンリエッタ准尉、攻撃地点を割り出して、インストン准尉に座標を示して」

「すでに見ていますよ」インストン准尉からの発言。「反撃していいですか?」

「打撃砲で攻撃してください」

 本当は粒子ビーム砲で攻撃したいところだが、発光を伴うため、今は自分の位置を明かす余計な要素になる。

 ただ、打撃砲で相手を撃破できるとも思えない。相手の姿を消す装甲がチャンドラセカルのシャドーモード程度なら、あるいはダメージを与えられるだろうか。

「オットー准尉、破損した装甲を可能な限りフォローして、隠蔽を継続」

「了解」

「インストンさん、打撃砲はとりあえずは三連射です。ヘンリエッタさん、出力モニターの反応は?」

「かすかです。照準装置が機能しません」

 ヘンリエッタ准尉の回答にヨシノは決断するしかなかった。

「オットーさん、装甲をスパークモードに変える用意を」

 それはチューリングが敵艦を暴くのに使った手法だ。ただ敵は一度、それで敗北を喫している。つまり何かしらの対策を練っている可能性が高い。

「ヘンリエッタさん、チューリングに通信をつないでください。急いで」

 すぐに「つながりました」と声があり、メインスクリーンに音声のみで通信が繋がっている表示が浮かび上がる。

「チューリング、こちらチャンドラセカル。頼みがあります」

「守ってもらっているのだ。全力を尽くす」

「これからチャンドラセカルは装甲をスパークモードにします。その時、チューリングの索敵能力で、敵を暴いてください。こちらとリンクして、情報共有することで敵の座標を知ることが可能になるはずです」

 よかろう、という即答があった。

「チャンドラセカルのタイミングに合わせる。うちの索敵管理官は特別だ、安心しろ」

 短く礼を言って通信を切る。

「高速魚雷が向かってきます! 十二時方向、真後ろからです!」

 ヘンリエッタ准尉からの報告。

 ヨシノは落ち着いていた。

「オットーさん、装甲をスパークモードで起動して」

「了解、スパークモードに切り替えます」

 メインスクリーンに変化はないのはいつも通りだ。

 魚雷がそれていきます、と静かな声でヘンリエッタ准尉が報告。発令所は静まり返っている。

 無音の世界で、明後日の方向で魚雷が自爆する。煙が広がり、魚雷だった構造物ごとチャンドラセカルを周りを吹き抜けていった。誰かが唾を飲んだ気がした。

 ヘンリエッタ准尉が報告。

「チューリングが、敵を発見しました。捕捉しています」

「ロックオンしました!」

 インストン准尉のほとんど叫びに近い声に、ヨシノは即座に反応した。

「集中砲火、ここで仕留めます」

 了解の返事の後、チャンドラセカルが緩慢に回頭する間、これまでがなんだったのかと思うほど、粒子ビームが宇宙を照らし、ミサイルが花開き、無数の弾頭が炸裂する。

 敵は居場所が露見したと悟ったのだろう、反撃を開始する。

 その瞬間瞬間を切り取る粒子ビームの光の中に、隠蔽を解除した敵艦が見えた。

 流線型の、どこかミリオン級を連想させるフォルム。

 真っ黒い装甲で覆われているが、被弾したのか、一部が脱落しているようだ。それでも航行には支障がなさそうである。

 しかし今までどこに隠れていたのか。

 まるで幽霊を見たような心地だが、ヨシノが見ているものも、他の管理官が見ているものも、現実だった。

「虫ピンを打てますか?」

 ヨシノの言葉に、打てます、とヘンリエッタ准尉から即座に答えがある。

 攻撃はまだ続く。敵は逃げに徹しているようだ。

 もしかしたらチューリングを攻撃した時に、弾薬を消費し、ここでの浪費は避けたいのかもしれない。

 それでも宙を進んでいく敵艦はチャンドラセカルより速い。

「敵艦、離れていきます」そうヘンリエッタ准尉が言ったが、すぐに次の言葉が続いた。「敵艦、準光速航行を起動しました。現場を離脱していきます」

 発令所に安堵の空気が広がるが、ヨシノはそこまで楽観できなかった。

「敵が他にもいるかもしれません」

 そのたった一言で空気が唐突に張り詰め、いっそ悲愴と言ってもいい色合いを帯びた。

 しかし結局、それはヨシノの杞憂に終わった。

 敵は、現れなかった。



(続く)

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