第10話 果てしない虚空と故郷の大地

10-1 安全座標

     ◆


 チャンドラセカルが出航し、準光速航行で安全座標へ向かった時、現場において許される、残された猶予はほんの数時間になっていた。

 物資の積み込み作業は滞りなく終わり、燃料液も新鮮なものに積み替えられた。弾薬も全部が揃った。

 それでも数十時間を消費したのは、新開発の追加装備を搭載したからだ。

 ヨシノはヘンリエッタ准尉を通して、チューリングとテキストでやり取りした。緊急時の暗号を使ったやり取りだが、クラウン少将が敵にその情報を漏らしていたとすれば、敵にも筒抜けになるが、他に手段がない。

 新しい暗号を取り決めることも不可能なのが、クラウン少将の裏切りの重大さを意味していた。

 クラウン少将が何のために内通したのかはわからない。

 すでにクラウン少将の死亡は管理艦隊には公式に通達され、チャンドラセカルの乗組員も知っている。

「返信が到着しました」ヘンリエッタ准尉がヨシノをまっすぐに見る。「了解とのことです」

 いいでしょう、と頷いて、ヨシノは携帯端末の電源を切った。

 今、ヨシノがいるのは格納庫で、ユーリ少尉、アンナ少尉はもちろん、他にもオーハイネ少尉の部下である操舵部門の下士官の姿もある。要員を引っ張られることで一時的に操舵部門は過密スケジュールになるが、ほんの数日だけのことという気休めで、耐えてもらうよりない。

 ヨシノの指示で、新装備の再確認が行われ、電子頭脳のセイメイが管理する仮想空間で、二人の無線操縦士と即席の操縦士である操舵部員が手元の携帯端末で、シミュレーションを開始する。

 すでに一度の仮眠を挟み、ほどんど十二時間はぶっ続けで訓練をしていた。

 操る想定の装備はまったく新しい発想の機材で、試験段階のものを無理やりに引っ張ってきたので、使用はぶっつけ本番になるし、そもそも運用手法が理屈では存在しても、実際の形にはなっていない。

 だから彼らが仮想空間で装備を運用するその精度や速度が、速いのか遅いのかもわからないのが現状だった。

 ヨシノは繰り返し、何度もやり直させたが、操作の速度が上がるようではないし、精度もまちまちだ。

「こんな調子でうまくいくとも思えないですよ、艦長」

 二時間で、最初から最後までを繰り返すのが三十回を超えた頃、ユーリ少尉がぼやくのに同調するように、下士官たちが同意を示す瞳の色をしている。

 それはもちろん、ヨシノに向けられている。

「しかしこれだけしか、やりようがないでしょ」

 どうにかなだめようとするヨシノより先にそう言ったのはアンナ少尉だった。彼女の強気な視線が全員を順繰りに見る。

「別のやり方でチューリングを守れるっていうなら、そのやり方を示しなさい。どうなの?」

 ユーリ少尉が首を振り、しかし意見は出なかった。

 結局、さらに四時間をかけて訓練を続けたところで、仮眠をとることにした。人間が眠らないといけないのが、今は恨めしい

 腕時計を見ると残り時間はあと十四時間を切った。交代で休息を取るべきだろう。そろそろ準光速航行を離脱する。

「艦長は発令所で最終確認をしてきてください」

 アンナ少尉がそう促してくる。時間に気づいたのだろう。

 ユーリ少尉は些細な休憩時間も無駄にする気がないらしく、他の下士官と話し合いをしている。それぞれに食事代わりの栄養調整されたゼリー飲料を飲んでいるが、表情は真剣だ。気の抜けたところはない。目は血走っていても、倦んでいる様子がなくて、ヨシノはホッとした。

「さっきはすみません、アンナさん。助かりました」

 そう声をかけると、アンナ少尉はひらひらと手を振った。

「気にしないで。もう私たちは、生死の瀬戸際にいるようなものだし」

 意外に悲観的なことを口にする少尉に対し、ヨシノは軽く顎を引いた。

「どうにか、生き残るように努力します」

「それは私たちも同じよ。ほら、早く発令所へ行きなさい、こちらは任せて。あなたも少しは休むのよ、大佐殿」

 ヨシノは礼を言って、格納庫から発令所へ通じる中央通路を無重力で飛んだ。

 発令所へ入ると、イアン中佐が頷いてくる。各管理官は揃っている。

 ヨシノに休む間はない。しかしチューリングを保護すれば、いくらでも休めるのだと、自分に言い聞かせた。

 メインスクリーンの表示を見ると、通常航行に復帰するまで一時間ほどだ。

 いくつかの打ち合わせの後、ヨシノは艦長席で落ち着かない思いをしながら、どうにか腰を据えると安全座標へ到達するのを見守った。

「あと五秒で離脱します」オーハイネ少尉が宣言。「四、三、二、一、今です」

 ぐっとレバーが手前に倒され、メインスクリーンに星の輝きの粒が蘇る。

「チューリングの反応、一〇〇分ほどでやってきます。敵艦は、目視、空間ソナー、出力モニター、どれを使用しても見えません」

 そう報告するヘンリエッタ准尉の声の落ち着きが、ヨシノにも落ち着きをもたらす作用を示した。他の管理官たちの背中も頼もしいものだ。

 どうにかなるかもしれない。

 気負わずに、リラックスして……。

 ヨシノは指示を飛ばし、追加装備をチャンドラセカルから切り離し、予定されている座標に設置させた。指揮をとるユーリ少尉から順調だと報告が届いたのは、分離から二十分以上が過ぎてからだった。

 あとは、チューリング次第だ。

 繰り返し座標を確認したが、埋められるべき不確定要素はすでになく、残っている要素があるとすれば、それはまっさらな運としか言えない。

 そんなことを考えているうちに、ユーリ少尉は仕事の準備を終え、ヘンリエッタ准尉は何度かチューリングの現座標を報告し、そんなやりとりの中で一時間に満たない時間は、あっという間に過ぎ去った。

「準光速航行から、離脱してきます。チューリングです!」

 ヘンリエッタ准尉の宣言と同時に、メインスクリーンに映る空間に、唐突にミリオン級潜航艦が出現した。

 装甲はシャドーモードに目の前で切り替わっていくが、完璧には透明化が維持できていない。透けて見える部分と、元の漆黒の装甲のまだら模様。燃料液が爆発した痕跡もある。あれではスネーク航行は無理だろう。ただ推進装置は生きている。

 チューリングが復帰した座標は、予定よりわずかにずれている。

「ユーリ少尉、フォローしてください。オットーさん、こちらの隠蔽は完璧ですね?」

「装甲はシャドーモード、ミューターも万全です。推進装置は待機モードで、痕跡はほぼありません」

「ヘンリエッタさん、周囲に感は?」

「出力モニターにかすかな乱れがありますが、チューリングの余波かもしれません。おそらく敵がいるとすれば、敵も同じ環境ですから、こちらを探るのに苦労するかと思います」

 探り合いですな、とヨシノのすぐ背後でイアン中佐が呟く。

 チューリングがチャンドラセカルの前を横切る。

 チャンドラセカルの新装備がそちらへゆっくりと流れていく。

 間に合ってくれ、とヨシノがメインスクリーンを目を細めて見ているところへ、ヘンリエッタ准尉が報告する。

「明らかに艦の反応があります! 方位は四八-八九-一三、艦首はチューリングの九時方向に!」

 つまり敵は、チューリングの左舷側の座標にいて、艦首を向けている形か。

 決断は一瞬だった。

「粒子ビーム砲、おおよその見当で構いません、三連射してください。注意を引きます」

 了解、と囁き、そしてインストン准尉が引き金を引いた。

 メインスクリーンに三つの光の線が走った。


(続く)

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