10-3 決戦の宇宙へ
◆
チューリングを隠していた透過カーテン基部装置は、実際に使用した際のデータを保存したままチューリングと共に宇宙ドックへ向かうことになった。
管理艦隊は緊急事態を想定して、宇宙ドックのフラニーを非支配宙域の中でも外縁部と呼ばれる、かろうじて把握している地点まで前進させているので、チューリングもそれほど時間をかけずに補修を受けられるはずだった。ただ、損傷が重いので、フラニーに到着しても、しばらくは動けないのは分かっている。
チャンドラセカルはユーリ少尉とアンナ少尉が強化外骨格に乗り込み、傷んだ装甲の交換を始めている。チャンドラセカルには予備の装甲は最低限しかなかったが、チューリングが去って行く前に食料品と共に残してくれたので、不足することはない。
補修は部下に任せて、ヨシノとイアン中佐、管理官たちは会議室で顔をつき合わせていた。気が高ぶっているのだろうか、眠気が起きないのが不思議だった。
「敵艦の隠蔽性能は特別なものです。やはりミリオン級と同等です」
オットー准尉が観測情報を分析した報告書を読み上げているところだった。
「空間ソナーは役立たずです。出力モニターはまだマシですね。ただ、ミューターを逆用することでの索敵、という切り札が、我々にはあります」
使えるのかな、とインストン准尉が唸る。
その切り札は、司令部からの通信に添えられた、ギルバート博士のレポートにあった内容だ。
ミューターは空間ソナーに響く波を、相殺して打ち消すことで、艦船の存在を空間ソナー上から消せるのだが、つまり、敵のミューターが起こす波を解析し、それと同種の波をこちらのミューターで響かせれば、そこでは自然とミューターの影響のない、本来の空間ソナーが描き出す世界が蘇る。
この手法は全く確立されていない。ギルバート博士のレポートもタイトルの最後が「試論」になっていた。
「司令部からの命令もありますから、再戦は確実です」
ヨシノがそう言うと、ぞっとしませんな、とイアン中佐が小声で言った。
「しかし相手は亡霊ではなく、ただの船です」
ヨシノの言葉に、全員が彼を見る。
「司令部は二十隻からなる艦隊で、超大型戦艦を叩くことを決めました。管理艦隊の把握した離反艦隊の一部と、ヘンリエッタさんが追跡した敵潜航艦の航路は、その超大型戦艦の元に向かっているようです。僕の言いたいことはわかりますね?」
なんてこった、とオーハイネ少尉が頭上を見上げる。
敵の潜航艦の意図は、極めて稀な艦隊戦の戦場に向かっているということで、つまり、管理艦隊の艦船を不意打ちすることは疑いない。
超大型戦艦を、餌にしているのだと思うよりない。超大型戦艦は、わざと足を止めているのだろう。
このまま、敵潜航艦が艦隊戦の場に忍び寄れば、管理艦隊が姿の見えない敵に肉薄され、自分の身に何が起こったのかを知ることなく、撃沈させられていくのは、間違いない展開だ。
「こちらからはノイマンが出動しています。ただ、敵はチューリングを見破ったことから、あるいはノイマンを見破る可能性がある。それも敵の潜航艦に、ではなく、どの独立派勢力の艦船にも、というよりありません。やや悲観的とはいえ、もはや我々に大きなアドバンテージはないでしょう」
「ミリオン級の火力は駆逐艦より一歩も二歩も貧弱ですよ」
当たり前のことを言うインストン准尉に、イアン中佐がたしなめようとするのを、ヨシノはさっと身振りで止めた。
「僕たちは軍人で、乗っている船は軍艦です。死ねと言われれば死ぬしかありません」
「艦長は無駄死にでも構わないとおっしゃる?」
「無駄死にしたいとは思いませんよ」
無意識にいつになく自然と笑うヨシノを、不気味なものを見るようにインストン准尉が見返す。
ヨシノは、はっきりとさせておくべきことを、単刀直入に答えた。
「ただ、一方的に、何の抵抗もせずに、何も後に残せずに死ぬのが嫌だ、という意味で、無駄死にしたくない、と言っています」
「チャンドラセカルが沈んでも、管理艦隊が勝てばそれでいい、というわけですか」
「まずは生き延びることを考えますよ。それが大前提です」
それから補修作業が終わるまで、管理官の間で意見交換が行われ、チャンドラセカルは次なる戦場へ向かって舵を切った。
超大型戦艦と管理艦隊が雌雄を決する、いわば決戦だった。
これは奇妙な事態であるのは、ヨシノ以外も感じているはずだ。
敵の超大型戦艦も、護衛している離反艦隊の一部も、本当なら逃げを打つはずなのだ。それが管理艦隊と決戦しようとしている。
会戦になれば、確かに敵にはミリオン級は脅威だから、先にミリオン級を叩く理由はある。
しかし、何故、一心不乱に逃げないのか。
準光速航行が始まり、やっと兵士たちが交代で休息を取り始める。
ヨシノも食堂へ行った。食堂は不思議と活気付いていて、どうやらそれは、チューリングを無事に守れたことからくる高揚感らしい。
一度の勝利にこれだけの力がある、とヨシノは目から鱗が落ちる思いだった。
悲観よりはよほどいい。
ふと思ったのは、無謀な行動を取る寸前の勇敢さは、最後の瞬間に生きる筋か、死ぬ筋か、そのどちら側に踏み出すことになるか、それに作用するのかもしれない、ということだ。
自分の決断、躊躇いのない決断で、ここにいる兵士たちを家族の元、恋人の元へ、笑顔で返すことができる。そう思えば、気力が満ちてくるヨシノだった。
失敗する時のことを考えても、仕方がない。
今は、勝つことだけを考えよう。
「この席は空いていますか?」
そう言ってやってきたのはヘンリエッタ准尉だった。兵士たちはもうヨシノと彼女が同じ席にいても、少しも気にしない。
どうぞ、と示すと、ゆっくりとヘンリエッタ准尉が座り、食事を始める。
チューリングが食料品を残していってくれたが、全部が保存食なので、メニューに特別の変化はない。固いパンと、栄養が補強されたペースト、ポタージュスープ、野菜ジュースと、ささやかなチーズケーキ。
「地球へ行く話、覚えていますよね、艦長」
いきなりヘンリエッタ准尉に促され、ええ、と応じてヨシノは頷いた。
「覚えています、この任務が終わったら、休暇を取りましょう。だいぶ働きましたから、半年くらいは問題ないはずです」
「半年じゃ往復で三分のニがなくなっちゃいますね。せめて一年はゆっくりしたいかな。敵が待っていてくれるといいんだけど」
ヘンリエッタ准尉のジョークにクスクスと笑ってしまうヨシノだった。
「そうですね。まあ、休暇くらい、連邦宇宙軍は自由に取らせてくれるでしょう。僕たちの仕事はハードですからね」
「今度は一緒に地球に逃げましょうね、艦長」
参ったな、と思いながら、この前は逃げたわけじゃありません、とヨシノは反論したが、自分でも苦しい言い訳だな、と理解していた。
逃げられたら、楽だったかもしれない。
この船からも、次の戦場からも。
しかし、全てはヨシノの決めたことだった。
前へ進むと、決めたのだ。
心が決まったからか、こうなってやっと眠気が、体を支配し始めたようだ。
あくびを噛み殺して、野菜ジュースを飲み干したが、そのヨシノの表情に、ヘンリエッタ准尉は忍び笑いをしていた。
(続く)
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