5-5 任務の始まり
◆
全乗組員が配置についたことを、各管理官が報告した。
チャンドラセカルの発令所、その艦長席に座って、ヨシノは何度か腰を浮かせては座り心地を確認した。どこか落ち着かないが、二年も空けていた席である。
「ヘンリエッタさん、カイロの管制官に離脱を通知してください。係留装置の解除を」
「了解です、艦長」
応じる彼女は、ヘルメットのせいで口元しか見えないが、笑みを見せている。
続けてオットー准尉から係留装置の切り離し権限が移譲されたことが宣言され、それをヨシノが操舵管理官のオーハイネ少尉に任せる。
「切り離します。衝突回避の規定に従い、離脱します」
かすかにチャンドラセカルが揺れ、メインスクリーンに係留装置の解除を示す青い表示と、宇宙基地との距離からくる接触警報の黄色い表示が出る。その黄色い表示も青に変わる。
「では、打ち合わせの座標へ向かいましょうか。オットーさん、準光速航行の計算を再確認。オーハイネさん、艦を予定の座標へ」
それぞれから返事がある。
宇宙基地カイロから通信が結ばれ、音声だけながら武運を祈るという内容が送られてきた。ヨシノは丁寧に返答し、そしてチャンドラセカルは所定の座標に飛び込む。
計算は万全で、オーハイネ少尉がレバーを押し込むと、準光速航行が起動した。
メインスクリーンが黒く染まり、次には数列が表示される。その数字は一つずつ数を減らしていく。準光速航行から離脱する時刻まで、あと一週間はある。
「さて、作戦を確認しましょう」
ヨシノが促し、指示を受けたヘンリエッタ准尉が発令所の天井に近い位置に、作戦予定宙域の立体映像を映す。
「敵は雷撃艦と呼ばれる珍しい艦種です」
イアン中佐が説明し始める。
「足はそれほど速くないので、今も追跡が可能です。ただ、これは誘いの可能性があります」
「その通りです」
ヨシノが引き継ぎ、管理官たちを見回す。
「敵が最もこちらに打撃を与えるチャンスと考えるのが、準光速航行の離脱の場面でしょう。僕だったらそうします。なので、チャンドラセカルは相手をわざと追い越し、相手が管理している非支配宙域に飛び出します。それでも、全くの安全ではありませんが」
ちらっとヨシノは発令所の予備の椅子に腰掛けている従軍記者を見る。ライアン・シーザーという男性は、不敵な笑みを浮かべてヨシノを見ている。
ヨシノのことを信じている顔だ。
それは管理官たちにも言える。
自分がそこまで特別だと思えないヨシノだけが、支えるものを持たないようにも思えるのだった。
ふと、ヘンリエッタ准尉が視界に入り、そのヘルメット越しの視線を受け取った時、少しだけ楽になれた気がした。
「とりあえずは、セイメイが予測している航路を通ると考え、敵雷撃艦を追い越し、シャドーモード、ミューターで姿を消して、その雷撃艦をすれ違うと同時にスネーク航行で追尾します」
管理官たちは頷いている。
休息を命じて、ヨシノは艦長席でじっとメインスクリーンを見た。
このスクリーンに次に宇宙が映る時は、そこは平穏な闇に包まれた無限の海ではなく、人間同士が争う、戦場だ。
怖いといえば怖い。
ただ、仲間がいると思えば、少しは楽になれる。
しかもヨシノが乗っているのは、彼が作り上げたと言ってもいい、彼にとっては最も信用できる艦なのだ。
一週間はあっという間に過ぎ去った。
八日目に管理艦隊司令部からの極指向性通信でテキストデートが送られてきた。
チューリングが準光速航行から離脱したところを敵が狙ってきた、という内容だった。チューリングは敵を撃破したようだった。
「やはり、そこが狙い目ということでしょうな」
イアン中佐の感想に、ヨシノは真面目に頷いてみせる。
「それはつまり、こちらも敵に打撃を与えるのに有効ということです。しかしチューリングの件はほとんど事故でしょう。事故ということは、チャンドラセカルにもそれが起こりうる、ということですが」
「そんな不運が起こらないことを、願いましょう」
準光速航行から離脱するときは、もちろん、全管理官が発令所に揃っていた。
「通常航行に復帰します」オーハイネ少尉が宣言。「三、二、一、今です」
メインスクリーンに星の光が戻る。
通常の手順でオーハイネ少尉が周囲を確認する操艦をする間に、ヘンリエッタ准尉が索敵範囲を確認している。オットー准尉はチャンドラセカルの性能変化装甲をシャドーモードにしながら、ミュターを稼働させる。
「チャンドラセカル、隠蔽状態を確立しました」
そう宣言したのはオットー准尉。ヘンリエッタ准尉から続けて報告。
「こちらを捕捉している感は発見できず。目標の敵雷撃艦は、セイメイの推測している座標を、推測通りの速力でこちらへ向かってきます。こちらに気づいてはいないようです」
「すれ違うまでの時間を教えてください」
「五十時間ほどです。おそらく海賊がよく使う、追尾や追跡を確認する手順を踏むので、正確な予測はできませんが、五十時間以内ではないかと推測します」
その判断を承認し、ヨシノは艦の警戒態勢を第二戦闘配置に下げた。交代で休息をとれる。
そのヨシノはしかし、発令所で索敵部門から上がってくる敵艦の位置を長い間、確認していた。イアン中佐が不安げな視線を送ってくるのには気がついていた。しかし初老の副長は何も言わなかった。
四十五時間後に、第一戦闘配置に戻り、全員が息を詰めて敵雷撃艦を待ち構えた。
電子頭脳のセイメイの予測通りの航路を進んでくるので、オーハイネ少尉はほとんどチャンドラセカルを動かす必要がなかったし、ヨシノから指示を出す必要も少しもない。
「カメラが捉えました。最大望遠です」
ヘンリエッタ准尉がそう報告し、メインスクリーンに小さく敵艦が映った。通常航行とは、やはり罠かもしれない。
それならそれで、構うまい。
「では」
ヨシノはわざとラフな口調で言った。
「ひっそりと後をつけることにしましょう。息を潜めて、忍び足で」
管理官たちは律儀に返事を返してくる。
ヨシノはメインスクリーンを、じっと見据えていた。
(第五話 了)
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