5-4 本気の気持ち

     ◆


 ヨシノがカイロへやってきて、一週間後、チャンドラセカルは最後の整備と補給が終わり、任務の開始の当日を迎えた。

 早く目を覚まし、すでにチャンドラセカルの艦長室にいるのにまだ慣れないながら、折りたたみ式のベッドを壁に収納し、服装を整えた。

 着慣れた軍服をきっちりと着込み、通路へ出る。まだ帰港中なので人工重力が働いている。重力状況を示す通路の識別信号は通常重力を示す緑の表示。

 通路を歩いて、食堂に入る。前回の航海の流儀が残っていて、艦長を見ても古参の兵士は敬礼すらしない。敬礼するのは新規の兵士だ。その兵士たちのほぼ全員をすでにヨシノは把握していた。

 カイロから運び込まれている新鮮な食材を使った、料理らしい料理もこれで最後になるかもしれない。

 お盆に皿を乗せて、空いている席を探すと、食堂の隅でユーリ少尉が手を振っている。

「おはようございます、ユーリさん。一人ですか?」

「まあね、友人が来る予定」

「アンナさんですか? 仲がいいですね」

 食事を始めるヨシノに、こそこそとユーリ少尉が小さな声で言う。

「あれからヘンリエッタと何かあった?」

 危うくむせそうになったが、ぐっと飲み込み、それと分からないように呼吸する。

「あれからって、懇親会のことですか? あれからは何もないですね」

「本当に?」

「ええ、まあ。管理官の会議で一緒になるくらいです」

 ユーリ少尉が目を細め、本当? とやや凄むように問いただしてくるのに、本当にです、と答えるヨシノである。

 事実、あの懇親会以降、ヘンリエッタ准尉と二人きりになる場面どころか、プライベートな話をする場面もなかった。

 あの子も奥手だからね、とユーリ少尉は何か怒りをぶつけるように、パンにパテを塗りたくっている。

「艦長?」

 背後からの声に振り返ると、そこに噂の相手、ヘンリエッタ・マリオン准尉が立っていた。彼女はヨシノを見ていたが、すぐにユーリ少尉の方を見ると、何か怒りをにじませたようだが、ユーリ少尉はパンを口に押し込むと、さっさと席を立って何処かへ行ってしまった。

「参ったなぁ」

 ヘンリエッタ准尉がそう呟くのに、「とりあえず、席をどうぞ」とヨシノが勧めると、そうさせていただきます、とヘンリエッタ准尉は空いている席に座った。

「ユーリさんはアンナさんを待っているようでしたが、良いんでしょうか」

 そうヘンリエッタ准尉に質問したのは、ヘンリエッタ准尉とユーリ少尉、アンナ少尉は親しげな上にも親しげに見えたからだ。友人関係なのは間違いないし、ユーリ少尉は友達を待っている、と言ったはずだ。

「ああ、それは艦長、からかわれたんだと思います」

 ヘンリエッタ准尉がサラダをフォークで口に運びながら、答える。

「ユーリと約束していたのは私です。艦長は彼女に呼ばれたのですか?」

「いえ、僕はたまたまこの時間です」

「ああ、そうですか、まったく、間が悪い」

 ぼやくようにそう言ってから、ヘンリエッタ准尉は仕事の話を始めたのでヨシノもそれに合わせた。

 すでに管理官の間では管理艦隊司令部からの作戦案が綿密に検討され、細部まで練り込まれている。

 敵性艦を追跡するわけだが、チャンドラセカルに課せられた難題として、チューリングの索敵から逃れよ、というものがある。

「チューリングが敵を捕捉しているということは、こちらもチューリングの索敵範囲内に入るってことですよね。ミューターで誤魔化せるなんて魔法みたい」

 それが会議の席でのヘンリエッタ准尉の主張で、しかし艦運用管理官のオットー准尉も、それにヘンリエッタ准尉自身も、ミューターという新装備の威力は試験航行でだいぶ身にしみたようだ。

 チャンドラセカルでは、発令所の顔ぶれでミューターをはっきりと知らないのはヨシノだけになっている。

「チューリングに少しの隙もないなんて、気も抜けません」

 食事をしながら、ヘンリエッタ准尉がそんなことを言うが、いつもは気を抜いている場面があるのか、などと言っては興ざめだろうと、ヨシノは聞き流しておいた。

 それぞれに食事が終わり、ゼリーをすすってから、席を立つ雰囲気になった。

「艦長、その……」

 ヨシノから切り出そうとした時、小声でヘンリエッタ准尉が何か言ったので、ヨシノは顔を近づけた。ヘンリエッタ准尉の瞳が真っ直ぐに彼を見た。

「懇親会の時のこと、私、本気ですから」

 えーっと……。

 ヨシノは椅子に座り直し、何を言えばいいのか、いくつかのパターンを思い描いたが、それらはあっという間に消え去ってしまい、手を伸ばしてもすり抜けて逃げていく。

 本気ですから?

「僕も不真面目な気持ちではないですけど」

 何か、仕返しをするようにそんなことを言ってから、やってしまった、とまた思った。

 今は食堂の一角で注目しているものがいたとしても、声が届く範囲ではない。視線の数は懇親会と比べれば格段に少ない。

 それでもこんなおおっぴらな場所で、こんな話をするとは。

 じっと瞳を見据える女性士官に、ヨシノはやや戸惑ったが、念を押す気になった。

「僕も本気です。立場というものがありますが、そういうことにしておいてください」

 まったくもう、なんでこんなことを。

 ヨシノは管理艦隊を離れて、地球に降りてからも、何かの時にヘンリエッタ准尉のことを思い返すことはあった。懐かしい仲間の一人だったかもしれないし、もっと特殊で特別な感情だったかもしれない。

 しかしどちらにせよ、あの懇親会の瞬間に、気持ちは花開いたようだった。

 覚えておきます、とヘンリエッタ准尉が小声で言ったので、ヨシノは笑みを見せて、席を立った。

 一応、笑みを見せられたはずだ。



(続く)

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