5-2 アドリブ
◆
ヘンリエッタ准尉は目元を何度もぬぐいながら、ヨシノを見ている。
彼女はこんなに小さかったかな、と思いながら、言葉を選んだ。
「虫のいい話だけど、こうして戻ってきました。お久しぶりです、ヘンリエッタさん」
「艦長……、その……」
嗚咽が止まらずに、なかなか声を出せないヘンリエッタ准尉の前で、ヨシノは辛抱強く待った。彼女が言葉を口にするまで、動くつもりはなかった。
ユーリ少尉がヘンリエッタ准尉の肩を抱き、アンナ少尉がヘンリエッタ准尉の頭を撫でる。
なんとも妙な雰囲気だが、仕方がない、と受け入れるヨシノだった。
「艦長、戻ってきてくれて……」
大きくしゃくりあげ、ヘンリエッタ准尉が顔を上げる。
真っ赤になった潤んだ瞳が真っ直ぐにヨシノを見て、次には視界から消えた。
抱きついてきたヘンリエッタ准尉を受け止めて、軽重力のせいもあって、危うく転びそうになり強く抱きとめた。
ユーリ少尉とアンナ少尉が歓声を上げ、様子を伺っていた兵士たちが指笛を吹いたりする。
ヨシノの肩に顔を当ててまだ泣いているヘンリエッタ准尉に、「落ち着いてください、ヘンリエッタさん。落ち着いて」と言うしかないヨシノの様子に、また兵士たちが騒ぐ。
彼女が落ち着くまで、ずっとその場で立っていたが、周囲の兵士たちはさっきまで喧騒が嘘のように、あっという間に興味を失い、酒とアルコールと世間話に没頭していた。艦長と索敵管理官の親しすぎる様子、というのも、長期間を限定された空間で過ごす乗組員からすれば、その程度のショックでしかないらしい。
ヘンリエッタ准尉が泣き止み、少し何か飲みましょう、と飲み物のパックが山積みのカートへ彼女を連れて行くが、途中でユーリ少尉とアンナ少尉がイアン中佐に叱られているのが見えた。ヨシノからも非難がましい視線を向けるが、二人も憮然としていた。
何が気にくわないんだろう?
ヘンリエッタ准尉と揃って会議室の壁際に積んであった折りたたみ椅子を確保し、人気のない壁際に座った。
「地球では何をなさっていたのですか?」
ゼリー飲料を飲んでから、ヘンリエッタ准尉に訊ねられ、戦死した兵士の遺族を見舞った話はやめにして、祖父母とともに湖のそばの旅館で過ごした日々を話した。旅館というより、湖の真ん中にボートで浮かんでいたのだが。
「湖ですか。大きいんですか?」
「一周で二十キロもないですよ。対岸が見えるんです。あれは落ち着く光景ですね。宇宙は果てがないですから」
「わかる気がします」
化粧が落ちてノーメイクに近い女性士官を見やると、彼女は手元のパックを見ていた。
「空間ソナーを使っていると、世界がどこまでも広がっているのがわかるんです。それで急に、落ち着かなくなることがあります」
その会話から、ヘンリエッタ准尉はヨシノに空間ソナーとミューター、試験装備の出力モニターについて話し始めた。ヨシノも興味のある分野なので、専門的な内容でも真剣に耳を傾けた。時折、解説を求める必要があった。
こういうところが、まだ学生根性かもしれないな、とヨシノはヘンリエッタ准尉が使う専門用語をどうにか噛み砕いて理解しながら思ったりする。
社会と呼ばれる場所では、丁寧に教えてくれるものは稀だ。
そして戦場という場所は、教えてくれる敵など滅多にいない。
自分で調べ、考え、結論を出し、結果を待つ。
「こんな話、聞いていて面白いですか?」
不安げに自分を見やるヘンリエッタ准尉に、ヨシノは本音で答えた。
「ええ、とても。何かの役に立ちそうです」
「艦長は不思議な人です」
「それは、理解できない、ということですか?」
パチパチとヘンリエッタ准尉が瞬きをして、吹き出すように笑い出した。
「理解できないなんて、艦長、可笑しなことを言わないでください」
「可笑しいでしょうか」
「私たち二人も、他の管理官も、兵士も、何かを理解しあえているというより、同じ方向を見ているだけじゃありませんか。それで一緒に前に進んでいるだけで、理解なんて、錯覚です」
理解が錯覚、か。
ヨシノは少し考え、思わず言葉にしていた。
「ヘンリエッタさんのことは、少しは理解していたいですね」
自分で言葉にして、しまったな、と思ったが、もう遅い。
どんなに科学が発展しても、過去へ戻ることはできないことである。
頬を赤らめながらヘンリエッタ准尉がうつむいてしまうので、なおさら、困った。ヨシノも頬が熱くなるのを感じながら、そっぽを見て、料理でも取りに行って仕切り直そう、と考えた。ローストビーフが目に止まる。行列ができているので、より時間を稼げそうだ。
「料理を取りに行ってきます」
椅子から腰を浮かそうとすると、制服の袖を引かれた。ヘンリエッタ准尉が素早く掴んでいる。
「そんなことはいいですから、その……、もう少しここにいてください」
消え入るような声でそう言われて、抗弁できる男がどこにいるだろうか。
結局、ヨシノは椅子に座り直し、しかしヘンリエッタ准尉が何も言わないので、彼も黙っていた。
周囲では兵士たちが笑い声を上げ、笑顔で盛り上がっている。ヨシノはあまり騒ぐことが好きではなく、宴会の席などでも、自分は放っておいてどこか隅の方で本でも読ませて欲しい、と思う場面が多い。
今は横に女性がいるわけだが、そっとしておいて欲しいというその願望に、不思議と限りなく近い気がした。
本を読むより、有意義な気もする。
結局、懇親会が終わるまで、ヨシノはヘンリエッタ准尉のそばに座っていた。
いつからか、ヘンリエッタ准尉の手が彼の手を握っていたが、ヨシノは気にしないことにした。
(続く)
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