第5話 艦長の帰還

5-1 挨拶

     ◆


 ヨシノ・カミハラはしっくりと体に馴染んでいる管理艦隊の儀礼用制服を整え、一度、深呼吸した。

 第四会議室に近いトイレの洗面台である。

 鏡の中にはやや大人びてきた気もする、しかしまだ幼さの片鱗のある顔がある。

 二十一歳を間近にして、しかしその年齢で大佐など、何かの冗談みたいだ。

 襟章に触れる。本物だ。

 行こう、と一度、目を閉じてから、ヨシノはトイレを出た。

 通路の人工重力が働いているが、弱い。この方が楽な場面が散見される、適度な加減だった。

 第四会議室のドアが自動で開き、その音で室内にいる全員がヨシノの方を見た。

 下士官、そして兵士たちが目を丸くし、あるものは口元を押さえ、あるものは頭に手をやっている。

 急に一人が拍手をし始めた。

 誰かと思うとチャールズ・イアン少佐だ。違う、襟章が中佐になっている。

 イアン中佐の拍手は部屋中に広がり、全員が温かい拍手でヨシノを迎えた。

 跳ねるように会議室の一番奥、一段高いところへ立つと、イアン中佐が身振りで真ん中を示す。

 笑みを返して、ヨシノはそこに立った。

 さて、何を言おうか。

 いろいろと考えていたが、拍手なんてされては、忘れてしまうじゃないか。

 天才の頭脳が高速で巡ろうとしたその瞬間、すぐ横で「整列!」とイアン中佐が叫ぶ。

 会議室の全員がさっと気をつけの姿勢になった。

「休んでください」

 まるで何かの儀式のように、ヨシノがそう言うと彼らは同時に姿勢を変える。軍隊では楽にしてくださいと言っても、それは野放図なものを意味しないのだ、とヨシノは急に思い出した。

 さて、何を言おうか。

 もう一度、全員を見てから、ヨシノは頭を下げた。

「お待たせして、申し訳ありません」

 シンとしている中で顔を上げると、兵士たちはめいめいの表情でヨシノを見ている。温かい視線が大半で、残りはからかうような光り方の瞳をしている。

「逃げ出すような形になった僕を、ここに迎え入れてくれることに感謝します。みなさんが長い間、その技術を錆びつかせないように努力していたのに、僕はただ地球に行って、戻ってきただけで、不安しかありませんが」

 一部から囃し立てる声が上がるが、イアン中佐の一睨みでまた静かになる。

「僕の全力をもって、任務に当たるつもりです。いえ、つもり、ではなく、当たります。みなさんが誇れるような指揮官として、チャンドラセカルを使いこなすことを、ここで宣言します。ですから」

 ぐるっと、ヨシノは一人一人を見ていった。

 管理官たち、末端の兵士、大半は知っている顔だ。

「みなさんの力添えを、望みます。みんなで生き延びることができるように」

 誰かが声をあげた。吠えるような声だ。

 それに別の誰かが続く。

 オォー! という響きがいくつも重なり、やがて同調し、鬨の声のようになった。

「静かにせんか!」

 イアン中佐の鋭い一括で、全員がピタリと黙る。

 何かのコントみたいだな、と思いながら、ヨシノは咳払いしていた。笑いをごまかす必要があった。

「とりあえずはこれから二時間、みなさんは自由です。ここに料理を運ばせますから、懇親会ということになります。よそへ行きたい人はご自由に。ということで、僕の挨拶は終わりです」

「気をつけ!」

 イアン中佐の声に、全員が直立不動になる。反射的にヨシノも背筋を伸ばした。

「我らが勇敢なる艦長に、敬礼!」

 危うくイアン中佐の表情を確認しそうになったが、ぐっとこらえて、ヨシノは自分に向けて敬礼している兵士たちに敬礼を返した。

 なんとも、自分も変わったものだ。

 前の航海の始まりとは、全部が違っている。

 解散、とイアン中佐が言って、場の空気が緩む。会議室のドアが開き、いくつかのカートに乗せられた料理が運ばれてくる。軽重力対策として、すべての大皿にカバーが掛けられている。

 そういうものを見ると、宇宙に来たんだな、と思うヨシノである。

 パックに入ったアルコールが運ばれてくると、兵士たちがカートが止まるよりも先に群がり、仲間に配り始める。

「ハメを外しすぎると困りますね、中佐」

 まだ横に立っている副長をヨシノが見ると、当のイアン中佐は苦笑いしている。以前はなかった表情だな、とそれを見ながらヨシノはまた感慨深いものを感じる。

 みんながみんな生きている。それは変化するということだ。

「少しくらいはハメを外すのはいいでしょう。規則に反さなければ、ですが」

「それくらいは信用できる部下ですよ。しかし、こんなに自由でしたっけ」

 一部でアルコールのパックの取り合いが起こり、乱闘に展開しそうだが、大丈夫か心配になるヨシノだった。信用できる部下、と言ったそばからこれでは、やや気が重くもなるのだった。

 乱闘になったらそれをどう止めようか、と思っているとオットー軍曹が割って入り、仲裁を始めた。いや、オットーの階級章は准尉になっている。

 兵士たちが渋々と指示に従い、小突き合いながら離れていくのを、オットー准尉は目ざとく見つけて、口を出していた。艦運用管理官らしい、おせっかいとも言える姿勢だ。

「さて、艦長、今すぐやることがありますよ」

 視線をイアン中佐に戻すと、彼が恭しいと言ってもいい姿勢を取る。

 その腕が向けられている方を見ると、泣きじゃくっている下士官がいる。

 いや、彼女ももう下士官ではない。

 ヘンリエッタ・マリオン准尉。

「レディをあんな状態で放っておくべきではありませんな、艦長。戦略的にも、戦術的にも、です」

 何の戦略で何の戦術か、ぜひ確認したかったが、イアン中佐流のジョークと解釈して、ヨシノは段を降りて、ヘンリエッタ准尉に近づいた。

 彼女の背後には二人の女性がいて、ユーリ・キックスとアンナ・ウジャド、二人ともが少尉に昇進している。三階級以上の特進とは、すごいことだ。二度死んで二度蘇るような離れ業である。

 三対一は分が悪い、と思いながらヨシノは即座に戦法を考えた。

 考えたが、望み薄で却下するしかなかった。

 あとはもう、アドリブだ。



(続く)

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