4-2 試験航行へ
◆
管理官がチャンドラセカルの発令所に揃った。
乗組員も揃っている。新規の乗組員は全部で十名。
発令所の空席は艦長席で、イアンはその斜め後ろに直立していた。
「始めるとしよう」
指令を受けた時間にイアンはそう口にした。
これからが本番だ。
「オットー准尉、機関管理官に通達し、機関始動。巡行出力まで上げろ」
「了解です」
「ヘンリエッタ准尉、周囲を索敵しつつ、フラニーの管制官と通信し、係留装置の解除を要請」
「要請しました。返答、今、来ました。解除まで十秒」
メインスクリーンに数字が表示される。
そのすぐ横で、機関出力が脈拍八十で安定する。エネルギーの蓄積は、すでにフラニーからの供給でバッテリー一番は満たされていて、今の余剰のエネルギーはバッテリー二番へ移されている。バッテリーは全部で四つ。
「オットー准尉、推進装置、起動。オーハイネ少尉、フラニーから離脱だ。微速前進」
それぞれから返事があり、モニターの中の映像が揺れる。
「微速前進、アイ」
ゆっくりとチャンドラセカルの巨体が宇宙空間へ進み出る。十分な距離ができて、「周囲の様子は? ヘンリエッタ准尉」とイアンは訊ねた。答えは分かっていても、何が起こるかはわからない。
「感はありません。安全だろうと思います。フラニーからテキストデータが届いています」
「読み上げろ」
武運を祈る、で終わるテキストの途中で、オーハイネ少尉が小声で「激励文とは、気が利いている」と呟いていた。
チャンドラセカルはフラニーから十分な距離をとって、周囲は安全であり、とりあえずは試験に集中できることになりそうだ。
「試験用の宙域へ向かえ、オーハイネ少尉、オットー准尉は準光速航行の起動準備」
「了解です、副長。計画通りに実験宙域「黒い森」へ向かいます。オーハイネ少尉、予定通りの座標へ艦を動かしてくれ」
「了解、回頭する。推力は十分、推進装置、準光速航行システム、問題なし」
やがて指定された座標に着き、あっさりと「準光速航行、起動します」と宣言し、オーハイネ少尉がレバーを倒す。それだけで星の海が映っていたモニターの中が真っ暗になり、続いて離脱までのカウントダウンが表示される。
数字はほんの一時間にも満たないものだ。至近にあるフラニーで改修や補修、修繕を受けた艦船が試験するための、実験宙域がとりあえずの目的地だった。
「各管理官は部下の様子を確認するように」
そう促してから、イアンはすぐ横の艦長席の端末から、受話器を手に取った。
「コウドウ中尉、どんな具合だ」
受話器の向こうで老人が笑っているのが聞こえる。
「死んでもいないのに二階級特進とは、不思議な感じだよ」
「階級の話じゃない、循環器だ」
発令所のメインスクリーンでは、循環器の脈拍が九十五まで引き上げられているままだ。
新型の循環器システムは形の上では九十九が最大出力だが、チューニングにより百二十までは平然と出せるようにされていると聞いている。いざという時には安全装置を解除すれば百六十は出る、と事前にコウドウ中尉が言っていたのだが、危険は犯したくない。
「もう少し落とすべきじゃないか?」
「機関士上りのあんたならわかるだろう? 循環器は甘い環境に置いておくより、厳しく接した方が粘り強くなる」
そいつは都市伝説だ、と言えないイアンである。
噂としてだが、新品の循環器を積んだ駆逐艦が、造船所から試験航行を行った時、試験用の宙域で機関出力を高めた途端、循環器が暴走し、そのまま艦が二つになったなどと、まことしやかに囁かれていることもある。
もしそんな大事故があれば、軍内部だけではなく、社会的に問題になりそうなものだから、作り話なのだろうが、意外に理にかなっている噂だ。
イアン自身、一時、軍を辞めて民間の研究所にいた時、循環器とうまく付き合うための、なだめたりすかしたりする技を民間の技術者に教わった。
その初老の男性は簡潔に言ったものだ。
「循環器は追い込んでなんぼだ」
というわけで、イアンとしてはコウドウ中尉の考えている、循環器への現時点での過負荷は見過ごすことにした。
「オットー少尉、血管に乱れはないか?」
「燃料液は滞りなく流れています。全艦で順調にエネルギーが発生しています。バッテリー三番の容量の八割ほどまでが充填状態です」
チャンドラセカルはその静粛性を高める仕組みの一つとして、バッテリー航行があるが、あまり使われる場面がない。バッテリー航行を使うのは循環器が発するかすかなエネルギーの痕跡、その雑音さえも消したい時になる。
一時間はあっという間に過ぎ去って、離脱した先は黒い森と名付けらている空間だ。準光速航行から、通常航行へ。映像に目立った変化はないが、漂っている小型の人工物は見えた。
「現場に設置されている計測システムとリンクします」
ヘンリエッタ准尉の言葉に、イアンは作業を進めるように伝えた。
黒い森にはいくつかの観測用のブイがあり、ここからの情報で試験の様子をモニターできる仕組みだ。その時の記録は管理艦隊が保存もする。
遊びではないが、遊びたくなる場所だ。イアンでさえそうなのだから、稚気に富んだものは遊ぶのではないか、と頭の片隅で思った。
「オットー准尉、装甲をスパーク、ミラー、ルーク、シャドーの順番で切り換えろ。それぞれ三十秒でいい。シャドーモードになったら、そのまま維持しろ」
「了解です」
「オーハイネ少尉、艦を推力七十で飛ばせ。コースは任せる」
ちらっとオーハイネ少尉がイアンを振り返った。
「推力七十はシャドーモードの耐久限界推力に近いですが」
実際、シャドーモードの脆弱さは完全には解消されず、推力七十五を越えるな、とイアンも他の管理官たちも、例の技術中佐に念を押されていた。
こちらを見る操舵管理官にイアンは肩をすくめた。
「敵がこちらに都合のいい戦いを仕掛けてくるか?」
オーハイネ少尉が一転して剛毅な笑みを見せ、では、やります、と宣言した。
ぐっと艦が加速する。
(続く)
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