1-3 迎えの使者

     ◆


 船が揺れ、櫂が漕がれる音が近づいてくる。

「大佐、こんなところにいるのですね」

 器用に漕ぎ寄せた小舟から、こちらの小舟へ誰かが飛び移ってくるが、声だけで誰かは分かっていた。

 さすがに寝転がったままでは失礼なので、起き上がっていた。危うくヨシノの方が船の揺れのせいで湖に落ちそうになったが、どうにか堪えた。

「イアンさん?」

 控えめな笑みが返ってくる。

「お久しぶりです、大佐」

 そこにいるのは地球連邦宇宙軍の制服ではなく、ゴルフウェアのようなものを着た初老の男性だった。ひょろりと背が高く、手足は長い。

 イアン少佐は、前に見たときと何も変わらないようにヨシノには見えた。

「こんなところで何をしているのですか?」

「あなたをお迎えに参りました」

 お迎え?

 まるで死神みたいなことを言う、そういうジョークだろうと気づいて、次には笑っていた。

「戦場へ、ですか?」

「あなたの艦と家族の元へ、です」

 家族。

 ヨシノの元に集まった乗組員たちは、今、何をしているだろう。懐かしい姿が脳裏に浮かぶ。

「臆病な男でしたかな、艦長は」

「艦長でも大佐でもありませんよ、イアンさん」

「男としてのあなたは変わらずにいるでしょう?」

 この根っからの軍人を説得するにはどうするべきか、ヨシノは迷い、「まあ、座りましょう」と誘った。意外にイアン少佐は慣れた様子で船のへりに腰を下ろした。慣れていなければ落ちることを考えて怖いものだが、そこはさすがに度胸がある。

「地球の様子を見ましたか?」

「ほんの一日ですが」

 イアン少佐の返事に、どう思いますか、とヨシノは率直に言葉を向けてみた。

「どうやらいつの間にか、管理艦隊は地球とは違う世界で戦っている、そう感じました」

「それは僕も感じたことです。他には?」

「のんきなものです。これはまったくの個人的な意見ですが、やがて人間は地球を必要としなくなるかもしれません」

「え? なぜですか?」

 興味深い理屈に、ヨシノは身を乗り出した。イアン少佐が少し姿勢を変えて小舟のバランスをとる。

「管理艦隊の生きる世界と、地球の世界が違うからです。我々は食料と燃料さえあれば、宇宙船でどこまでも行けるのですから、どこへでも行って、そこで暮らせばいい。それが自然な発想です。誰の支配も受けず、自由に社会を一からデザインする余地さえある」

 荒唐無稽な発想に思えて、こらえ切れずに笑いそうになったが、ヨシノの理解が遅れて進み、その時にはハッとしていた。

 少し考えれば理解できる。事実なのだ。

 そしてその発想を実行しているのが、管理艦隊の敵に当たる。

 この男は敵のことをそんな風に評価して、自分の立場が危うくなるとか考えないのだろうか。

 そう思うとやっぱり笑いがこみ上げ、結局はクスクスと笑ってしまうヨシノだった。そんなヨシノをイアンは憮然として見ている。

「あなたは今、何の仕事をしているのですか? イアンさん。僕を連れ帰る以前に、です」

「退官するつもりでしたが気が変わりまして、今は、チャンドラセカルの第二次改修の最中です。こちらへ来る途中も、極指向性通信でやり取りを続けて、指示を出し続けていました」

 それは申し訳ないことをしたな、とヨシノは少し居心地が悪くなった。

 ミリオン級を建造する時、ヨシノ、イアン、そしてテツ・コウドウの三人と、他にも複数人の科学者が尽力したが、その中でもギルバート・メイ博士とのやりとりには苦労した印象が強い。

 今では管理艦隊にスカウトされたギルバート博士は、当時は最先端の造船分野の技術を研究する、科学者の中でも際立って奇抜な科学者で、それが民間人だった。

 なのでギルバート博士は、本格的に巻き込むまではこちらが求めることに応じて、限られた情報を元に助言を行う、不自然で非合理な立場で関わった。その上、当時のヨシノたちはギルバート博士と通信でやりとりしたのだ。

 この通信でのコミュニケーションが、非常に難題だった。

 音声だけではなく、映像もあるし、各種の統計も報告書も見せたが、どうしても細部が伝わらないのだ。

 その時の苦労を今、ヨシノはイアン少佐に負わせていることになる。

「苦労したことは言わなくてもわかりますね、艦長」

 微笑んである初老の男性に、ええ、まあ、と応じながら、ヨシノは視線を遠くへやった。

 そちらには湖から流れ出す大きな河川の始点である水門がある。

 特にそこに何があるわけでもなく、視線を送るのにちょうど良かったからだ。

 もうイアン少佐は何も言わず、じっとしていた。

 決めるしかないか。ヨシノは短い思案の後、溜め息を吐いた。

「イアンさんは、抹茶は好きですか?」

「マッチャ? 日本茶のことですか」

「ええ、まあ。祖母の趣味ですから、付き合ってあげてください」

 はあ、と不思議そうにしているイアン少佐に、自分の小舟を岸へ戻すように言って、ヨシノは開いていたパラソルを畳んだ。

 二人で一艘ずつを岸へ寄せ、ヨシノはイアン少佐を連れて旅館へ戻った。

 祖母は一人で茶をたてていると教えてもらえたので、ちょうどいいとイアン少佐を案内する。

 日本の旅館に興味深そうな気配を抑えきれない様子のイアン少佐を、ヨシノは茶室へ連れて行った。

 中に入ると、ちらっと祖母がヨシノを確認し、それからイアン少佐にも視線を送った。

「お客さんを連れてきたのかい、ヨシノ」

「ええ、まあ、そんなところかな。お茶を一杯、出してあげて」

 祖母が頷き、茶をたて、古びた陶器の器をイアン少佐の前に差し出す。イアン少佐は自然な動作で正座をしていて、意外に茶室が似合っている。

 祖母が差し出す茶碗を受け取り、しかしまるでグラスを煽るようにイアン少佐は中身を一息に飲み干した。

「礼儀もなにもあったものじゃない」

 ボソッと祖母が呟くのに、ヨシノはまあまあと身振りでなだめるしかない。そこへイアン少佐が小さな声で言った。

「美味しい、とは日本語でなんというのですか?」

「おいしい、ですね」

 そうヨシノが言うと、イアン少佐は穏やかな笑みで祖母を見やり、

「オイシイ」

 と口にした。

 祖母が呆気にとられ、次には笑い出した。ヨシノも口元を押さえていた。

 イアン少佐だけが不服そうな顔をして、空の器を所在無げに持ちながらそっぽを向いていた。



(続く)

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